ゆとり教育の見直しが本格化とのこと(でも日教組が民主党盾にまたひっくり返すかもナ)。過去の政策によって、手抜き教育された子供が大人になり、親になり、その子供は再び教育強化である。手抜きをすると国力が衰えることは実感する。今の若い人は環境を与えてあげないと自ら思考する感覚が少ないようにも感じる。
ゆとり教育に不安を覚えた一部の親は、塾に教育の軸足を移す。その結果、一部の公立高校は凋落し、私立高校は経営の主眼に学業向上を据えた。しかしながら、その成果は一流大学に何人送り込んだかだけである。一流大学に入っても人生の目的を明確にできないと、学生生活自体が面白くないものとなろう。
ゆとりを見直すなら、いつの間にか増えた祝日数も見直すべきではないか?休みを増やして観光産業が潤うというのは明らかに豊かな時代の論理である。歴史は反省の繰り返しだから、高度成長で働きすぎで起きた社会のゆがみを是正するというのはよく理解できるが、法整備のスピードが世の中の変化に追いつかないという永遠の課題に振り回される。一方で法整備は不要になった法律を是正、廃止していくのも使命であるはず。といっても国家に委ねると結局行政コストが増大し、税金という形に跳ね返る。
ここに現代の政治における問題点がある。社会の歪みを是正するのを行政が行おうとする。結局コストがかかる。昨今の現金給付の流れは、ある意味、使い道は勝手に考えてという行政スリム化の手段であったのかもしれない。
でも結局、政治に期待しても選挙で勝って自らの職を守ろうとすることから権力をカネに代えて選挙主体の政治を考えるから、いつまで経っても政治はよくならないことを実感する。正式に選挙で大勝して戦後初めての政権交代を実現した民主党はこのことをよく分析しないと、日本の政治そのものが危機となる(もう危険水域は超えてしまったが)。昨年の総選挙で民衆が期待したのは利権政治では決してなかった。選挙に勝つためではなく、従来の自民党のやり方を抜本的に変えることを期待した結果の「自民党以外」の選択肢であったことを民主党はよく振り返る必要がある。
教育制度改革の目的、勉強してどうなりたいか、そのために必要な知識は何かという視点。政権をとって何を実現したいか、実現したいことは国家国民のためになるという強固な信念がないと制度ゴッコの繰り返しで終わってしまうのである。
今週に旗揚げされる与謝野新党は、明確な理念を示すことができるのであろうか?最後の期待とならないことを祈りたい。
ゆとり教育に不安を覚えた一部の親は、塾に教育の軸足を移す。その結果、一部の公立高校は凋落し、私立高校は経営の主眼に学業向上を据えた。しかしながら、その成果は一流大学に何人送り込んだかだけである。一流大学に入っても人生の目的を明確にできないと、学生生活自体が面白くないものとなろう。
ゆとりを見直すなら、いつの間にか増えた祝日数も見直すべきではないか?休みを増やして観光産業が潤うというのは明らかに豊かな時代の論理である。歴史は反省の繰り返しだから、高度成長で働きすぎで起きた社会のゆがみを是正するというのはよく理解できるが、法整備のスピードが世の中の変化に追いつかないという永遠の課題に振り回される。一方で法整備は不要になった法律を是正、廃止していくのも使命であるはず。といっても国家に委ねると結局行政コストが増大し、税金という形に跳ね返る。
ここに現代の政治における問題点がある。社会の歪みを是正するのを行政が行おうとする。結局コストがかかる。昨今の現金給付の流れは、ある意味、使い道は勝手に考えてという行政スリム化の手段であったのかもしれない。
でも結局、政治に期待しても選挙で勝って自らの職を守ろうとすることから権力をカネに代えて選挙主体の政治を考えるから、いつまで経っても政治はよくならないことを実感する。正式に選挙で大勝して戦後初めての政権交代を実現した民主党はこのことをよく分析しないと、日本の政治そのものが危機となる(もう危険水域は超えてしまったが)。昨年の総選挙で民衆が期待したのは利権政治では決してなかった。選挙に勝つためではなく、従来の自民党のやり方を抜本的に変えることを期待した結果の「自民党以外」の選択肢であったことを民主党はよく振り返る必要がある。
教育制度改革の目的、勉強してどうなりたいか、そのために必要な知識は何かという視点。政権をとって何を実現したいか、実現したいことは国家国民のためになるという強固な信念がないと制度ゴッコの繰り返しで終わってしまうのである。
今週に旗揚げされる与謝野新党は、明確な理念を示すことができるのであろうか?最後の期待とならないことを祈りたい。