昨日は、礼拝の後、6歳の保育園の面倒をすることになりました。
諸事情があって、2年程前から、新幹線で何回か、子供をつれて礼拝に来るママがいて、
礼拝後の分かち合いでは、私のグループに入っていただいて、4人で、挨拶と互いに自己紹介をしました。
その後、入門クラスに移動されましたが、その間、子供については一言も話しをされませんでした。
子供は教会内を走り回っているのを見かけたので、呼んで、隣に座らせてお茶を飲ませて、話をしました。
受け答えがしっかりしていて、言いたいことをはっきり目を見て言える賢い子だと思いました。
お茶がもっと飲みたいというので、キッチンに連れて行った。
そして、ここはオフィスだから、用がないのに入ってはいけない。
ここから先は、小学校に行っていない子供は、ママか誰か大人と一緒でないと入ってはいけない。
などの約束事を、手をつかんだまま、教えた。
どうして、そういう事が決まっているのかも説明したら納得して、大人しくキッズルームに行ったので
私もついて行って、ママの入門クラスが終わるまで、一緒にブロックをして遊んだ。
キッズルームには、子供やママたちが何人か残って居ましたが、だんだんに帰って行ってしまって
最後は私と坊やの二人になって、楽しく遊んでいました。
キッズルームには、スタッフがいますが、礼拝が終われば責任は終わりです。
誰もこの子供の世話を頼まれていない様子だったので、私が面倒を見ると覚悟した。
入門クラスから出て来たママに子供を引き渡して、私の奉仕は終了ということにしました。
その後、ミーティングを終えて帰ろうと玄関に行くと、まだその親子は副牧師と立ち話を続けていました。
よほど聞いてもらいたい話があるのでしょう。
彼女は、せっかく救われて受洗したのに、教会生活が恵まれていない様子です。
ご主人は海外に単身赴任。超高学歴の綺麗な婦人ですが信仰生活が混乱している様子でした。
主日礼拝で語られたことばを思い起こす、私にとっては訓練の時でした。
そのママは私達の教会の遠隔地会員でもなく、客員でもない方ですが、主イエス・キリストを信じるクリスチャンです。
Ⅰコリ
12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
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