abeckham-izakaya new

日本の、東京の居酒屋巡りをお届けしてきたブログ・・
信州への転居に伴い、内容も一新してリニューアル!!

奇跡のドレッシング

2008年02月25日 | Weblog
僕は大学4年間のうちの約3年間、ある飲食店でアルバイトをしていた。僕が住んでいたのは東京都町田市。ほとんど神奈川県じゃん?と言いたくなるような場所にある中規模都市。新宿や横浜まで40分くらい。なかなか住みやすい町で、とりたてて新宿や渋谷に行かずともたいていのことは事足りる町だ。その町田にあるあるレストランでバイトをしていた。未だにその店でのバイト仲間とは熱い親交が有り、親友や兄弟姉妹と呼べる友人も多い。町田でも老舗だったその店は毎日多くのお客さんが訪れる繁盛店なのだが、今は業態変換で和食店に模様替えしているが、これもこれで繁盛している様子だ。
この店には食い盛り飲み盛りの大学生を虜にしてしまうある物があった。それが今回のテーマである「黒ドレ」だ。黒いドレッシングなのだが、もちろんこの店のサラダにはメインで使用される。また新鮮な魚をカルパッチョのようにして、その上に薬味と黒ドレをかける料理も人気メニューのひとつだったが、やはり極めつけは「鮭といくらの親子丼」だ。大きな鮭を丸ごとグリルで焼き、細かく身をほぐして小骨を除去。これを熱々ご飯に乗せ、更にイクラをドンッ!!その上に子ネギと海苔を散らして、最後に黒ドレをぶっかけるのだ。これがランチの人気メニューで、町田の多くのファンに愛されていたメニューだ。バイトの僕らももちろん魅了され翻弄されていた。バイトに入る前に、辛抱行かぬ空腹を満たすため、ランチのあまりのごはんをもらい、黒ドレを撒き散らし、よくかきこんだもんだ。言わば青春の味なのだ。
ドレッシングをごはんに??そう思う方はたくさんいると思いますが、これがたまらないのです。たまねぎやニンニクの刺激的な味わいと、黒コショウのスパイシーな色気。2種類の油が奏でる2重奏をアップルビネガーが指揮するすばらしいオーケストラがここにある。
この店出身の友人が、彼の地元新潟でスペイン料理店を営んでいる。年末に嫁さんと友人と久々にその店を訪れ、大いに楽しい夜を過ごしたんだが、ここでその感動を思い出し、紆余曲折の後、この店主(シェフ)から懐かしの黒ドレのレシピを教えてもらった。
バイト時代の友人にメールを回し、みんなで黒ドレレシピを共有することに成功し、みなそれぞれ懐かしの宝物の製造にかかったようだ。もちろん我が家も同様に嫁さんと初めての黒ドレ製造に挑んだ。写真がその黒ドレを使い、我が家の食卓を飾った「牛肉のたたきサラダ仕立て」である。サラダに良し、生魚に良し、肉に良し、ご飯によし、鹿男あをによし・・・申し訳ない。
皆さんも僕たち私たちの青春をこってりとさっぱりと飾ったドレッシングでドレッシーな食卓を演出してみては?レシピを公開します。ぜひお試しを。
僕を信じる方は信じてみてください。いまいち信じてない方はこれを機にすべてを僕に委ねるほどの信頼を心に抱くことでしょう。黒ドレに乾杯!ありがとうJACKPOT!
ありがとうモミさん!!
Recipe たまねぎ400g にんにく40g 塩60g 黒こしょう20g 
アップルビネガー1000ml 醤油400ml レモン汁2個分 サラダ油3600ml
ゴマ油200ml 卵黄2個分  
油以外の材料をミキサーで混ぜ、そこに少しずつ油を足して混ぜ合わせる。
使う前にしっかり瓶を振って混ぜること。冷蔵庫で1ヶ月弱はもちます。
この分量は飲食店用分量なので、おおよそ4分の1分量でワインボトル1本分でお試しを。

はるまついぶき

2008年02月14日 | Weblog
僕は昔からミスチルが好きだ。好きというより、ミスチルは僕の生活一部であり、常に生活の中に、仕事中に、ミスチルの曲からもらった言葉が散りばめられている。
何かある度にミスチルの曲から力やヒントをもらった。仕事にも人生にも中々うまくいかない時期に「ANY」という曲が「今僕のいる場所が探していたものと違っても、間違いじゃない、きっと答えはひとつじゃない」と教えてくれた。嫁さんと結婚を考えていた時に「sign」という曲が自分にヒントを与えてくれた。転職が決まり、松本に引っ越す時には「旅立ちの歌」がリリースされた。ミスチルが1回目のレコード大賞を受賞した「InnocentWorld」の歌詞を桜井さんが書き綴った場所は、独身時代僕が暮らしていた高円寺のマンションの目の前だ。ミスチルの曲に自分を重ねたり、勇気や力を与えてられた人は、世の中にたくさんいるだろうし、「TomorrowNeverKnows」は俺のために作られた歌だとか言う友人も数人知っている。それくらい僕世代の男には心にくるものがあるのだろう。等身大の、普遍的な言葉が胸にすんなり溶けていくのだと、僕は思う。
僕の大切な言葉はミスチルの曲の中にたくさんある。「胸に抱え込んだ迷いが、プラスの力に変わるように、いつも、今日だって僕らは動いている」「楽しく生きていくイメージを膨らまして暮らそうよ。さあ目に映るすべてのものを抱きしめながら」「どうせできやしないと植えつけた自己暗示を、引っこ抜いて呪縛をとけ」「思い立った瞬間、そこは滑走路」などなど他にも数多ある。人生や仕事でなんどそんな言葉に助けられたことだろうか。
そんなわけで僕はミスチルが好きで、桜井和寿という人間を心から尊敬している。
そんな桜井さんが最近僕ら夫婦に新しい贈り物をくれた。そんな気がする曲が流れた。その曲の名前は「はるまついぶき」。漢字にすると「春待つ息吹」だ。寒い信州で暮らす僕ら。特に今年は信州で過ごす最初の冬。驚くほどの山の雪や、毎日の冷え込みに驚きながらも楽しく過ごしてはいる。しかし今何より僕らが楽しみにしているのは春の訪れだ。
雪に囲まれ、白い山々を眺めながらこの曲を車の中で耳にしたとき、僕は勝手に桜井さんを近くに感じた。やはり僕と桜井さんを結ぶなにかがあるのだと。
仕事も大変だし、人生決して楽ではない。でも僕はこれでがんばれると、なんとなく納得したのでした。この曲をここ信州で聴くことができた幸運に感謝である。ではその歌詞の一部をどうぞ。お裾分けです。
―はるまついぶき より―
「鬼が笑う」ならそれもいい   
いつか僕らも一緒に笑えばいい
あきれるくらい未来の話をしよう このまま
降り積もる雪に覆われた 春待つ息吹のように
かすかでも光に向かう強さを抱きしめ
いつの日にか 向かい風だろうと翼にして
きっと 僕らも羽ばたけるはず 暖かな春の空に

神秘の湖 諏訪湖

2008年02月05日 | Weblog
松本から高速で20分。諏訪湖で有名な諏訪市がある。大きな市民病院や日赤病院もあり、系列のクリニックが多く、幸い我社の器械のユーザーが多い地域で、僕も営業で訪問することの多い土地だ。諏訪湖と言えば長野県細大の湖で、冬場に凍った湖の水面に穴を開けてわかさぎを釣ることが有名だ。僕は小学生の頃NHKの教育番組で見ていた「探検ぼくの町」の舞台だったことでも思い入れがあり、あこがれの「ちょうさん(主人公)」の軌跡を思い出す。ちょうさんは諏訪にあるスーパーで働く、メガネにタラコ唇の青年。店の配達の途中に寄り道をしては、町の伝統工芸や産業に触れ、発見したことを手書きの地図にまとめるのだ。小学生の頃、ちょうさんと同じことがしたくて、母に無理を言い学校を休み、自転車で自分の住む町を巡って探検地図を書こうとしたが、あっさりおまわりさんに注意を受け、午後から学校に登校させられたものだ。
大学生の時にサークルの合宿で何泊かしたこともあり、なんとなく道や町並みに記憶があったが、諏訪は仕事で来てみても良い所である。
1月の諏訪は寒く、ほとんど気温は氷点下。大きな諏訪湖も今年は凍りつき、久しぶりに全てが凍る可能性があるらしい。諏訪湖の水面が凍り、湖の上を神様が渡れるようになる言伝えがあり、このことを「御神渡」と書いて「おみわたり」と読む。
一度凍りついた湖面が昼の日光で溶け、膨張する際に隆起する現象のことらしい。
諏訪は日本酒の名産地であり全国的にも有名な長野の日本酒の代名詞「真澄」の蔵がある。あまりにもメジャーすぎる真澄にあまり興味は無いが、真澄の蔵の門構えはすばらしい気品と伝統がある。諏訪にはいくつもの酒蔵が軒を連ねる酒蔵ストリートがあるのだ。
その中に「神渡」という酒を造る蔵もある。酒の王様というキャッチフレーズの看板を目にするが、なんとなく神秘的な味を創造してしまう。
凍った湖面に、さらさらの雪が飛ばされていく。湖面は舞い上がる雪で、まるで煙でも発生したかのような風景を見せてくれる。神が宿ると言っても過言ではないすばらしい湖だ。
春の諏訪湖も美しいだろうし、夏のきらきら輝く湖面も綺麗だろう。しかし寒いところには寒いときにしか見れない輝きがある。信州の風景は冬こそ最高の風景を見せてくれる。まさに原風景と言える。
諏訪湖も凍り、松本も雪が消えないし、安曇野の原野は真っ白だ。ここにいると地球温暖化など感じないが、明らかに雪の量も冬の寒さも、昔とは比べ物にならないほど緩いのだと地元の方は言う。信州の山裾にも確実に押し寄せている地球温暖化。
松本は異常なまでごみの分別などにうるさい町で、ゴミ袋の種類は5種類ほどある。ゴミ捨て場には係りの人が立ち、不法な廃棄は許されない。この美しい環境を守るためには、これくらいのことが必要なのかも知れないし、まだ何ヶ月かしか住んでない松本の美しさを保つためなら、これくらいのことは喜んで守ろうと我が家も決めている。そういう意識が高いからだろうか、町にはポイ捨てされたようなゴミは少ない。歩いていても、ドライブしていても気持ちが良い。環境は住む人の気持ちしだいで保ちもでき、改善もできる田舎暮らしをしないとわからないことだが、一人でも多くの人に感じて欲しいことだ。
まだ失ってないものがある田舎だからこそ、失ってはいけないものの価値がわかっている。良い時にここで暮らすことができたと、運命に感謝する今日この頃であった。