ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

ヨハネ17:6-11 説教予習

2021-03-13 21:25:57 | ヨハネの福音書

明日の礼拝説教個所を読んだら、下さった」という言葉が7回もでてきている。
どれも同じ言葉なので、誰が、誰に、何を、下さった・与えたと言っているのかをまとめてみた。

その結果、私達がみことばを保って、父なる神の御名の中に保たれるようにと、イエス様はとりなしてくださっているとわかりました。

 

6節 あなた(父)が   /わたし(御子) に    / 人々を                 /下さった(アオリスト)

6節 あなた(父)が  /わたし(御子)に    /   彼らを            / 下さいました(アオリスト)

7節 あなた(父)が  /わたし(御子)に  / みな何事も          / 下さった(完了形) 

8節 あなた(父)が  /わたし(御子)に  / みことばレーマを  /下さった(完了形)

8節 わたし(御子)が / 彼らに    /  みことばレーマを   /与えた(完了形)

9節 あなた(父)が  /わたし(御子) に /   (人々を)                /下さった(完了形)

11節 あなた(父)が /わたし(御子) に /  あなたの御名を   /下さった(完了形)


 17:6 わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことば守りました。
 17:7 いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。
 17:8 それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。
 17:9 わたしは彼らのためにお願いします。世のために ではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものからです。
 17:10 わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました
 17:11 わたしはもう世になくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7章1-5節の間にも 下さる・与えるという言葉が出ていたので、これもまとめる

2節 あなた(父)が  /彼(御子)に  /  権威を  / 下得た(アオリスト)

2節 あなた(父)が  /彼(御子)に    /  すべての者を        / 下えた(完了形)

2節  あなた(父)が  /彼らに      /  永遠のいのちを        /お与えになる 未来形・接続法

4節 あなた(父)が /わたし(御子) に /  わざ・働きを   / 与えた(完了形)


17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください
 17:2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
 17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
 17:4 あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
 17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

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ヨハネ17:1-5 神の栄光を現す入院生活

2021-02-25 17:02:42 | ヨハネの福音書

説教から学んだこと

十字架上の死は、神の栄光の究極的現われです
天地創造の前から持っておられた栄光をイエスは捨てて、地上に降誕された。
これから、イエスはみことばを父のみこころ通りに語り、神の子であることを証明する奇蹟をなさった。父なる神に復活させられたこと、人々の前に現われたこと、昇天されたこと、これらももちろん神の栄光の現われです。
もう一つ、聖霊降臨も、大きな神の栄光の現われです。

私の霊的状況

クリスチャンがキリストの栄光を現す時というのは、何か善いことをする時、上手く事が運んでいる時、人からハッピーそうに見られる時かと思い違いをしていました。
福音のために、迫害を受けたりして、苦しんでいる時、神を知らない人には見えない神の栄光が現される時です。
その最高レベルは殉教ですが、なかなか日本ではそのような機会はないが。

応答・恵み・あかし

土曜日の深夜から主日の未明まで、激しい腹痛と下血があったので、救急車を頼んで、病院に運んでもらいました。
絶食と安静で5日間、今は腹痛も下血もなくなって、回復食が始まるのを待っています。モーセ、イザヤ、イエス・キリスト、私の教会の牧師がなさった断食を、私も体験できて光栄です。


教会の兄姉が、家から必要なものを取り出して届けてくださってコロナで面談はできないけど、みごとに不自由はありません。昨日はポケットWi-Fi,今日はパソコンが届けられました。

祈られて、支えられてばかりではもったいないからと、一人一人から祈祷課題を送ってもらって、時間をかけて考えながら祈りました。どんな時も主がともにおられるので、楽しく嬉しい入院生活で、神様からの特別な賜物・恵みの時です。

祈り、分かち合い、入力奉仕。痛みや苦しみがあっても、任せ、ゆだね、仕える姿勢でいるから、神の栄光を神が現してくださることでしょう。二人の看護婦さんが、テーブルの上の聖書を見て、部屋にしばらく居て、真剣に話を聞いてくれたことは、とても嬉しいことでした。

神の栄光の現われとして、私は聖霊が内住してくださって神の神殿となったものですし、
召されたら、神の栄光を現して復活されたイエス・キリストにあずかって、私も復活させられて、天に入れられる希望を持っているのですから。神様を知らない人には決して見えないけれど、召されるその時まで神の栄光を現す生き方をしたいです

 

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ヨハネ16 私はひとりではありません

2021-02-12 18:06:22 | ヨハネの福音書

ヨハネ16章29~33節からの、原典連続講解説教の分かち合い

分かったこと、学んだこと

1、学んだこと
復活を信じ、聖霊に満たされたら、信仰生活は当然、前進するというものではない.
患難、迫害、問題を通ってこそ、本当に成長していくものです。世にあっては患難がありますは、「持つ」の現在形です。

2、私自身の霊的状態
田舎から教会の近くに引っ越して来た時に、迫害や問題があったが、もはや卒業したようなもので、後は迫害や問題はないだろうと、高を括っていました。

3、恵み、祝福
イエス様は「わたしはすでに世に勝ったのです」と完了形で宣言されています。神の言葉は時を超えているので、イエス・キリストにすでについている者は、問題の只中にあっても、すでに世に、サタンに勝利していることを確信した。だから、恐れることはないので、勇敢でいられる。勇気が出ます。これから起こるかも知れない問題にしっかり対峙しようという思いになりました。

もし、コロナになって、完全に隔離されて、そのまま死に向かうことになっても、イエス様が言われたように
「私はひとりではありません。父が、イエス・キリストが、聖霊がわたしといっしょにおられるからです。」
と、平安のうちに、告白できますように。日頃から常に三位一体の主とともにいることを覚えたいです

 


ヨハ
16:32 見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。
 16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

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神様から叱られてしまった

2020-12-23 15:26:59 | ヨハネの福音書
礼拝の後、罪について、私に誤りを認めさせました。
 以前は、礼拝後に、牧師を囲んで分かち合う会に出ていたのですが、コロナ禍になって、信徒同士で分かち合うようになっていた。
 先日は、分かち合いの相手の都合で後日Zoomでやることになり、牧師との会に出席できるのに、あえて自宅に帰ってしまった。
 帰宅後、自分は牧師や最近救われた方の前に出ることを避けようとしていたのであって、それは神様から離れようとしていた罪であることが示されて、すぐに自宅を出て、教会に戻った。(教会と自宅はすぐ近く)
 これで、すぐにまた教会に戻って、始まっていた会に入って行きました。
 
聖霊は義について、私に誤りを認めさせました。
 早朝から受付奉仕をして、夕方からはキャロリングに行くのだから、少しくらい自宅でくつろぐ時間を取っても間違いはないでしょう。それに説教の後、応答の祈りを求められた時に、私も立って祈ったのだから、もういいでしょう。という思いがありました。
 それは、行動によって、自分を自分で義としている律法主義的な発想であって、信仰による義に生きる者としては間違っていたと、認めさせられました。
 飼葉おけで寝かされていたみどり子が象徴するように、みことばをガツガツと食べて、よく味わい消化して、生活に生かせるまで、みことばの深みを知って行きたいと思いました。
 
聖霊は、さばきについて、私に誤りを認めさせました
キリストが罪に裁いた者は、サタン、悪霊、その支配の中にいる者。
キリストに罪が赦されている者は、キリストとともにすでに勝利しており、サタン・悪霊を追い出すようになる。
 私は最近、夜中にユーチューブを見るようになり、睡眠不足になるほどにユーチューブから罪の誘惑に負けていたことを認めさせられました。
 このような生活を続けるなら、キリストから「サタンよ、下がれ!」と言われることになると恐れました。
 
ヨハネの福音書 16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
 
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イエス・キリストがなさった二つのこと

2020-12-22 21:16:31 | ヨハネの福音書
牧師が説教の中で、
イエス・キリストは、その公生涯で二つのことをされた。それは・・・と話始めた。
 
 
 
ひとつは、ご自分が神の子であることの証拠としての奇蹟をたくさんしたこと。
それから、正しく歩む道を教えた。
 
 
ここで、私は①奇蹟を行なったこと  ②語り教えたこと
この二つかと思ったら、続けて話された。
 
 
もう一つは、ついて来た少人数の弟子達を訓練することでした
 
 
と言われました。
 
 
そういえば、公生涯が始まってすぐに弟子をリクルートしたし
福音書の終わりの方は、ずっと弟子訓練をなさっていた。
私にはこの二つ目のポイントの理解が欠けていました。
 
 
 
トンチンカンな受け答えをしていた弟子達であったが、イエス様の昇天の後は、キリストが天から遣わした聖霊を受けて、聖霊に満たされて、その力によって、弟子たちが世界中に宣教をして、教会をたてていくことになった。
 
 
 
私は、聖霊が語りかけることはを聞いて、理解して、そして与えられた教会奉仕を従順にしていたら良いかな~~と思っていたことが不十分だったと悔い改めました。仕えながら、忠実に弟子訓練を受けることを意識してやっていこうと思います。自分がキリストに似た者へと変えられていくことを望みます
 
----それだけでも不十分です。
 
 
自分自身も、天に召される最後の日まで弟子訓練を授ける方向に進む者へと、変えられ成長していけることを求めます。そこには希望があることに感謝します。弟子がキリストに似た者に変えられていくように励まします。
 
 
新天新地に入れらて、天国で永遠に神に奉仕して生きる。ーーーああ、その日が待ち遠しい。憧れます。
その日までは地上で、三位一体の神様がいつも共にいて、一歩一歩を導いてくださって、まるで天国にいるような平安な喜びと感謝な生活を送っていけます。
 
この一年を振り返ると、コロナ禍の中ではありましたが、喜びと感謝のあふれた日々でした。
 
 
来年は、さらに、再臨の日を待ちながら、みこころにかなった者へと変えられて、成長させられ、兄弟姉妹がともに一致して、チャレンジ答えて前進する一年になったらいいな~~と思います。
 
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