すぐ近くにある世界:野鳥,昆虫,航空機などの写真

都市部の近隣でも身近で見られる野鳥を中心に、
捏造(餌付け、ヤラセ)のない「本当の世界」の
写真を載せています。

ANA機 着陸

2020年11月21日 | 航空機
まだ 引き続き、 伊丹スカイパークに 最初に行った時の分。

また、 とりあえず 離陸よりは 写し方をイメージし易い 着陸の観察に戻ってみる...











やはり、 背景に 目立つ白い壁が入るのは 画的に良くないと思うが...

動物写真なら、 総じて背景が悪い場所にも、 頻度は少なくても 稀な幸運に当たれば 良い構図で撮れる選択肢があったりもする。
でも、 空港での飛行機を写す構図は、 いくつかの“組み合わせを変えられないセット”の中からしか選べない。

横に長い帯状の物は、 スローシャッターで流しても 薄められないし...
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オオタカ飛翔●●お手軽「鳥の写真バッジ」が作れます●●/これまでにも書いていることですが...

2020年11月14日 | ●●お手軽「鳥の写真バッジ」が作れます●● 写真の一覧
何がどう、という画でもないながら x x x “静体”的な帆翔ではない “動体”の飛行シーン。
まぁ、 こういうのを写しても リアル世界での使い道は 殆ど無いのは カメラを構える前から すでにわかっているわけで、 そもそも こういう画を写すことを期待して やっているのではないが x x x



●●お手軽「鳥の写真バッジ」が作れます●●
→ 作り方は、 ページ左側[カテゴリー]欄の 『●●お手軽「写真バッジ」が作れます●● 作り方の説明』を参照。

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野鳥写真に適したシーズンを 秋冬と思っている向きも多いのかも。
でも、 これから向かっていく冬には 風景が枯れて 色鮮やかな写りにはならないもの。

それでも、 もちろん、 冬鳥 = 冬季にしか見られない種類は多いし、 春夏にも見られる留鳥でも 冬季には狙えても 夏季には期待が低いシーンなど、 写せる時に写しておかないと その写真を得られないものには、 それを狙いたいモティベーションは 高く持てる。

対して、 留鳥が ただ写っているだけでは、 解像感としては鮮明に写せたところで、 春夏に写せたのと比べれば 価値は 遥かに低い。
・・・ というか、 「○○がいた」とか 「○○を見たことがある」の証拠写真を “鳥の写真を写す”ことだと思っている向きには 目的を全て満たして 万歳で完結していても、 それとは違う意向で “鳥の写真を撮っている人”にとっては、 冬季に どれだけ多数を写していても、 春夏に一度でも写せれば、 もう 冬季に写していた意味は 実質的に消え去って、 全て 元々写していないのと同じに帰すことになるだけで、 積極的なモティベーションは 持てない季節。

なのだが・・・、 これからの時期は、 オオタカを、 うんと遠くでまで いちいち ありがたがる撮影会の集いも 目立ちがちなのが 毎年のこと。
各地のどこででも見られる留鳥を、 冬季に、 毎回 殆ど同じに ただ写っているだけで 延々と喜び続けていられる面々には、 オオタカの 何が魅力なのか・・・

オオタカも含めた 鷲鷹の類は、 飛翔写真というだけでよければ、 必要なスキルは とても低いレベルで 充分に写せる。
なので、 機材さえあれば 誰にでも写せて、 その写真の優劣には、 撮影者のスキルよりも 機材の差が そのまま表れる要素が大きい。
こういう特徴は “カワセミ写真”とも共通して、 鳥の写真を撮ることへの 自身の能力を向上させる努力をすることもなく 知識もスキルも乏しいままで、 それでいて、 最初から すぐに ご自慢するネタは得たい面々にとっては 『写せる結果を金で買える』ことで 都合が良い鳥ではあるだろうが・・・

初歩的なことだが、 飛翔写真を写すことは、 鳥の写真を写すことでの優劣と 直結する要素ではない。
“とまり”だけを写していても、 鳥の写真を撮るのが上手い人もいれば 下手な面々もいる。
飛翔写真を多数写していても、 鳥の写真を撮るのが上手い人もいれば 下手な面々もいる。

とはいえ、 鳥において 飛ぶことは特徴的な能力であり、 また、 飛翔写真も撮れるスキルが高ければ 期待できる写真のバリエーションが広がるので、 象徴的な要素として 羨望されがち。
だから、 飛翔写真を写せることが “鳥の写真を撮るのが上手い”と 思い違いをしている向きも 多いように見える。
そこから、 写真を文言に置き換えれば 「飛んでいる鳥が写っている」と表すのが 完全に違うとまでは いえないけれど... な愚作で 舞い上がってしまって・・・と なりがち。

その思い違いと 写真自体への無知、 そして 鳥には門外漢の誤ったイメージでありがたがられる種名との総合で、 豆粒ほどのケツ写真でまで 「“あの”オオタカの飛翔写真の撮影にまでも『成功』したぁ~」と 自身を祀り上げた幻想に浸っている面々同士だけでの 滑稽な集いが形成されているのが、 毎度毎度のお噺。

写した写真の自己評価の基準は それぞれ次第で 千差万別・・・ というか、 自画自賛の内容も、 その根拠として語られる ご解説も、 全てが 自称で、 世の中全体と照らした 広い観点での客観性があるとは限らない。
なので、 鳥には門外漢の同類さん同士だけでの集いの面々にとっては、 “鳥の写真を撮っている人”の感覚では 写っていたところで価値もない“ゴミ写真”にすらも 遥かに及ばないものでも 高等すぎて 想像することもできないことで、 全く稚拙すぎるものを 格別に優れたものとして ご自慢し合って 称え合うことが成立して、 優越感の幻想に浸り続けることになる。

もちろん、 それが 他者から見れば どれだけ稚拙で お恥ずかしいお姿でも、 自分の中だけ、同類さん同士だけでの内輪の中だけ、で ご満悦でいるだけなら それぞれのご自由・・・ ではあるのだが・・・

そういう面々となると、 周囲の人にとっては 写したところで あまりに無価値で 馬鹿馬鹿しすぎるから 当然に 平然とスルーしているものまで いちいち大量激写しては、 あべこべに
「他の皆が 誰も見つけられない “あの”オオタカを見つけることにまでも 『成功』した」
「他の皆が 難しすぎて カメラを構えることすら諦めてしまっているほどものものまでも 撮影に『成功』した」
と はしゃぎ合って、 ますます お幸せな幻想を広げてしまうのも 定番中の定番。
そして、 門外漢だからこその幻想でしかない優越感を駆って、 ますます 得意満面に、 ますます (自身の方が 周囲より 圧倒的に 超絶に 優れているつもりで) 周囲の皆の為に、と 使命感に燃えて、 ますます お恥ずかしいご指導の押し売りに お励みになられて 付き纏い続けて・・・、が、 どこのフィールドでも 常に多々いて、 延々と繰り返され続けている情景。

周囲に写真を見せて 「良い写真が写せて よかったですね」的な応接をしてもらえるからといって、 それは、 リアル世界では ごく当然に行なわれている 社交上の形式的な儀礼とか、 (稚拙すぎることがわかっていても) 「あなたにとっては それが良い写真なのなら、」はサイレントして 表立っては聞こえが良い文言で接してあげている “世の中の優しさ”であって、 (自身が発した文言が、 ご自慢をしている、いない、には関係なく、) 世の中とは そういうもの、というだけのこと・・・ なのだが、 何でもお幸せな面々には、 ご勝手に
「私では 一生かけても ただの一度すら 絶対に写せるはずもない、 これほどまでにも素晴らしい写真の撮影に『成功』できるなんて、 凄すぎます!!」
といった、 実際に言われた文言とは いささか違いすぎる、 そして、 極めて高い割合で 限りなく類似したお噺に化けて 聞こえてしまうものらしい。

あるいは、 稚拙すぎるご指導を押し売りして、 「そんな(無駄な|くだらない|マヌケな|etc...)ものまで 写す必要なんか ないんですよ」と クールにスルーされるのは、 これも 「それを写すのなら 誰にでも簡単にできるけれど、 その程度のものを どれだけ完璧に写せたところで 何の価値もない写真でしかないのだから、」を サイレントした応接・・・ なのだが、 これもまた、 何でもお幸せな面々には、 ご勝手に
「そんなにも 難しすぎるものを写すなんて たとえ何万回挑戦したって永久に不可能で 無駄だとわかりきっているから、 世界中の誰もが カメラを構えることすら諦めているほどものものまで 写そうとする必要なんか ないんですよ」
といった類の、 いつでも 何処でも 毎度毎度 お馴染みの 色々な定型が付け加わった ずいぶん長大な文言に化けてしまって、 あべこべに ご自身が超絶に優秀なつもりの幻想を 事実として再確認してしまう。
はたまた、 それなら サイレントせずに 「それを写すのなら 誰にでも簡単にできるけれど、 その程度のものを どれだけ完璧に写せたところで 何の価値もない写真でしかないだから、 それで良い写真を撮れているつもりでいられること以前に、 そんな くだらない 無駄なものまで 写そうとしているところから もうすでにマヌケすぎるんですよ」と 明言すれば?・・・、 また それはそれで、
「あれほどまでにも素晴らしい写真の撮影にまでも 『成功』しておられる あなたほどものお方にもなれば 簡単にできると思われるのでしょうが、 私程度の者にとっては どれだけ完璧に写せたつもりの写真でも、 あなたほどものお方には 足元にも及ばない 何の価値もない くだらない マヌケすぎる写真にしかならなくて 写そうと挑戦するのも無駄だとわかりきっているから、 カメラを構えることすら 諦めるしかないんですよ」
といった類に 化けてしまうだけの話で...

当たり前すぎることだが・・・
自身が 何かをできたからといって、 それは 「他の誰にもできないことに 『成功』した」のではない。
自身ができたことを 他の人が 誰も 自身のように大はしゃぎしていないからといって、 それは 「他の誰も 『成功』できていない」のではない。
他の人が 誰もやろうとしていないからといって、 それは 「できないから やろうとすることもできない」のではない。
自身には できるとは想像もつかないからといって、 それは 「他の誰にも できていないこと」なのではない。
自身は知らない(見ても理解できない)からといって、 それは 「存在していない」のではない。
自身が知らなかった何かを教えてもらったからといって、 それは 「他の誰も知らないことを 発見した」のではない。
自身は 自身が知っていることは全て知っている(どちらも同じものだから 当たり前 x x x)からといって、 それは 「全てを知っている」のでもなければ 「自身の理解や行動が正しい証明」でもない。
等々・・・

幼児なら、 こういうことが まだ わかっていないのは 普通のこと。
だから、 大人から見れば 他愛もないことをしては 得意げに教えてあげに来たり、 何かを教えてもらうと 得意げに 断片的な単語のいくつかを復唱して 自分が教えてあげた気になって 喜んでいたりするもの。
でも、 一般論としては、 相応の年齢になれば...といっても、 小さな子どもでも その実際が わかるようになっていくこと。

これは、 一般論としては 全く当たり前でも、 相応の年齢になるだけ... つまり 生まれてから 相応の年数が経過するだけで 無条件に得られることではなく、 誰しもが それぞれに、 幼児のうちにおいての経験・・・ 大人から見れば ありきたりな日常の諸々の中で、 気付き、学んで、 わかるようになっていくこと。
だが、 一般論からは外れている、 物理的な外見は 成長しても、 “知的面での特性”で、 そんな 小さな子どもでも わかるのが 当たり前にすぎない程度のことでも (まだ わかるようになれていない 過渡的な段階ではなく、 ずっと) 理解できるようになれない存在として お生まれになった面々もいるのも、 この世界の現実。

いわゆる 健常者なら、 小さな子どもでも、 特に教えられるものだけではない 身の回りの色々な事柄から 自然に様々な 無数の小さな学びを積み重ねて、 より “人”としての あるべき理解を備えて 成長していくもの。
だが、 それが望めない“知的面での特性”をお持ちの面々は、 目の前にある 現実のありのままは理解できず、 それでいて、 自身のご勝手で 一部の断片だけをつまみ出して、 自身のご勝手で 経緯の前後関係や 自身と相手を入れ替えたり ありもしないものも付け加えて、 自身のご勝手で ご都合良く繋ぎ合わせた 実在していないものが 見えて、聞こえてしまうことで、 その 自身のご勝手で創作した支離滅裂な妄想を 現実として理解した学びを 積み重ね続けてしまう。
これは、 思考や言動に表れるパターンが、 “お幸せな自己陶酔”だけでなく、 自身が愚行をしておいて他者の所為にするとか 元から実在しないものが そのまま無いだけが 無くなった(盗まれた)ことになるといった “被害者嗜好の実現”でも、 自身が優れていて 正しいことになっている設定から先の嗜好が違うだけで、 自身の願望にご都合が良く作った妄想世界に暮らしている 本質的な構造は 全く同じだろう。

当然ながら、 そういう“知的面での特性”をお持ちの面々が リアル世界の実際とは無関係な理解をしてしまうのは、 鳥や 写真のような 特定の要素に関してだけに限られるはずはなく、 日常の あらゆる全てで、 物理的には リアル世界にありながら、 リアル世界の実際とは違う妄想世界が 見えて、聞こえて 暮らしているもの。
そして、 年齢とは無関係に ずっと幼児然とした理解と言動のまま、 いわゆる健常者での成長とは むしろ 逆方向、 周囲への迷惑が 更に一層 拡大し続ける一途に進行する成長をしてしまう。

言動として『やっていること自体』は同じで、 実際の幼児であれば、 すぐに常識をわきまえた 普通の“人”に成長していく過程での 今だけの一時しかない 可愛らしい情景として 好意的に微笑ましく見られる振る舞いでも、 それが“知的面での特性”で、となると、 周囲は そこに隣接する状況になるだけでも 社会的なマナーやモラルにおいて 著しく神経質にならざるを得ない。
そして、 それが、 幼児や 認知症での事象とは 全く比較にならない 遥かに長期間の 何十年も ずっと続く。

(前記の繰り返しにもなるが)
そういう面々が、 いつでも例外なく 過去の実際の現実を憶えていない(実際とは違うことを言い張る)からといって、 記憶すること自体ができないのではなく、 現実とは違う妄想を 現実として理解した記憶を積み上げているもの。
また、 言動や その基になる 物事の見え方に 幼児との類似性が多く、 あるいは、 知能が幼児程度と表すことが 当てはまる部分が多くあるからといって、 幼児のように 幼児程度の知能での理解力ならあるのとは 事情が根本的に違う。

そのため、 外的に表れている言動の 断片的な要素だけしか見えていない “知的面での特性”への理解を欠いた 軽率なご親切で、 幼児も含めた“人”への接し方としてなら真っ当な 「事実を正しく述べて 丁寧に諭す」ようなことをするのは、 無駄・・・ なだけでは済まず、 より一層の 支離滅裂な理解で ご自身を祀り上げた お幸せな妄想 あるいは あべこべな被害妄想を拡げて、 より一層の 使命感や 正義感での 迷惑な言動に駆り立てさせることの助長になる。
これは、 直接的に 迷惑なことをするのは 自身ではなくても、 その親切のつもりこそが、 周囲の人であり 世の中でありへの 無責任な迷惑行為にもなる。

だから、 周囲の いわゆる健常者の殆どは、 そういう面々の言動で 多くの迷惑を被っていてもなお、 社会的通念として 周囲の方が 犠牲を強いられてまでの 配慮した対応を求められざるを得ない対象だと わかっているからこそ、 福祉的観点からの対応をしているのもの。

だからこそ、 “世の中の優しさ”に浸かって暮らしている お幸せな面々は、 ずっと お恥ずかしい言動を晒せば晒すほど ますますご満悦で...の 無限ループで、 お恥ずかしい言動を晒し続けることが お幸せでいられて、 お幸せにお恥ずかしい言動を晒し続けることに なるのだが。

鳥関連に戻って・・・

経験として、 カワセミ等の 他のどんな鳥でも同じだが、 各地で盛況な、 ありがたがられる鳥をお目当てにした撮影会で 賑やかに語り合われている 華々しい盛大な文言で飾り付けられたご自慢とご解説の内容が、 そもそも 実在しない...というか、 殆どが 多重に矛盾して実在しようがない、 幻想世界に暮らしている面々の お幸せな妄想噺でしかないことに、 例外があるとは思えない。

いわゆる健常者なら、 いわゆる(知的面での)健常者には あり得るはずがない言動をしている対象が、 いわゆる健常者では あり得ないことは、 当たり前に わかること。
妄想世界に暮らしている面々に 社交上の配慮として 形式的には その言動に沿っているかのような応接をしてあげるからといって、 そのお噺を 真に受けているのとは、 全く違うこと。
妄想世界に暮らしている面々の言動 あるいは 存在自体を そっとスルーして 話題に挙げることがないからといって、 その実際がわかっていないのとは、 全く違うこと。

お幸せな幻想世界に暮らしている面々同士だけで 得意満面に語り合われているお噺が 何の実態もないことにすら気付けずに 真に受けて 復唱し合い、 その集いでの設定に沿った評価で 称え合っていられるのでは、 それらとは別の “鳥の写真を撮っている人”とは あらゆる物事が 根本から全く違う世界が 見えて、聞こえている存在だからだろう。
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J-AIR機 着陸|少し近付きつつも、の遠めも確認...

2020年11月13日 | 航空機
園内の 中央辺りから... か?















トリミング後の画角が 1000mmちょっと相当の画。

前記事の写真と比べると 着陸する位置に近付いている分 大きく写る...
のだが、 飛行機が小さい機種だったので、 ぱっと見の印象は それほど違わなく見えるかも。
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ANA機 着陸|遠くからだと...

2020年11月10日 | 航空機
園内の 北の方に移動。 着陸する位置からは ずいぶん遠い。

飛行機は、 鳥など 動物よりも 形の変化が少ない。
漫然と ただ写すだけでは、 どの状況でも 動物以上に 似たような感じになりがちで 狙い方をイメージし難い印象がある。

その点では、 接地してタイヤから煙が出るシーンは、 状況が わかり易い要素。
そして、 写すタイミングを 被写体の方から合図してくれているようなところも、 素人にも 狙い易い。





背景は、 白い“壁”からは外せるが、 代わりに 街並みに重なる。
これはこれで 雑然とした印象もあるが... 仕方ないところ。

トリミング後の画角が 約1000mm相当の画。
ちゃんとした写真として写そうとするなら お手軽な望遠ズームにとっては 遠いが...
まずは、 どう写るのかを確認しておく、という段階なので。
でも、 大きな超望遠レンズというほどではない機材でも、 小さいめのプリントや ネットに載せる程度でなら 使える範囲?

距離が遠いので 揺らいで写る加減が大きくなるのが、 視覚的な効果に使える位になるだろうか。
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J-AIR機同士|空と地上と

2020年11月07日 | 航空機
伊丹スカイパークからの 伊丹空港の写真。
引き続き、 最初に行った時の分。







上は 着陸機。 スカイパークからは遠い側になる 短い方の滑走路に向かって 降下しているところ。

下は 離陸に向けて 長い方の滑走路に移動中。
滑走をスタートする位置は ターミナルから遠いので、 長い距離を ゆっくり自走していくのには かなり時間がかかる。

事前に決まっている定刻があって 必ず所定の動きで運航されているのが、 鳥などの自然での動物写真とは 事情が違うところ。
でも、 実際の運航は 定刻とは かなり前後することも多い。
微妙なタイミングで 状況が大きく違ってくるシーンは、 その時の 巡り合わせ次第。
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JAL機 着陸|まだ観察...

2020年11月06日 | 航空機
引き続き、 同じ繰り返しで 着陸を観察...









接近してくると 遠近感が変わることに対応するイメージの確認なんかも。
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JAL機 着陸|とにかく観察...

2020年11月03日 | 航空機
前記事から続いて...
この週末にも行ってきたんですが、 最初に行った時の分。
まぁ、 これからも 意図的に ド素人態勢で、 自分で見て 写したいものを 自分なりに探すのは 変わらず。









意識としては、 写真を写す目的よりは、 基礎的な状況を確認しておく観察、という感じ。
どういう状況があるのか、とか、 接地する位置が どれ位 前後するのか、とか...
どう写せるのかを考えるにも、 まだ、 その基になる ごく初歩的な情報から 何もないので x x x
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JAL oneworld B777|伊丹空港・伊丹スカイパークに行ってみた

2020年10月31日 | 航空機
このところ ずっと、 鳥写真が 全く期待できそうになくて、 これでは “時間の無駄”感が強すぎる状況続き x x x
なので、 前の週ですが、 今までやっていないことをしてみるのも ありかな、ということで、 午後は 伊丹空港に行ってみることに。
今回は、 伊丹スカイパークへ。

まぁ、 初めての行動なので、 写真を撮りに、というよりは、 まずは、 どんな場所なのか、や、 現地までのルート選択の良し悪しの確認から・・・ といった感じ。
持って行ったレンズは、 いわゆる ダブルズームキットでのセットになっている 安価な部類の 小さくて軽い望遠ズーム 1本だけ。

予備知識を仕入れておいて模倣するのではなくて、 自分で見ての写したいイメージを探すように、 先に調べておく情報は 意識的に 最小限にしている。
知識や理解を深めるのは 後からできても、 完全なド素人の見方ができるのは 最初だけしかない。
そこを潰さずに経験しておくのは、 多少の無駄をしても 価値があるだろう・・・ と思うのだが、 まぁ、 当然、 状況がわからない。
滑走路沿いに 長い公園を、 とりあえず ひと通り歩いて 見て回りながら、といったところでの、 JAL機の着陸。





いかにも 素人サンっぽい・・・ というか、 実際が この撮影テーマでの経験値が全くない 素人なので x x x
背景が良くないも 他の場所では違うかも。
何をやるのでも、 最初は トライ アンド エラーの積み上げになるものだが、 まだ、 トライした結果は... というよりも、 トライを始めるためには まずは 基礎情報を確認しておかないと、といった段階。



1時間ちょっと後。
離陸への滑走中・・・ といっても、 これでは、 とまっているのと 殆ど違わない画だが x x x
構図が傾いていたので 画像を修正 x x x
空背景の飛翔写真なら気付きようもない 0.5度の傾きでも とても目立ってしまう。

滑走路が近いので、 これだけ長い機体を真横からだと、 今回持って行った望遠ズームでは 一番広い画角(中望遠域)でも、 完全に合わせることができれば ギリギリ入りきるか、だった。

この背景になるのは・・・、 園内の 北の端辺りか。
他の機種なら、 ここの前では もう上昇し始める前後。
でも、 大きくて重いB777が飛び立つには 長い滑走が必要で、 まだ機首も上がっていないことで、 背景のうるさい(雑然としていて見難くなる)部分が 長い機体で隠れている。

日中は 静止画の写真では 難が多そうな印象だったが...
今回は殆ど試さなかった後ろ姿では 背景を整理できるアングルはあるのか?
この辺も 探ってみる候補の1つ?
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青空と雲に 高空の飛行機

2020年10月29日 | 航空機




雲と雲の 切れ間に。
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高空の飛行機|下面にも...

2020年10月24日 | 航空機
ほぼ下面だけしか見えない角度からでは、 各社 あまり違いがない 質素な無地風味になるカラーリングが多い中で...



他では デザインとして あまり意識されていなそうなところに 色や線が いくつか明瞭に入っていると、 ちょっと個性的に見える。
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リアル世界(現実世界)に ちゃんと実在している本来の情景のままを写した、 “人の勝手な嗜好に合うように状況を作為的に改変して創作された虚構”のない 絶対非演出スナップです。

野鳥写真:大空を自在に翔ける飛翔写真 = 鳥の行動で「最も鳥らしい特徴が表れた魅力」とも言える 飛ぶ姿を中心に、 カワセミ(翡翠),オオタカなど猛禽類(鷹)といった人気の種類から バードウォッチングで“ものさし鳥”にも使われる普通種まで 幅広く。 多くは ネイチャーフォト系や動物写真系のフォトコンテストでの入選・入賞が出ている場所でのものです。 (撮影地は記載しません)
他に、 昆虫写真や ネコ写真(野良ねこ写真)、 航空機 など...
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