古希行

七十までは歩けたい

虹を見た

2012-02-29 18:16:45 | 思案模様
今朝、雨のやみ間に日がさして、
美しい虹がでた。

色の濃い、
大きな虹が、
朝の太陽の強い光で、
西の方に、
現れた。

2012年2月29日。
この日、
娘とのしばしの別れが決定した。

先々のことはわからないが、
とにかく、
新しい航海をはじめようと決めた。

それで、
このブログのタイトルを『にじのはし』にかえる。


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ぼくを見つけてくれないかなァーーーこれも

2012-02-27 21:14:11 | 思案模様
このブログのタイトルの所以も、じつは浄土信仰につながっていたのか、、、、

森田童子の「ぼくを見つけてくれないかなァ」に

 誰か ぼくを見つけて くれないかなァ――。
 ひとりで埋もれていく このぼくを
 見つけたら 声をかけて
 くれるかなァ

これって、埋もれていくぼくとは、
地獄に堕ちていくぼくってことで。
声をかけてくれるかなアって、
阿弥陀様の救いの手ってことなのかなあ。


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弥陀はおかあさん

2012-02-26 17:56:03 | 思案模様
井上ひさしの『イーハトーボの劇列車』に、
賢治が父親の正次郎と信心問答する場面があります。
 
正次郎は、言います。
阿弥陀仏はおかあさん。
釈尊はおとうさん。
法華経は「おとうさんの日記」だ。
人間は悲しくてしかたのないとき、おかあさんと呼ぶのに、
お前たち法華宗は「ナムおとうさんの日記」ととなえるのか?

ん~~~ こっけいな問答なんだけれど、
クリスチャンも「聖書よ!」ではなく、
「オーマイゴッド!」なんだと思うと、、、、、


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森田童子は南無阿弥陀仏なのか?

2012-02-26 17:31:16 | 思案模様
五木寛之の『親鸞』(上)をいっきに読了しました。

 おやをおもわば ゆうひをおがめ
 おやはゆうひの まんなかに
 
 にしのそらみて なむあみだぶつ
 みだはゆうひの そのさきに

この文句を読んで、森田童子を思い出したのです。

『地平線』という初期の作品です。
ライブ盤の第一曲です。

 地平線の向こうには
 おかあさんと
 おなじやさしさがある
 だからぼくはいつも
 地平線の向こうで
 死にたいと思います

こんな感じで、地平線の向こうでの死を歌います。
4番で地平線の向こうには赤い夕焼けがあると言っていますから、
この地平線は西方でしょうね。
つまり西方浄土への願いが繰り返し歌われているのだと、
勝手に思ってしまった次第です。


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シャカと弥陀

2012-02-25 22:03:03 | 思案模様
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』

お釈迦様がカンダタに下ろした蜘蛛の糸。
それを「自力」で登れば、カンダタは解脱できる。
だけど、望みの最後のチャンスを失い、無限地獄に堕ちたカンダタは「自力」での道を失った。

その瞬間、
(一人の如来を除いて)
救済の道は閉ざされた。

その瞬間、
阿弥陀如来の手に救われ、
カンダタは極楽浄土への往生が決定したのだ。

もし、カンダタが弥陀に救われたことを信じるのなら、
おのずと南無阿弥陀仏が口から出るだろう。

親鸞の念仏は、
法然という蜘蛛の糸を切られたために転化したもの。

ーーーもう少し勉強します。

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悪魔だ!

2012-02-24 21:19:00 | 思案模様
悪魔ばかりじゃないか
僕の周りは悪魔ばかりじゃないか

娘を返せ!
僕の存在理由を戻せ!


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