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 日常の写真、趣味の山行を中心に書いてます 

飲み会

2014-01-30 | 日記


昨日は職場の雄志達との飲み会でした。

今日は飲み過ぎでちょっと大変でしたが、酒はいいですね。

酔っぱらいの私をいつも癒してくれる可愛いヤツら。





カメラの向こうの皆さんにも、語りかけてくれてます。


今年・初山

2014-01-25 | 日記


仙台で買った笹かまぼこの評価を忘れてたんで載せます。

そりゃそりゃ美味しかったですよ!!!!

オバァーちゃんが焼き過ぎたからとくれた笹かまぼこでも、充分美味しかったんですが、

それを売り物にしない意味が分かりました。 フワフワ感が全然違いました。

それとこれは帰ってから気づいたんですが、仙台空港にも橋本笹蒲鉾店ってのがあって

私は飛行機の時間待ちの間、土産物屋をうろうろしてたんですが

何かにもたれてマスクをした兄ちゃんがいる、笹かまぼこ店を見て

ふっくらした美味そうな笹かまぼこやなァ~~~と思った記憶があるんですが

それが震災後のどさくさに紛れて、何か月か修行しただけで店を出した

なんちゃって橋本蒲鉾店らしいんです、 くれぐれも騙されない様にしてください。



今日は金剛山に登ってきました。

私は元来ザックに小物をぶら下げるのが、バランスと体力を消耗するんで嫌いです。

水分補給はハイドロも持ってるんですが、湧水もすぐ汲めるボトルが好きです。

サイドポケットに入れると、いちいちザックを下すのが面倒なんで

前に固定できるのを探してましたが、この前遂に、嫁さんがニューバランスのアウトレット店で

見つけてくれました。  それもなんとボトル付きで¥500-!!!!

もうしぶんありません。  さっそくカメラ・ボトルをザックに固定して試すと

揺れずに、取り出しもストレスを感じることなく最高でした!!!



暮れに来た時よりも雪が少なかったです。







アウタージャケットも、ゴアテックスにこだわってたんですが

最近のジャケットには、胸・脇に通気できるファスナーが付いてるのがほとんどです。

じゃあ、防水・防風だけで充分。浸透性なんか必要ないですよね。

だから高いゴアテックスジャケットはいらない・・・・最近気づきました。






仙台紀行(続)

2014-01-22 | 日記


仙台では松島にも行って来ました。

誰が決めたか「日本三景」の一つ松島。これで全て制覇ですが

松尾芭蕉が句に詠んだ「松島や松島や・・・・・・」

あれはたぶん、それ以上言葉が無かったんじゃないか・・・・

浜から見てたらよくわかる気がしました。

天橋立と同様、何のこっちゃない所でした。 がっ!!!!

9時をちょつと過ぎたため、遊覧船に乗れなかった故に乗った貸切船。

これが抜群に良かった。  

船室には丸いテーブルと座布団。ガスストーブもついてます。ヌクヌクで三人だけの貸切。

出航してすぐ船長が、後ろの船外ベンチの眺めがいいとか、窓を開けた方がよく見えるとか

しきりに勧めてくれますが、温くて居心地がいい船室で聞き流してました。

でもそこに深い意味があったのを分かるのに、時間はいりませんでした。

スピードを上げるたびに、排気ガスで船室が白く煙ります。

操舵ハンドルも回すたびに、油を差せばいいのにキコキコ

またそれに加えて船長の流暢な案内が妙に景色にマッチ。

自然に笑顔・大笑いになり、全開で窓を開けてぞんぶん松島観光しました。







かなりの遠浅なんですね。 松島は船で沖に出ないとわかりません・・・





瑞巌寺



本堂は修繕中のため入れませんでしたが、石窟は見ものです。



名物笹かまぼこの手焼き体験。 これでも充分美味しかったんですが

冒険野郎はこの後「本物の笹かまを見せたる」と納得させてくれません





先日の牛タンに始まり、ここからが信じられない満腹グルメ旅です。



昼に入った中華料理屋。

行列が出来ていつもなら絶対諦めるところが、冒険野郎の勤務する副所長が

予約してくれてまして、大勢のうらやましがる視線の中をスル―

リーズナブルで美味しい御馳走を、腹いっぱい堪能しました。



そして一見さんお断りで、気難しいオバァーさんが販売してるという極上の笹かまぼこ屋へ

言われるように看板もなく、一見普通の民家です。

ここの商品を譲ってもらうには、何回か足を運ばなければならず・・・・

現に冒険野郎からは注文して二ヶ月弱でやっとお目に掛かれたと、散々聞かされてました。

恐る恐る玄関から声を掛けてみるも、案の定出て来てくれません

しばらく待つと、あいさつをするでも無し、オバァーさんがのそりと現れました。

いきさつを話し、譲ってほしいと伝えると、一週間あれば届くよ。。。って

えっ!!!!  で奥の業務用冷蔵庫にある、焼き過ぎの失敗笹かまぼこをあげるよと

そのまたおまけに、料金の端数をおまけしてくれました。?

なんという評判違いの気前の良さ!!!! 気が変わらないうちにと早足で出てきました。



何でだろう???・・・・・実際ウチには4日後に配送されてきました。



晩飯は鴨鍋とお寿司のコース。酒の持込みOK!!! 

気合を入れますが、昼の中華でまだ膨満感

でもほんとに美味しかったです。ありがとう!!!



東北大学・東北工業大学と青葉山で見てきました。

私の大好きな友達が学生時代を過ごした仙台。血気盛んな時期を過ごした仙台。

東北では断トツの都会でした。でも彼が過ごした時の仙台は今よりもっと先進だった気がします。

楽天の優勝。

仙台にはもっともっと東北の雄となり続けて欲しいと、切に思いました。













































仙台 東日本大震災編

2014-01-15 | 日記
東日本大震災は2011・3・11に発生しました。

震災二ヶ月後に、私は岩手県の盛岡近郊に行く機会があったんですが

その時は偶然大阪から応援に来てた自衛隊の、前線基地を見ることしかできませんでした。

今回、被災地のライフライン復興のため、早くから現地に入って協力した冒険野郎の

出来るなら早くその目で、現場を見ておいた方がいいとの意見もあり

年明け早々、彼にお願いして現地を案内してもらいました。



上が石巻市河北地区の現在の写真です。

写真を撮っていいものか迷いましたが、大震災を風化させてはいけないとの思いと

自らの感性で得た経験を持ち帰って、生かさねばとの思いで撮らせて頂きました。

ガードレールの内側が生活道路だったんでしょう。水もまだ掃けてませんでした。



大川小学校です。宮沢賢治の詩を書いた卒業生が作成したモニュメント。

その裏の山をよくご覧ください。木が枯れてる所が津波の到達点です。









全校生徒108人のうち74人の児童と、教員4人が犠牲になり、まだ4人が行方不明になってます。

校舎の崩壊もさることながら、大きな瓦礫は取り除かれてますが

小さなガラス片・瓦・タイル・瀬戸物等いろいろまだたくさん混じる踏みしめてる地面

綺麗に整地されてましたが、これがどこまで深いんだろうと・・・重い気持ちが増しました。



最後に撮った慰霊碑の写真ですが、右端におじさんがおられたので中央左しか写してません。

慰霊碑に帽子を取り一礼しに行ったとき、このおじさんのライターに目がいきました。

この日は天気も良く穏やかな昼だったんですが、この現場は建造物はおろか木さえも生えてません。

どの位の距離か分かりませんが、見えるはずもない遠くの海から川に沿って強風が通り抜けて行きます。

たぶんあの時の津波の様に、海から遮る物のない所を強風が随時吹きつけているのです。

おじさんは防風付きのライターで線香に火をつけていました。

ここでは普通にしては線香に火をつけることは出来ないでしょう。

そのおじさんが私にどこから来たんだと声を掛けてきました。

答えると、慰霊碑の一点を指さし、これが嫁さん。

次にその上を指さし、これが婆さん、母親だと。

次に楕円形を描き親戚、もっと大きな円を描き同じ村の者。

衝撃に声も出ませんでした!!!!

話を聞く以外に・・・聞き逃してはいけないという思いだけでした。

全三ヶ所に線香をあげ、中央右にある印刻されてる写真モニュメントの一番端に

自宅がちょっと写ってることに気付かれ、驚いた様子で又いろいろ説明してくれました。

そうこうしてると、別の一組のご夫婦が近づいてきました。

今日は月命日の一日後、お互いご旧知の間柄らしく、親しげにお話されてたんで

その場を失礼させて頂きました。

次は今回の震災で浸水区域が最大だった石巻市内。

日和山公園という、石巻を一望できる綺麗に整備された公園に案内してもらいました。



あれ以前もこれからも毎朝、公園の大きな鳥居から御来光とともに何事も無かったように一日が始まる。

でもその下に広がる風景が、今まで漠然と過ごしてきた日常は当たり前じゃないって思い知らせてくれます。





埋立地の様に見えますが、海岸のちょっと離れた所にあるテトラポットを見ると、自然の海岸線だと思います。

世界のどこにでもある、河口にできた三角州でしょう。



上の写真は中州ですね。中州の上に見えるドームが石ノ森正太郎のマンガ館です。

「009」。「仮面ライダー」等、私たち世代が夢中になった漫画の資料館でした。





木もない・テナントの見つからない埋立地に見える様な所は、津波や火災で消失した住宅地です。

ポツリ壊れた家が残ってますが、持ち主、親族に連絡がつかず、取り壊しが出来ない住宅です。

中央左側下に見える墓石群も見て下さい。真新しい墓石ばかり多いのがお分かりでしょう。

おびただしい数です。 ここに来るまでの墓地でも圧倒的に新しい墓石ばかりでした。

でも写真でも見れるように、新しくできた水産工場もだいぶ稼働してました。

きっとこの灰塵の中から、環境との共生や人々の連帯で

この逆境を乗り越えていかれることを、切に願うことしか今の私には出来ませんでした。

帰りの車窓から見えた、海岸の松林