週末に古本屋で105円で買った本。2002年に書かれたものであるが、規制緩和を批判的に書いている。特に「IT化、インターネット社会」到来に至る経緯と、逆作用を極めてネガティブに指摘している。
つまり、「政治家と利害関係者がロビー活動を展開した結果、通信料金が安くなったのは表面的なことで、実は従来の通信独占状況下に比べて社会は複雑怪奇になった。」「インターネットの常時接続がもたらせたものは、政府による個人管理である。」「IP化によるシステムの導入は、システムの複雑性が増えた結果、社会の階層化を深めた」・・というような論調である。
最後まで読んでも、正直論点がわからず悩んだ。というより、主張がわからず読んでいて気持ち悪くなった。書かれたのが少し古いので、時流に併せたへそ曲がり本かと思ったが、著者の方は現在でも同様の主張をされているようなので、一貫したものなのであろう。
現状を批判するのは勝手なのだが、少なくとも「今後、どうすればよいのか」を示せないものは、書籍を世に出すうえでの社会的責任を果たしていないのではないかと思うのである。
さて、この本の主張であるが、ワシなりに解釈すると、従来国家が責任を持って管理していた電気通信網について、規制緩和という大義名分で「自由化」された。自由化といっても、国家100年の計で建設された電気通信網を、新規参入者がすぐに構築できるはずがないので、既存国策事業者の設備開放を求める。設備開放に際しては、オープン化の「錦の御旗」のもと、安価な開放を行わせ、新規参入者は格安な料金での参入を行う。その結果、サービス品質はどんどん低下する結果をもたらした。この規制緩和の裏には、新規参入者のロビー活動が政治家と結びついて行われた。
(論点は突然、技術革新に摩り替わる)
インターネットの発達は、従来の交換通信網にくらべ、複雑なものを世にもたらした。インターネットの普及によって、常時接続が実現した結果、端末たる国民は政府に管理されることを許容した。またシステムが複雑化することによって、実際に技術を理解している、一握りの人間以外はシステムに利用されるだけの結果となり、結果として格差社会をもたらせてしまった・・・という趣旨か?
正直な感想は、技術革新と社会変革の相互依存という、産業革命以降論じられてきたことを無視している。具体例を挙げれば、馬車の発明は「交通事故」をもたらせたし、自動車の発明は「大気汚染」をもたらせている。しかしながら、そういうネガティブな事象を処理していくことによって、社会は発展してきたのである。インターネットの発展にしても同じ事で、便利になった反面、ネガティブなことも当然起こる。そこをどうクリアにするのかというのが、継続している社会の義務なのではないか。著者は、インターネット以前の通信方式が良い(とすくなくともワシには読めた)としているが、電話が登場した時には、同じようなネガティブな問題は発生しているのだ。
確かにインターネットが普及していくと、端末の高度化、システムの複雑化によるデバイド問題も当然発生するが、「複雑なシステムを簡単に、そして安全に使える市場」も創出されるのである。
世界的に進行する「システムの革新」を誰かの陰謀であるかのようなことを匂わしている。良く見るのが金融ビッグバンや郵政民営化はアングロサクソンの陰謀を日本の政治家が売り渡したとか、禿鷹ファンドの手先とかいう論調であるが、本質的にはこの本も同じ事を言っている。
これらの論調は、あまりにも、自分の既得権益を守るのに外部に責任を擦り付けている。本人の意図するとおりに周りが動くはずはないのだ。
こんな論調があるようだと、むしろ国家による管理が益々増えて、税金があくらあっても足りない社会になってしまう気がしてならない・・・
つまり、「政治家と利害関係者がロビー活動を展開した結果、通信料金が安くなったのは表面的なことで、実は従来の通信独占状況下に比べて社会は複雑怪奇になった。」「インターネットの常時接続がもたらせたものは、政府による個人管理である。」「IP化によるシステムの導入は、システムの複雑性が増えた結果、社会の階層化を深めた」・・というような論調である。
最後まで読んでも、正直論点がわからず悩んだ。というより、主張がわからず読んでいて気持ち悪くなった。書かれたのが少し古いので、時流に併せたへそ曲がり本かと思ったが、著者の方は現在でも同様の主張をされているようなので、一貫したものなのであろう。
現状を批判するのは勝手なのだが、少なくとも「今後、どうすればよいのか」を示せないものは、書籍を世に出すうえでの社会的責任を果たしていないのではないかと思うのである。
さて、この本の主張であるが、ワシなりに解釈すると、従来国家が責任を持って管理していた電気通信網について、規制緩和という大義名分で「自由化」された。自由化といっても、国家100年の計で建設された電気通信網を、新規参入者がすぐに構築できるはずがないので、既存国策事業者の設備開放を求める。設備開放に際しては、オープン化の「錦の御旗」のもと、安価な開放を行わせ、新規参入者は格安な料金での参入を行う。その結果、サービス品質はどんどん低下する結果をもたらした。この規制緩和の裏には、新規参入者のロビー活動が政治家と結びついて行われた。
(論点は突然、技術革新に摩り替わる)
インターネットの発達は、従来の交換通信網にくらべ、複雑なものを世にもたらした。インターネットの普及によって、常時接続が実現した結果、端末たる国民は政府に管理されることを許容した。またシステムが複雑化することによって、実際に技術を理解している、一握りの人間以外はシステムに利用されるだけの結果となり、結果として格差社会をもたらせてしまった・・・という趣旨か?
正直な感想は、技術革新と社会変革の相互依存という、産業革命以降論じられてきたことを無視している。具体例を挙げれば、馬車の発明は「交通事故」をもたらせたし、自動車の発明は「大気汚染」をもたらせている。しかしながら、そういうネガティブな事象を処理していくことによって、社会は発展してきたのである。インターネットの発展にしても同じ事で、便利になった反面、ネガティブなことも当然起こる。そこをどうクリアにするのかというのが、継続している社会の義務なのではないか。著者は、インターネット以前の通信方式が良い(とすくなくともワシには読めた)としているが、電話が登場した時には、同じようなネガティブな問題は発生しているのだ。
確かにインターネットが普及していくと、端末の高度化、システムの複雑化によるデバイド問題も当然発生するが、「複雑なシステムを簡単に、そして安全に使える市場」も創出されるのである。
世界的に進行する「システムの革新」を誰かの陰謀であるかのようなことを匂わしている。良く見るのが金融ビッグバンや郵政民営化はアングロサクソンの陰謀を日本の政治家が売り渡したとか、禿鷹ファンドの手先とかいう論調であるが、本質的にはこの本も同じ事を言っている。
これらの論調は、あまりにも、自分の既得権益を守るのに外部に責任を擦り付けている。本人の意図するとおりに周りが動くはずはないのだ。
こんな論調があるようだと、むしろ国家による管理が益々増えて、税金があくらあっても足りない社会になってしまう気がしてならない・・・