従軍慰安婦問題の怪
「従軍慰安婦」・「強制連行」の問題については、これまで沢山の書物や資料などが発表されており、いまさら取り上げるまでのものでもないが、これもいわゆる「南京大虐殺」の中国人犠牲者の数と同様に、その強制連行犠牲者の数も確定できないようである。
外務省作成資料「いわゆる従軍慰安婦問題について」では、昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は、戦争の拡大とともに広がりをみせたとした上で、慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあったとし、民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍は、慰安所の設置や管理に直接関与したと述べている。慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍とともに行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らかであると明記している。
業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースも見られた、ともしているが、しかし、国家の関与は明示されていない。
一方、こうした従軍慰安婦の存在は認めるものの、売春は当時広く行われていたこと、従軍慰安婦は他の国の軍隊にも存在したこと、従軍慰安婦は日本人及び朝鮮人のブローカーが行った「商売」であること、日本軍の関与がなかったこと、それに元慰安婦の信憑性などの疑点をあげ、従軍慰安婦の「強制連行」を否定し、強く反論も展開されている。これらの反対論者は、個人や民間団体だけでなく、一部の自民党議員によっても主張されており、中山文部科学大臣も、大臣就任直前まで、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の座長として、自虐的で不正確な教科書記述内容を是正するための運動に奔走していた。この会は、87名の自民党国会議員が集まって平成9年2月28日に結成され、初代代表は、中川現経済産業大臣、副代表に中山現文部科学大臣、事務局長は安倍晋三現自民党幹事長代理といった陣容である。
確かに、「従軍記者」などは、法令に定められた身分に基づき指定の部隊に配属され、軍の規律に服したことから、「従軍」の呼称は、問題ないのに対し、「慰安婦」は、軍属でもなく、業者に雇われた従業員に過ぎない者であるから、「従軍」の名を冠するのは、誤解を招く恐れがあり、適当とは言えないようである。さらに、「従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた」(東京書籍)等の教科書の表現もいささか不正確な感があることも争えない。
省みると、平成8年に、中学歴史教科書全7社の本に「従軍慰安婦」の語が登場したが、翌平成9年3月13日の参議院予算委員会で、平林内閣外政審議室長が、政府調査では慰安婦の強制連行を裏付ける資料は発見されず、元慰安婦証言の裏付けも取れていない旨の答弁があり、そして、平成11年には、中学歴史教科書から「従軍慰安婦」の語が消滅したが、高校歴史教科書では依然この用語を使用しており、平成15年検定でも「従軍慰安婦強制連行」と記述した教科書が合格した上、平成16年には、大学入試センター試験問題にも「強制連行」が史実として出題された(高市早苗「教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」という用語が減ってなぜ悪いのか」正論05.03月号)。
いずれにしても、「従軍慰安婦」問題は、そういう民間業者の経営になる慰安所、その従業員の慰安婦の存在自体が争われているのではなく、軍なり国家なりが「強制連行」に関係したかどうかという点が問題なわけである。そして、ここでいう「強制連行」という用語の内容も正確に定義した上で議論しなけばならないわけであろう。
[リンク] 従軍慰安婦