「侵略戦争」否認論
衆議院文部科学委員長、経済産業省副大臣などを歴任し、教科書から、特に「従軍慰安婦」を消すことに奮闘した高市早苗氏(注)によれば、いわゆる「従軍慰安婦」というのは、「軍隊の駐屯地周辺に開設された戦地娼家であった慰安所において接客を生業とする従業員として雇用された者に過ぎない」もので、軍が「強制連行」はもとより、全く関係していなかったとされている(高市早苗「教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか」(正論05年3月号)。
同氏は、さらに、日本がなした先の戦争は、侵略戦争ではなかったと、およそ次のように論述している。
現在の「政府の歴史見解」は、平成7年8月の「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害を与えました......」として、痛切な反省とお詫びで括られた村山談話を踏襲しているが、第一に、この見解は、過去のどの戦争の如何なる行為に対する反省であり謝罪なのかが明らかではなく、第二に、当時の政府でない現在の政府に謝罪の主体者としての権利があるのか疑問であり、第三に、「国策を誤り」というが、当時の国際環境の中で日本が取り得た他の正しい選択肢を示せる政治家などいないと思われるし、第四に、「植民地支配」への反省もしているが、日本の支那における諸権益は、「日支間条約」によって、また、日韓併合は、「日韓併合に関する条約」によって、いずれも適法に実現したものであり、第五に、日本が行った戦争の性質を「侵略戦争」と安易に認定したことこそが、最大の問題であるとする。
そして、なした戦争が自衛戦争なのか、侵略戦争なのかは、その当時のその国家の「国家意志」の問題であり、まさに先の帝国の大戦開始時の国家意志を表す公文書は、当時の昭和天皇の次の勅語である。「米英両国は、帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、遂に経済断交をあえてし、帝国の生存に重大な脅威を加う。帝国の存立、またまさに危殆に瀕せり。帝国は今や自存自衛のため決然起って、一切の障害を破砕するのほかなきなり」というものであった。次いで、「自国が行う戦争が、自衛戦争であるか侵略戦争であるかは、各国自身が認定すべきものであって、他国や国際機関が決定できるものではない」というケロッグ米国務長官の主張を指摘している。
先の戦争が、侵略戦争であったことは、米国や中国ほかどの国も、一切全く日本に侵攻してきていない時期に、日本から、わざわざ積極的に周辺諸国に侵攻していったことから容易に説明できるのに対し、侵略戦争ではなかったと説明することは、簡単ではなく、上記の説明は、その一つとして、これに賛成するかどうかは別として、この問題を考える上で大変参考になるものであると言えよう。
(注)奈良2区選出衆議院議員。2007年8月15日に安倍内閣の閣僚達が自粛する中で、ただ一人現役閣僚として靖国神社に参拝した。櫻井よしこらと並ぶ自民党内でも屈指の極右、保守系議員。町村派。
[リンク]
侵略戦争 高市早苗
[リンク] 「日本は侵略国家であったのか」 田母神俊雄 A級戦犯は認められるか 「田母神論文」を擁護する人びと 小堀桂一郎 櫻井よしこ 渡部昇一(田母神論文審査委員) 「真の近現代史観」懸賞論文 花岡信昭(田母神論文審査委員) 幕僚長をクビにするより村山談話を見直せ 田母神論文の意味するところ 森本 敏 櫻井よしこ 「麻生首相に申す」 日中歴史共同研究(日本語論文)
大概の場合、どちらの国もそれぞれ口を揃えて、自衛のためやむを得ず立ち上がらざるをえない正しい戦争であり、侵略戦争ではないと、相互に言い合う場合が普通ではないかと思われる。
侵略戦争かどうかをこの基準で判定することにすると、およそ侵略戦争というものは、ないことになってしまいはしないかと恐れるのである。また、日本の場合、この基準からすると、先の戦争は、明らかに侵略戦争ではなかったことになるが、それで確かに一件落着ということになるわけであるかも知れないが、これではあまり実りのある議論とも思われず、論ずるだけ時間の無駄ということになるのではあるまいか。
侵略戦争かどうかは、その国だけが独自に決定すべき問題であって、局外者である他国や国際機関がとやかく容喙すべきものではないというアメリカの国務長官の発言は、やはり最近のアメリカがなしているアフガニスタンやイラク、古くはベトナムなどへの侵攻について、その正当性に疑問を投げかける向きもなくはないことから、これを封じる必要から出たものと思われる。アメリカの問題も、他山の石とは言え、大いに議論する必要があるが、日本人にとって当面の重要な問題である先の戦争の性格や実態を真面目に論議することは、安易な回避が許されない差し迫った重要課題の一つではあるまいか。
しかし、この点については、情報が乏しいので、論評きないのが残念である。、
しかし、これらの生き証人は、この経験を生存中は、口がさけても口外するわけはなく、じっと墓場まで持っていくのである。
新聞の投書欄に出ていた次の一文は、まさにこの事実を暴露したものであり、念のため次に引用しておこう。
「私は1938年(昭和13)年に召集され、武漢三鎮戦のため河北省の保定から江西省の九紅までの麦畑地帯を行軍しました。
友軍の後だったので私自身は住民を殺傷し物を奪うことはしませんでしたが、住民が逃げた廃墟の壁に「東洋鬼到処殺人放火」と対処されていたのを忘れられません。
行軍中の病気で内地送還となり、復員して病院に見ないに来た戦友からその後のことを聞くと、女性に乱暴したあげくに殺すなど相当ひどいことをしました。このように日中戦争は紛れもなく侵略戦争そのものでした。
軍国主義、忠君愛国の環境下で育った者にとって「日中戦争は蒋介石に引きずりこまれた」などの侵略否定論は、実際の戦争を知らない戦後生まれの無知蒙昧の観念論・歴史観であり、戦争を知る者たちが戦争がどういうものであったかを語り継いでいかなくてはならないと思いました。」
(朝日新聞「声」欄08年11月20日)
。」
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