中山道二人旅

病気持ち、かつ初老男の気まぐれ二人旅

歌舞伎座あと17日

2010年04月14日 14時41分00秒 | 日常

歌舞伎座と川
三十間堀はいち早く埋め立てられてしまった。目的は何だったのか?ドブ川状態であったのは確かで、埋め立て反対の声などかき消されてしまったようだ。三原橋付近の地形を見ると今でも異質な感じ。築地川は川では無くなり、万年橋のたもとの東劇もだらしの無いただのビルに、川面に新橋演舞場だったのだが面影なし、ここもドブ川状態で牡蠣舟が係留されていて営業していたが問題ありで撤去。新富町方面には三吉橋、2方に分かれる川に三菱マークのような橋がかかる。三島由紀夫の「橋づくし」に情緒たっぷりに描かれている。(記憶が正しければ)数寄屋橋といえば酔った駐留軍(占領軍)兵士に日本人が川に投げ込まれた事件を思い出す。これも記憶だが、大理石の欄干の縁が半円状で掴むすべもなかったのでは。埋め立ては日本橋の首都高跨ぎと同じく東京オリンピックつながり。


垣間見る 14:46:10 画面クリック(1000×669)
戦災で残骸となった歌舞伎座は、近所の子供らの格好の遊び場となっていた。塞がれているのだが潜り込むのは簡単だ。回廊は熱でぼろぼろのコンクリートむき出し、客席が有ったと思われる場所は雨水が満々と溜まりプール状態、木っ端を集め縄で縛り筏を作り漕ぎ出す。
トムソーヤ気取り。正面左手のビル取り壊しで現れたのは、当時そのままの壁面と思われるが、初めて見る姿だ。

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