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鈴木彩子『BORO BORO』(5thアルバム)

2020年12月19日 | その他(鈴木彩子,アマビエ様風味?,雑記など)
前回からは かなり間が空きましたが・・・
ビクターから 鈴木彩子名義のCDで出ていた分の 全作品が、 配信に対応したとのことで...

今回は、 5thアルバム『BORO BORO』について。

前に、 『ALL TIME BEST ALBUM』で 「希望の鐘」を挙げた時に書いたのと 同じ話ですが...

このアルバムを最初に聴いた時に思った印象は、 四半世紀位経っている今でも、 とてもよく憶えている。
といっても、 印象が良かったのではない。
一言一句 そのまま文字にすれば、 「このCD、叩き割ったろか」だった x x x
そして、 思っただけではなくて、 叩き割りはしなくても、 叩き割るような振りもした x x x

でも、 最悪な印象にも、 何か 引っかかるものがあった...のだろうか・・・
その後も、 何度か聴いている中で、 評価が 大きく転換して、 とても重要な位置を占める作品になるのだから、 最初の 一度や数度での印象は、 浅い理解にすぎなくて、 そう確かなものではないということだろう。
まぁ、 今となっては、 あの時 叩き割らなくてよかったと思う x x x


Generation
この曲を どう評価するか・・・
単独で見ると、 希望を 高らかに歌う スケールの大きい曲と見ることもできるだろうが、 キレイ事を並べただけの リアル感がない 薄っぺらな印象になるかもしれない。
個人的には、 後者の印象が強かったことが、 最初の 印象の悪さの一端になっていただろうと思う。

でも、 どこまで意図された狙いだったのかは わからないが、 アルバムの1曲目として、 最後の 「希望の鐘」との関連を意識すると、 とても重要な意味があるように見えてくる。
そして、 キレイ事にすぎないとも思える言葉も、 アルバム全体でのメッセージ性に重要な曲になっていると感じられる。


ミステリー~運命(さだめ)~
2ndアルバム 『明日へつながる道』の時に 少しだけ触れましたが...
このアーティストの曲では、 家族に類する要素が描かれることは とても少ない。
この曲の中では、 その要因として 特にナーバスな部分だろう“父”の姿が、 直接的な文言としては ほんの一瞬だけ描かれている。
その視線の冷たさは、 とてもリアルなものだろう。

この詞の全体で描かれているものとして思い浮かぶ世界観は、 それぞれ自身の経験で 大きく違うのかもしれない。
自分としては、 家庭環境的な要因での困難がある状況では 対外的な関係で 日常の様々な場面で無数に経験することで 見えてしまう、 いくつか特定のエピソードそのものというよりも、 その根源にある 大きく深く重い“社会の歪み”...、 (自身では 諸々のコンプレックスはあっても) どこにでもありふれた程度には恵まれた環境で暮らしていれば 気付けないらしい、 自身では概ね良識的で健全と信じられているタテマエと 現実の思考とが 全く矛盾した行動での 不条理に満ちた社会の、 “人”の醜さや哀しさも 含まれていると感じるのだが・・・
その“社会の歪み”を構成している側での経験しかなければ、 曲の表現としての重さに バランスが取れていないような 違和感があるかもしれない。


BORO BORO
この曲名なので、 ハッピーな曲ではないが...
サウンドは コミカルな感じもあって、 ネガティブとも見られがちな 重さがある感情も ストレートな言葉で表されている部分もありながらも、
 電信柱に登って 喜んだのはガキの頃
 国会議事堂に登り 喜ばせてあげようか
あたりの言い回しとも併せて、 ちょっと 茶化したような、 他とは 少し趣きが違う印象の曲にも思う。


希望の鐘
前にも書いた通り...
この曲を 最初に聴いた時の印象は、 腹立たしいほどに スカスカで カっスカスな評価だった。
それが、 かなりの後になって、 いくつかの要素から視点が広がって、 感動する曲に 大転換した・・・

この曲は、 アルバム全体を通して聴くことで、 意味 そして 価値が 格段に高くなる曲だと思う。
それが 同時に、 アルバム内の 他の曲で描かれている世界観の意味やメッセージ、 そして、 重さのある心情にも向き合ってこその、 その先にあるべき 希望へのイメージが強められる構成になっていると感じる。

このアーティストは 聴く側が 決まった振り付けで動くことを求められるようなスタイルではないのだが、 このアルバムを 厚く聴いてきた人なら、 この曲の 前奏、間奏、アウトロでは 腕を振り上げることに 自然と一致するはず。
でも、 この曲の詞には、 そういう文言は 歌われていない。
それでも、 このアーティスト自身の声で 聞いたはず... それは 何処で...

他にもあるが・・・、 そこを 既に知って聴いてきた人なら、 この曲だけを切り出して聴いても感じられることも、 そこを まだ知らないで この曲だけを聞いても、 印象も 評価も、 ずいぶん 違うものにしかならないだろう。
だから、 このアルバムを通して聴くことをしないのでは 勿体ない... と思う。

そして、 このアルバムを厚く聴けば、 音楽という手法が 「アート(芸術)」・・・、 単に 芸事を披露するだけではない 「芸的な術を用いての メッセージ的な表現」をできるものだからこそ、 それをする人が「アーティスト」と呼ばれる 本質的な意味の一端を感じることができる作品になっていると思う。


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