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日本の、東京の居酒屋巡りをお届けしてきたブログ・・
信州への転居に伴い、内容も一新してリニューアル!!

沖縄

2009年07月28日 | Weblog
今回は長いです。

忙しかった今年の春。ろくに休みもなかったので、家族サービスと自分へのご褒美を兼ねて、久々の沖縄へ。7月中旬の雨の信州を脱出して羽田から那覇へ。数えてみれば僕は10度目の沖縄。嫁さんは2度目の沖縄。今回は初めての2人での沖縄という事もあり、嫁さんの希望を叶えて離島へ渡ることに。
初日に那覇で1泊し、世界遺産首里城を見学し沖縄の舞を見物。夕方には何度も行った事のある国際通りの居酒屋でオリオンビールをグビリ。やはりオリオンは沖縄で飲まなきゃ旨くない。軽い口辺りが暑い身体を冷ましてくれる。モズクの天ぷら、ラフテー(豚の角煮)、ゆし豆腐などを食べながらのんびり。ここで店のおばさんから幻の泡盛を勧められて飲むことに。有人島としては最南端の波照間島でたった一人の人が製造する「泡波」という泡盛をストレートで頂いた。1杯1500円だが、希少価値の事もあるが、まろやかで旨かった。
翌日那覇の泊港でお弁当を買い、船でケラマ諸島の座間味島へ渡る。少し波が高く、船は揺れたがそれもよし。50分ほどの船旅で船は座間味の港へ。迎えに来てくれたゆみさんの運転する車に乗り、5分ほどで宿へ到着。座間味の集落から少し離れた阿真という集落にある「はまゆう」が今回のお宿。5組しか泊まれない小さな宿で、サービスは押し付けがましくなく、程よい距離感で心地よかった。
さっそく自転車を借りて展望台へ。途中で牛と出会ったりしながら山道を登る事15分。水平線が広がる展望台から、久々にダイナミックな海を眺めた。
宿に帰りすかさずオリオンビール生をテラス頂く。日陰に風が注ぐはまゆうのテラスは特等席。ガソリン補充も完了したので二人で座間味の集落へ出発。集落の中を自転車でぶらり散策し、宿のお兄さんに教えてもらった居酒屋「居酒屋シーサー」へ。ここは1人2000円で泡盛飲み放題(つまみ付き)だという。最初に生ビールを1杯ずつ頼み、出てきたつまみは大量のフライ盛り合わせと、大盛りの豆腐チャンプルー。泡盛は「残波」がボトルで1本。どれだけ飲んでも良いらしい。二人で色々馬鹿話をしながら過ごす事3時間。ボトルは開けれなかったが満足の時間。お会計はビール代が別で5千円。安い!!
真っ暗な夜道をダッシュで駆け抜けて、座間味初日は10時頃敢え無く就寝となりました。
翌日、宿のおいしい朝ごはんを食べ、シュノーケリングセットを借りて、歩いて2分の阿真ビーチへ。座間味島は座間味の集落から車で5分の古座間味ビーチと、ここ阿真ビーチの2つがあるが、古座間味はいかにも海水浴場であり、人も多く、マリンスポーツも盛んでにぎやかしい。僕ら夫婦はそんなことは望まないので、この歩いて2分の阿真ビーチが向いている。人も少ないビーチだが、砂浜にヒルガオが咲き乱れ、白い砂浜と透明の水がきれいな素晴らしいビーチだ。
しばらくたくさんの魚とサンゴに見とれて浜へ上がった嫁さんが「あ、カメ!」と叫ぶ。海を見ると海面からウミガメが顔をひょっこり出しているではないか!
すぐに水中眼鏡を着けなおし、再度海へ。発見したウミガメは予想よりも大きなウミガメ。海底に生えている緑色の水草をパクパク食べている。僕らが近づいてることはわかっているが、気にせず食事を続ける。目をくりくりさせてとてもかわいい。甲羅の腹には2匹のコバンザメを搭載し、素敵な海中ショーを見せてくれた。僕の腰の深さくらいの海で、まさかウミガメと会えるとは。後で宿の方や、この海で写真を取っているカメラマンに聞いたのだが、座間味は毎年ウミガメが産卵に来るしまらしく、住み着いているウミガメも多いらしい。満ち潮に合わせて浅瀬に入り、草を食べて、引き潮に合わせてリーフにある住処に戻るそうで、今の時期には2匹のウミガメが常連だそうだ。
この日はまた自転車に乗り座間味の違う居酒屋へ。今日も沖縄食材に囲まれた夕食でオリオンビールと泡盛を。沖縄はゴーややにんじんなどの野菜をたくさん食べる。それと豆腐、もずく、豚肉など、健康的な食材をあっさりした味わいで出すところが多い。味はさっぱりだが、どれもしっかりかつおだしが利いていてうまい。僕ら夫婦の口にはピタリと合う。
沖縄に来ると昼ごはんは沖縄そばが多いが、これも毎日食べても飽きない味だ。あっさりだが、スープは飲み干したくなるほどの味わい。コーレーグースを入れるとぴりぴり辛くてまた旨い。
次の日も朝から海に行き、ウミガメやカクレクマノミを観察。浜に落ちている貝殻やサンゴを拾い、宿に帰ってシャワーを浴び、オリオン飲みながらテラスで本を読む。のんびり過ごすために夫婦揃って小説を持参。僕は司馬遼太郎の「関が原」を読みふける。風に吹かれながら冷たいビール。日焼けした肌に風が気持ちよい。最終日ははまゆで夕食をお願いした。県魚グルクンの丸揚げ、もずく、自家栽培島らっきょの天ぷら、まぐろとイカの刺身など、どれもおいしくボリューム満点。この日もオリオンと泡盛が旨い。座間味での思い出話をしながら夕暮れ時。テラスに泡盛を残し、一旦阿真の港へ向かい、夕焼けを眺める。山肌の色を刻々と変えながら暮れていく夕日は信州のそれとはまるで違う。幻想的な夕日に嫁さんは酔っているのかと思いきや、完全に酒に酔っている様子。宿へ帰り、後は部屋でゆっくり泡盛タイム。嫁さんが早めに寝静まり、僕は泡盛を持って宿の屋上へ。そこには満天の星空が。寝転がり、泡盛をちびちちびりやっていると、いくつかの流れ星が。天然のプラネタリウムに流れるBGMは、風と波の音、そしてヤギの鳴き声だ。
最終日、宿のおにいさん(曙そっくり)が車で島一周へ連れて行ってくれた。色んな高台を巡り、そこからたくさんの島を眺める。冬にはホエールウォッチングで賑わう座間味。目の前の海に200頭ものクジラが集まるそうだ。最後にウミガメの産卵地であるビーチの帰り、少し悲しい歴史に触れた。ここ座間味島は第2次世界大戦で、日本がアメリカに本土上陸を始めて許した島だそうだ。港には上陸記念碑も建つ。ここに米軍が上陸し、沖縄本当に進出し、沖縄戦の悲劇が始まったのだ。沖縄は海がきれいなパラダイスだけではない。悲しい歴史の傷を負う島なのだということも認識して欲しい。島には外国の観光客も多いかったが、平和な現代に埋もれさせていいものでもない。別に外国人が憎いのではないが、しっかりその辺も認識し、観光に訪れて欲しいものだと思う。そして逆に日本人にもそのことは言える。歴史はしっかり勉強すべきである。
港でゆみさんの見送りを受け、船で再度那覇へ戻る。ホテルにチェックインした後、那覇の国際通りにお土産を仕入れに。ちんすこう、紅芋タルトなどのお菓子を中心に、持ちきれないほどの土産を抱えて一度ホテルへ。荷物を郵送す手配を追え、最終日の沖縄ナイトへ。初日に気になっていた居酒屋、久茂地にある「吉崎食堂」へ。ここで最後のオリオンビールで乾杯。グルクンの刺身や、しつこく島らっきょの天ぷら、アグー豚の塩焼き、テビチ(豚足)などを食べながら泡盛を。カウンターから声をかけてくれた若き店長は気持ちの良い素晴らしい男だった。僕が独身時代に住んでいた高円寺の隣町、阿佐ヶ谷が出身と聞き、俄然話は盛り上がり、彼の夢を聞き、この業界での彼の成功を祈り、硬い握手で別れを告げた。
今回の沖縄は素晴らしい出会いと、新たな発見がたくさんあった旅だった。大人になり、嫁さんを連れて来た沖縄は、少し今までと違う側面も感じられ、より沖縄という土地が好きになった。ここに吹く風は暖かくさわやかで、やさしい人たちと明るい歌が迎えてくれる。忙しさの中で忘れがちな何かを取り戻したいなら、僕は沖縄を強く勧める。遠い海外より、近くて少し旅費の高い沖縄だが、かけるお金以上の感動と癒しに触れられるはずだ。
バカンスは海外ではなく、今だからこそ、沖縄で!!

焼きそば文化

2009年07月21日 | Weblog
僕は気づいた。信州に越してきて1年と半年。この信州にはある食文化がある。
そば?おやき?フルーツ?そんなありきたりなものではない。そう、僕は気がついてしまった。この信州には「あんかけやきそば」の文化がある。
「あんかけやきそば」と言ってもいろいろだ。カリカリに揚げた麺にあんかけをかけたタイプ。あるいわ柔らかい麺にあんかけをかけたもの。その両方に太麺と細麺があり。組み合わせは多々ある。
営業中に寄る中華料理屋や食堂で、やけにやきそばを食べている人が多いな?と思っていたり、雑誌を読んでいるとよくやきそばが出てきたり。ネットでもいろんな店の情報が溢れる。この信州は間違いなく「あんかけやきそば」文化がある。
松本の「本郷食堂」。長野の「寿楽」や「永楽」。上田の「日昌亭」。岡谷の「北京飯店」など、僕が噂を聞きつけて食べに行っただけでも、名店を呼べる店がたくさんある。おそらくその数倍の隠れた名店が潜んでいるはず。(写真は松本の本郷食堂)
僕はもとからやきそばが好きだ。福岡ではよく「長崎皿うどん」を食べる。我が家も昔から人が集まると大皿で皿うどんが出てきて、みんなで取り分けて食べたもんだ。言わずもがな長崎皿うどんこそ、日本で1番メジャーなあんかけやきそばであろう。パリパリの細麺に具沢山のあんかけをかけ、好みで酢やカラシ、ソースをかけて食べる。
東京にいた頃もよくリンガーハットに行って食べたもんだ。僕はたっぷりカラシをあんかけにかけ、途中でソースをかけ、最後に酢をかけて味を変えながら食べるのが好きだ。途中で味を変えるが故、量が多いほうが良い。信州のやきそばはどの店も量がたっぷりなのがうれしい。長野の寿楽などは笑ってしまうくらい量が多いが、他の店も概ね大盛りがっつりランチにもってこいだ。カロリーはやや高いと思うが、野菜もたっぷりで、肉や魚介が入る店も多い。栄養バランスはラーメンより絶対いいはずだ。
今のところ柔らか(少し固めだが)細麺の日昌亭と、太麺パリパリの北京飯店が僕の両壁だが、これからの営業ランチでの開拓次第でそのランキングは大きく動くであろう。
いやはや、それにしても良い土地に越してきたもんだ、と改めて思う今日この頃。

ユニコーンという才能

2009年07月07日 | Weblog
今年ユニコーンが再結成した。僕にとってユニコーンとは青春の一部。常に生活の一部に流れていた音楽であり、1番好きなアーティストと言ってもいいくらいの位置にある。
音楽とは「音を楽しむ」と書く。その表現が最も似合うアーティストだと思っている。楽曲の素晴らしさの根底にはメンバーそれぞれの確かな腕があり、楽曲に散りばめられるユニークな音源や表現は例えようがない。様々な才能が、奥田民生という人間により昇華された唯一無二のアーティストだ。
ユニコーンのコピーバンドとして、地方の小ライブハウスを本人たちが回る極秘ツアーを決行したり。メンバーの中の数人がステージ上で繰り広げる多種多彩な意味不明のユニットも数多く、「クサイモン&ワキガーファンクル」などは今も伝説である。
そんなユニコーンの中で僕が好きなのはキーボードの阿部義晴だ。バンド結成時のメンバーではなく、途中から加入し、徐々にメンバーの中でフロントマン的な役割を演じるようになった阿部。
ライブではブルースリーのいでたちで寸劇をこなし、ルパン3世のいでたちでキーボードを叩き、ボーカル奥田民生を抑え、メインボーカルを取る場面も多い。地元山形県でのライブでは、プロレスラーさながら、「スカイハイ」をテーマにアリーナから登場してファンにもみくちゃにされるシーンも。アーティストのライブなのか、お笑いライブなのかわからない場面もあるが、その音楽性と才能はぴか一だ。
ユニコーンのメンバーは解散後、それぞれが違う音楽活動を行っていた。奥田民生はソロでヒット曲を飛ばし、パフィーをプロデュースした。ベースのEBIは憧れのバンドARBに加入。ドラムの西川もヴァニラというバンドを組み、スマッシュヒットを出した。
そんな中、阿部の活躍は鳴りを潜めた。あの才能が世に出てこないさみしさを何年過ごしただろう。が、このユニコーン復活で全てが報われた。残念ながら長野県で公演がなく、復活のステージを見ることは叶わなかったが、いつか必ず僕はユニコーンに再会しよう。
そして今日は最後に僕の好きな阿部義晴のソロ活動の中で、最も好きな曲の歌詞の一部を紹介したい。男になら誰もがわかるような気がする切ない気持ちを、悲しいピアノの旋律に合わせた、僕の中での名曲だ。その曲の名は「欲望」。別れたあの人に引きずる思い。会ってみたいが、会ってしまうのも怖い。別れたあの人の幸せな姿を見るのがなんとなく怖い。そんな男心を唄った曲。今となっては入手困難。さあ、ユニコーンの才能の一部をお感じあれ。

あなたの事を いつも見ていたはずなのに
なぜか笑顔がどうしても思い出せない
夏の青い波の音が聞こえる辺りに
何かとんでもないものを 落としてきてしまったみたい
あなたに会いたい 会いたいと思うが
そこには知らない笑顔があるような気がして
逃げ出したくなる 涙が出てくる
もう一度あなたを 抱きしめたくなる
あなたに会いたい 会いたいと思うけど

そこにはいつもの笑顔があるような気がして
逃げ出したくなる 涙が出てくる
もう一度あなたを 抱きしめたくなる