枯野

写真の楽しみ

連続と断絶-8.15の意味

2005-06-16 | 雑文

                             権現山公園(北品川)

 

               戦後60年目の8.15   

 丸山真男が、敗戦後、51年が過ぎた8月15日に肝臓癌で82歳の生涯を閉じたのは、偶然とはいえ、戦後民主主義思想を代弁する「進歩的文化人」の最有力な一人であっただけに、いかにも意味深長に思える。戦後の憲法学の一つの理論的支柱として「8月革命説」を提唱した宮沢俊義とともに、8.15を、前者では、「日本帝国主義に終止符が打たれた8.15の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し、今や初めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあった」(「超国家主義の論理と心理」)とし、後者では、「日本の政治の根本的建前が、革命ともいうべき転換を遂げた」と主張された(「8月革命と国民主権主義」)。
 この二人が設定した8.15での戦中と戦後の間の「断絶」こそが、そこをスタートラインとする戦後民主主義の出発点の意味を鮮明に確定し、この二人が、戦後民主主義の代表的な旗手となった所以でもあったわけであるが、実は、その8.15の時点では、二人ともこの決定的な転換を自覚していなかったという指摘がなされている(米谷匡史「丸山真男と戦後日本-戦後民主主義の<始まり>をめぐって」)。 しばらく、この米谷指摘を見てみることにしょう。
 丸山自身が後に回想しているように、戦後初期の彼は、天皇制について、立憲君主制をよしとする戦前の考え方を依然として持続していた(「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」)。しかし、次々とGHQによって民主化政策が打ち出され、天皇制批判の自由化によってさまざまな議論が噴出する状況の中で、既存の価値体系の崩壊と民主化運動の胎動を感じとることになり、マッカーサー草案をもとにした「憲法改正草案要綱」が8.15の翌年3月6日に発表されるに至って、丸山自身の中に「転回」が発生したのであった。すなわち、丸山は、戦中から戦後への決定的な転換を戦後初期には自覚することができず、占領軍の民主化政策をいわば後追いする形で自覚し、それを8.15における<断絶>としてさかのぼって提示したのであった。

 こうした事情は、宮沢俊義にも同様であった。宮沢は、根本的な憲法改正は不要であり、明治憲法の部分的修正と民主的運用で十分だと主張していた。そして、政府による憲法改正作業にも参加していた。ところが新憲法草案に触れるに及んで一転し、根本的な転換がポツダム宣言受諾の時点でなされたという「8月革命説」を唱えはじめ、それが戦後の憲法学の支柱となったのであった。これが後に宮沢憲法学の「転向」という江藤淳(作家の三島由紀夫と同類の極右の保守派文学評論家)の甚だ正鵠を射た批判を呼び起こした所以でもあったが、新憲法草案に触れた時点になって、やっと自覚された転換を半年さかのぼって敗戦の時点の<断絶>として提示するものであったという点は、先の丸山の場合と同様であった。
  しかし、このような指摘がまさに正鵠を射たものであったにせよ、それをもって二人の業績が、いずれも俄仕込みの底の浅いものであったと決めつけることは、もちろん早計であろうが、この点に関しては、憲法学についても政治学についても専門外で全くの門外漢であるから、何も論ずる資格も能力もないが、間もなく敗戦60年の記念すべき日を迎えるにあたり、8.15の「連続」と「断絶」を改めてしっかりと自覚することは、とりわけ満州事変前夜を思わせる昨今の危機的情勢に鑑み必要なことではあるまいか。

 

 [リンク] 丸山真男(ウィキペディア)  宮沢俊義(ウィキペディア)  藤田省三(ウィキペディア) ポツダム宣言  降伏文書  玉音放送(ウィキペディア)    終戦の詔勅  旧GHQ本部付近   靖国問題の効用  戦前と戦後の断絶と連続


従軍慰安婦問題の怪

2005-06-14 | 雑文

                         従軍慰安婦問題の怪

 「従軍慰安婦」・「強制連行」の問題については、これまで沢山の書物や資料などが発表されており、いまさら取り上げるまでのものでもないが、これもいわゆる「南京大虐殺」の中国人犠牲者の数と同様に、その強制連行犠牲者の数も確定できないようである。 
 外務省作成資料「いわゆる従軍慰安婦問題について」では、昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は、戦争の拡大とともに広がりをみせたとした上で、慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあったとし、民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍は、慰安所の設置や管理に直接関与したと述べている。慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍とともに行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らかであると明記している。
 業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースも見られた、ともしているが、しかし、国家の関与は明示されていない。
 一方、こうした従軍慰安婦の存在は認めるものの、売春は当時広く行われていたこと、従軍慰安婦は他の国の軍隊にも存在したこと、従軍慰安婦は日本人及び朝鮮人のブローカーが行った「商売」であること、日本軍の関与がなかったこと、それに元慰安婦の信憑性などの疑点をあげ、従軍慰安婦の「強制連行」を否定し、強く反論も展開されている。これらの反対論者は、個人や民間団体だけでなく、一部の自民党議員によっても主張されており、中山文部科学大臣も、大臣就任直前まで、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の座長として、自虐的で不正確な教科書記述内容を是正するための運動に奔走していた。この会は、87名の自民党国会議員が集まって平成9年2月28日に結成され、初代代表は、中川現経済産業大臣、副代表に中山現文部科学大臣、事務局長は安倍晋三現自民党幹事長代理といった陣容である。
 確かに、「従軍記者」などは、法令に定められた身分に基づき指定の部隊に配属され、軍の規律に服したことから、「従軍」の呼称は、問題ないのに対し、「慰安婦」は、軍属でもなく、業者に雇われた従業員に過ぎない者であるから、「従軍」の名を冠するのは、誤解を招く恐れがあり、適当とは言えないようである。さらに、「従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた」(東京書籍)等の教科書の表現もいささか不正確な感があることも争えない。
 省みると、平成8年に、中学歴史教科書全7社の本に「従軍慰安婦」の語が登場したが、翌平成9年3月13日の参議院予算委員会で、平林内閣外政審議室長が、政府調査では慰安婦の強制連行を裏付ける資料は発見されず、元慰安婦証言の裏付けも取れていない旨の答弁があり、そして、平成11年には、中学歴史教科書から「従軍慰安婦」の語が消滅したが、高校歴史教科書では依然この用語を使用しており、平成15年検定でも「従軍慰安婦強制連行」と記述した教科書が合格した上、平成16年には、大学入試センター試験問題にも「強制連行」が史実として出題された(高市早苗「教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか」正論05.03月号)。
 いずれにしても、「従軍慰安婦」問題は、そういう民間業者の経営になる慰安所、その従業員の慰安婦の存在自体が争われているのではなく、軍なり国家なりが「強制連行」に関係したかどうかという点が問題なわけである。そして、ここでいう「強制連行」という用語の内容も正確に定義した上で議論しなけばならないわけであろう。

[リンク] 従軍慰安婦

「侵略戦争」否認論

2005-06-12 | 雑文
                              
       
                           「侵略戦争」否認論
 
 衆議院文部科学委員長、経済産業省副大臣などを歴任し、教科書から、特に「従軍慰安婦」を消すことに奮闘した高市早苗氏(注)によれば、いわゆる「従軍慰安婦」というのは、「軍隊の駐屯地周辺に開設された戦地娼家であった慰安所において接客を生業とする従業員として雇用された者に過ぎない」もので、軍が「強制連行」はもとより、全く関係していなかったとされている(高市早苗「教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか」(正論05年3月号)。
 同氏は、さらに、日本がなした先の戦争は、侵略戦争ではなかったと、およそ次のように論述している。
 現在の「政府の歴史見解」は、平成7年8月の「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害を与えました......」として、痛切な反省とお詫びで括られた村山談話を踏襲しているが、第一に、この見解は、過去のどの戦争の如何なる行為に対する反省であり謝罪なのかが明らかではなく、第二に、当時の政府でない現在の政府に謝罪の主体者としての権利があるのか疑問であり、第三に、「国策を誤り」というが、当時の国際環境の中で日本が取り得た他の正しい選択肢を示せる政治家などいないと思われるし、第四に、「植民地支配」への反省もしているが、日本の支那における諸権益は、「日支間条約」によって、また、日韓併合は、「日韓併合に関する条約」によって、いずれも適法に実現したものであり、第五に、日本が行った戦争の性質を「侵略戦争」と安易に認定したことこそが、最大の問題であるとする。
 そして、なした戦争が自衛戦争なのか、侵略戦争なのかは、その当時のその国家の「国家意志」の問題であり、まさに先の帝国の大戦開始時の国家意志を表す公文書は、当時の昭和天皇の次の勅語である。「米英両国は、帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、遂に経済断交をあえてし、帝国の生存に重大な脅威を加う。帝国の存立、またまさに危殆に瀕せり。帝国は今や自存自衛のため決然起って、一切の障害を破砕するのほかなきなり」というものであった。次いで、「自国が行う戦争が、自衛戦争であるか侵略戦争であるかは、各国自身が認定すべきものであって、他国や国際機関が決定できるものではない」というケロッグ米国務長官の主張を指摘している。

 先の戦争が、侵略戦争であったことは、米国や中国ほかどの国も、一切全く日本に侵攻してきていない時期に、日本から、わざわざ積極的に周辺諸国に侵攻していったことから容易に説明できるのに対し、侵略戦争ではなかったと説明することは、簡単ではなく、上記の説明は、その一つとして、これに賛成するかどうかは別として、この問題を考える上で大変参考になるものであると言えよう。
(注)奈良2区選出衆議院議員。2007年8月15日に安倍内閣の閣僚達が自粛する中で、ただ一人現役閣僚として靖国神社に参拝した。櫻井よしこらと並ぶ自民党内でも屈指の極右、保守系議員。町村派。 

 [リンク]
 侵略戦争  高市早苗
  

[リンク] 「日本は侵略国家であったのか」   田母神俊雄    A級戦犯は認められるか  「田母神論文」を擁護する人びと  小堀桂一郎  櫻井よしこ   渡部昇一(田母神論文審査委員)   「真の近現代史観」懸賞論文   花岡信昭(田母神論文審査委員)   幕僚長をクビにするより村山談話を見直せ  田母神論文の意味するところ 森本 敏  櫻井よしこ 「麻生首相に申す」   日中歴史共同研究(日本語論文)

靖国問題の効用

2005-06-12 | 雑文

                  (戸越公園にて)      

                             靖国問題の効用
 
 最近、小泉首相の靖国神社参拝問題、教科書検定における歴史認識、A級戦犯の否認など国論を2分する対立が、嘗てなく顕著になってきている。これらの問題は、前からあったわけであるが、最近の小泉首相の極めて強硬な態度が一段と中国など近隣諸国の強い反発を招き、大きな国際問題にまで高まってきているが、この異常とも思える最近の日本の状況は、昔、「全面講和問題」、続く「安保改訂問題」で、やはり、国論を2分する対立が生じたのと、軌を一にするところがあるように思われる。
 1951年の対日講和条約、1960年の安保改訂(樺美智子さんの死、自民単独強行採決)で、日本が対米従属一辺倒の路線を邁進することが、確定され、その後は、明確に、すべてアメリカへの迎合の線で日本の政治、外交が行われることとなった。折しも、米ソの激しい冷戦の進展から、アメリカの対日政策は、戦後初期の日本の軍国主義の再発防止から一転して強固な同盟国日本の再軍備の支援の方向に変わり、日本は、再び軍事大国の道を邁進することになり、周知のとおり、早くも今では世界有数の軍隊、軍備をもつ国となったのである。
 間もなく憲法を改正して、軍隊、軍備の憲法上での公認を得て、名実ともに戦前への完全復帰を達成し、文字どおり軍事大国を完成する日も刻々近づいてきているように見える昨今の情勢であるが、大型公共事業の一つとしての防衛産業の日本経済にもたらす効果はともかくとして、こうした道をスムーズに進むためには、なんといっても国論の一本化を極力図ることが最大の課題である。
 嘗ての戦争を侵略戦争と認識するようようでは、甚だ困るし、ましてこの嘗ての聖なる輝かしい戦争の指導者達をA級戦犯などといういかがわしいレッテルを張って敬遠することは、耐え難い屈辱である。戦前と同じように「日の丸」、「君が代」の下に、「象徴天皇」からいよいよ晴れて「君主」に格上げした正に王政復古の新天皇の下に全国民一丸となって難局を乗り越えることが目下の急務でなければならない。これが、A級戦犯を含めた靖国の英霊に報いる唯一の道である。
 もっとも、日本が以上のような方向に進むことには、周知のとおり、反対する勢力もないわけではない。ただ、それらの勢力は、目下、国民の中では、少数派であることは、多くの世論調査の結果を見るまでもなく明らかなところである。そこで、まだまだ今のところ、戦前と違い、言論、出版、表現の自由が、相当程度認められているようであるから、「鬼のいない間に洗濯」というわけではないが、せいぜいこの点を巡る賛否両論が、少数派にも十分かつ率直な意見表明の機会を与え、衆人環視の下で、激しく論戦を交わすことが日本の将来のために極めて有益である。挙国一致、難局に処するためには、早晩、戦前の明治憲法下におけるように、どうしても言論、出版、結社、思想、学問の自由をすべて完全に抑圧剥奪することが必要となるであろうことは眼に見えており(現行日本国憲法上も、明治憲法と全く同様に、これらの人権は、公共の福祉の名の下にいかようにも制限できると解されている-百地 章・日本大学教授・憲法)、この点からして、今をおいては、二度と来ないかも知れない貴重な機会を逃さないことが肝要であろう。

 このような点からすると、靖国参拝は、なぜ、小泉首相はじめ自民党が必要かつ有益重要な行為と考えているのかの真の理由・背景、ひいては目下の日本の政治の根幹を考察することに結びつく格好な論点、課題が提供された極めて有益なトピックといえる。逆説的ではあるが、小泉首相が更に頑固に、できるだけ最も中国はじめ周辺諸国を刺激する時期を厳選して、靖国神社公式参拝を断固継続することが、日本の将来のために大いに役立つこととなろう。

                           

商店街

2005-06-08 | 写真
            京浜急行新馬場駅前商店街(05.06.05撮影)