歌舞伎座と川
三十間堀はいち早く埋め立てられてしまった。目的は何だったのか?ドブ川状態であったのは確かで、埋め立て反対の声などかき消されてしまったようだ。三原橋付近の地形を見ると今でも異質な感じ。築地川は川では無くなり、万年橋のたもとの東劇もだらしの無いただのビルに、川面に新橋演舞場だったのだが面影なし、ここもドブ川状態で牡蠣舟が係留されていて営業していたが問題ありで撤去。新富町方面には三吉橋、2方に分かれる川に三菱マークのような橋がかかる。三島由紀夫の「橋づくし」に情緒たっぷりに描かれている。(記憶が正しければ)数寄屋橋といえば酔った駐留軍(占領軍)兵士に日本人が川に投げ込まれた事件を思い出す。これも記憶だが、大理石の欄干の縁が半円状で掴むすべもなかったのでは。埋め立ては日本橋の首都高跨ぎと同じく東京オリンピックつながり。
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戦災で残骸となった歌舞伎座は、近所の子供らの格好の遊び場となっていた。塞がれているのだが潜り込むのは簡単だ。回廊は熱でぼろぼろのコンクリートむき出し、客席が有ったと思われる場所は雨水が満々と溜まりプール状態、木っ端を集め縄で縛り筏を作り漕ぎ出す。
トムソーヤ気取り。正面左手のビル取り壊しで現れたのは、当時そのままの壁面と思われるが、初めて見る姿だ。
井上ひさしさん死去=作家・劇作家、「吉里吉里人」など(時事通信) - goo ニュース
2010年4月11日(日)08:03
(時事通信)
「吉里吉里人」など奇抜な設定と軽妙なタッチの小説や戯曲、エッセーで知られ、護憲運動にも力を注いだ作家・劇作家で文化功労者の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名廈=ひさし)さんが9日午後10時22分、肺がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。75歳だった。山形県川西町出身。葬儀は近親者で行う。
5歳で父親と死別、児童養護施設に預けられ、カトリックの洗礼を受けた。上智大フランス語科在学中から東京・浅草のストリップ劇場で喜劇の台本を書き始め、卒業後は放送作家に。1964年からNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を共同で手掛けた。72年、江戸戯作者群像を描いた「手鎖心中」で直木賞、同年「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞。81年、東北の寒村が日本から独立宣言する「吉里吉里人」で日本SF大賞。
84年に劇団「こまつ座」を旗揚げし、「頭痛肩こり樋口一葉」「闇に咲く花」「人間合格」などの戯曲を書き下ろして上演。広島で被爆した父と娘の心の交流を描いた戯曲「父と暮せば」は欧米など多数の国々でも上演され、高く評価された。
2004年には作家大江健三郎、哲学者梅原猛両氏らと平和憲法の堅持を訴える「九条の会」を設立するなど、平和、護憲運動でも知られた。日本ペンクラブ会長も務めた。09年日本芸術院賞。
2010年4月11日(日)08:03
(時事通信)
「吉里吉里人」など奇抜な設定と軽妙なタッチの小説や戯曲、エッセーで知られ、護憲運動にも力を注いだ作家・劇作家で文化功労者の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名廈=ひさし)さんが9日午後10時22分、肺がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。75歳だった。山形県川西町出身。葬儀は近親者で行う。
5歳で父親と死別、児童養護施設に預けられ、カトリックの洗礼を受けた。上智大フランス語科在学中から東京・浅草のストリップ劇場で喜劇の台本を書き始め、卒業後は放送作家に。1964年からNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を共同で手掛けた。72年、江戸戯作者群像を描いた「手鎖心中」で直木賞、同年「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞。81年、東北の寒村が日本から独立宣言する「吉里吉里人」で日本SF大賞。
84年に劇団「こまつ座」を旗揚げし、「頭痛肩こり樋口一葉」「闇に咲く花」「人間合格」などの戯曲を書き下ろして上演。広島で被爆した父と娘の心の交流を描いた戯曲「父と暮せば」は欧米など多数の国々でも上演され、高く評価された。
2004年には作家大江健三郎、哲学者梅原猛両氏らと平和憲法の堅持を訴える「九条の会」を設立するなど、平和、護憲運動でも知られた。日本ペンクラブ会長も務めた。09年日本芸術院賞。