すぐ近くにある世界:野鳥,昆虫,航空機などの写真

都市部の近隣でも身近で見られる野鳥を中心に、
捏造(餌付け、ヤラセ)のない「本当の世界」の
写真を載せています。

「写真の嘘」と『嘘の写真』は 全く違う

2020年08月13日 | その他(鈴木彩子,アマビエ様風味?,雑記など)
初歩的なことですが、 前記事からの関連も ちょっとあって...

写真では、 写っているもの自体は 同じ情景でも、 四角い(←たいていの場合)枠の中に どう切り抜いてくるかが違えば、 見た人が思い描く印象が違ってくる。
それを意識して“写真”としての構成を考えるのは、 実際の ありのままを写した 非演出の ドキュメンタリー的な写真でも必要な、 視覚での“表現”としての 基本的な要素。

鳥の写真だと、 たとえば、 背景が 植物の緑に満ちていれば、 その撮影地が 自然豊かな環境のような印象を 持たれがちだろう、・・・が、 もしかすると、 背景を満たしている 植物の緑は 超望遠の とても狭い画角の ギリギリ1枚分だけしかない部分に 上手く重ねたもので、 その撮影地の実際は 殆ど 誰が見ても 自然豊かな印象を持つとは思えないような場所 、ということも あり得る、が、 写真を見るだけでは、 写っている状況の実際を知れる方法は ない。
こういう類のことは、 とても躍動的なシーンのようでも 実際は それほどでもない、とか、 大きさのイメージが 実際とは ずいぶん違って見える、とか、 ごく簡単なものから 多岐にわたる方法で 無数にある。

だから、 写真には、 (写された現場は見ていなくて、写真だけで)見た人が思い描く印象は 必ずしも 正しいとは限らない、とか、 その 実際とは違う印象を持つのは (偶発の場合もあるが) 撮影者の意図で 誘導されていることもある、という面がある。
そして、 これは、 同じ状況を撮るのでも、 “上手い人”ほど、“そうではない面々”の、 写真の表現としての要素には スタートラインすら見えていないような、 文言で表せは 「○○が写っている」と言えなくはないだけで 撮影に『成功』したと 達成感と優越感に満たされて 万歳でゴールしていられる 門外漢の理解では 想像できない写真を撮れる、という部分でもある。

そういった部分を、 撮影者の 写真自体でのスキル的な表現力・・・、 撮ろうとする状況自体の選択、 フレミング(撮影位置・画角・構図の選択)、 光の状態、 動きの中でのタイミング、 絞りやシャッター速度の加減、 明るさ・コントラスト・色調の加減、 etc... の効果で誘導されたものも含めて、 「写真の嘘」 「写真は嘘をつく」とか (“写真”の漢字表記に掛けた ダジャレ的に)「写っているものが真実ではない」といった類の言い方をすることもある。
これは、 ヤラセや合成の 『嘘の写真(写っているもの自体が嘘)』 『真実ではないものが写っている』のとは、 本質的に 意味が全く違うこと。

だから、 実際の ありのままを写した写真で 「(自然豊かな場所みたいですが、) それは 写真の嘘で、 ...」のような 説明がされていることも あり得る。
それを、 ありがちな、 ヤラセや合成での 捏造と 同じような単語が含まれる文言で表せるという 極度に断片的すぎる要素だけでの 間違った理解で混同してしまうのなら、 それは、 自身が (写真だけに限らず) 何でも 捏造した見せ掛けで ごまかすことしか考えられない 醜い存在だから、 他者も皆が 自身と同じだと 勝手に決めつけてしまっているだけの 愚かな思考だろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿