枯野

写真の楽しみ

靖国問題の効用

2005-06-12 | 雑文

                  (戸越公園にて)      

                             靖国問題の効用
 
 最近、小泉首相の靖国神社参拝問題、教科書検定における歴史認識、A級戦犯の否認など国論を2分する対立が、嘗てなく顕著になってきている。これらの問題は、前からあったわけであるが、最近の小泉首相の極めて強硬な態度が一段と中国など近隣諸国の強い反発を招き、大きな国際問題にまで高まってきているが、この異常とも思える最近の日本の状況は、昔、「全面講和問題」、続く「安保改訂問題」で、やはり、国論を2分する対立が生じたのと、軌を一にするところがあるように思われる。
 1951年の対日講和条約、1960年の安保改訂(樺美智子さんの死、自民単独強行採決)で、日本が対米従属一辺倒の路線を邁進することが、確定され、その後は、明確に、すべてアメリカへの迎合の線で日本の政治、外交が行われることとなった。折しも、米ソの激しい冷戦の進展から、アメリカの対日政策は、戦後初期の日本の軍国主義の再発防止から一転して強固な同盟国日本の再軍備の支援の方向に変わり、日本は、再び軍事大国の道を邁進することになり、周知のとおり、早くも今では世界有数の軍隊、軍備をもつ国となったのである。
 間もなく憲法を改正して、軍隊、軍備の憲法上での公認を得て、名実ともに戦前への完全復帰を達成し、文字どおり軍事大国を完成する日も刻々近づいてきているように見える昨今の情勢であるが、大型公共事業の一つとしての防衛産業の日本経済にもたらす効果はともかくとして、こうした道をスムーズに進むためには、なんといっても国論の一本化を極力図ることが最大の課題である。
 嘗ての戦争を侵略戦争と認識するようようでは、甚だ困るし、ましてこの嘗ての聖なる輝かしい戦争の指導者達をA級戦犯などといういかがわしいレッテルを張って敬遠することは、耐え難い屈辱である。戦前と同じように「日の丸」、「君が代」の下に、「象徴天皇」からいよいよ晴れて「君主」に格上げした正に王政復古の新天皇の下に全国民一丸となって難局を乗り越えることが目下の急務でなければならない。これが、A級戦犯を含めた靖国の英霊に報いる唯一の道である。
 もっとも、日本が以上のような方向に進むことには、周知のとおり、反対する勢力もないわけではない。ただ、それらの勢力は、目下、国民の中では、少数派であることは、多くの世論調査の結果を見るまでもなく明らかなところである。そこで、まだまだ今のところ、戦前と違い、言論、出版、表現の自由が、相当程度認められているようであるから、「鬼のいない間に洗濯」というわけではないが、せいぜいこの点を巡る賛否両論が、少数派にも十分かつ率直な意見表明の機会を与え、衆人環視の下で、激しく論戦を交わすことが日本の将来のために極めて有益である。挙国一致、難局に処するためには、早晩、戦前の明治憲法下におけるように、どうしても言論、出版、結社、思想、学問の自由をすべて完全に抑圧剥奪することが必要となるであろうことは眼に見えており(現行日本国憲法上も、明治憲法と全く同様に、これらの人権は、公共の福祉の名の下にいかようにも制限できると解されている-百地 章・日本大学教授・憲法)、この点からして、今をおいては、二度と来ないかも知れない貴重な機会を逃さないことが肝要であろう。

 このような点からすると、靖国参拝は、なぜ、小泉首相はじめ自民党が必要かつ有益重要な行為と考えているのかの真の理由・背景、ひいては目下の日本の政治の根幹を考察することに結びつく格好な論点、課題が提供された極めて有益なトピックといえる。逆説的ではあるが、小泉首相が更に頑固に、できるだけ最も中国はじめ周辺諸国を刺激する時期を厳選して、靖国神社公式参拝を断固継続することが、日本の将来のために大いに役立つこととなろう。

                           

最新の画像もっと見る