なんと!免許不要、しかも20万円以下のお金で4人乗りの船外機付のお船が買えのですョ~。

スクーター、パソコンと同金額程度で、規制緩和のおかげで免許無くとも、船外機付のお船のオーナになる事が出来た。その航海記。

千葉県野田市芽吹橋付近

2011-04-29 02:51:14 | 千葉県野田市

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3月11日の東日本大震災で私の地域でも震度5強を記録。うちも少しだが家財の被害が出た。(大被害を受けられた方にお見舞い申し上げます。)

プラス、事故原発と同じ路線である私の住む千葉県北西部では、放射線警戒し海外避難で成田空港へ向かう人、西日本に家族を避難させる人など結構居たと思う。実際交通混乱が落ち着く始めると、旅行カバンを持った人が駅周辺に増えた。その中には千葉県から避難する人達にまじって、東北から避難してくる人も結構居た。若い人などは、最低限の物の持ち出してであろう、バックパッカーのような格好の小集団で私の住む町のターミナル駅の周りをうろうろする姿が見れた。そんな中私も、状況次第では関東以西への避難を考えてもいたのだが、不幸中の幸いで原発は私の想定する最悪の状態まではいかなかったので避難はとりあえず取りやめた。それならば、と今度は私が逆に被災者の為に何か出来ないか、と思って社会福祉協議会に連絡して協力などを申し出たりもして、3月はあわただしく過ぎた。落ち着きが戻ってきた3月下旬、ボート買ってから3回目の航海を決行した。

場所は千葉県野田市芽吹橋付近の利根川。選んだ理由だが、誰かのブログとか見た訳ではない。自分で事前調査して決めた。駐車場はあるか?帰りに泥落としの為に公園などで水道が使えるか?水面にボートを安全に降ろす事が可能か?(スロープや桟橋が使えるか?またはその代用になるような施設や地形等があるか)等の条件でグーグルマップやウォッちず等を使って探した。地図でまず手ごろな河川や湾、湖沼を探し、次にその水辺にある公園を市役所などのWEBサイトで調べた。すると公園の中にトイレはあるか?水道の蛇口があるか?駐車場は?等々の情報は結構自宅でも取れた。だが下見は特段しなかった。現地行って不都合あれば移動するか最悪撤退すれば良いだけ、と思っていたからだ。そんな感じで候補地にあがったのが、「野田市スポーツ公園」であった。地図では川辺まで200M程度だったのと、公園駐車場が無料でトイレや水場が確認出来たからだ。更に言えば前回の手賀沼に行くのと同じ程度の時間で、自宅からここへ行く事が出来る近さだからだ。

決行当日、とりあえず自宅から地図の(1)の公園に行って、駐車場の位置を確認した。そして車に乗ったまま利根川の水辺にどの程度近づく事が出来るのか、奥の土手に向かって進んだ。そうしたらゲートがあって「平日通行禁止」の文字。私は車を置いて、利根川の水辺がどうなっているのか確認の為に歩いて進んだ。獣道みたいな所を通って水辺が見えてきたのだが、土手のてっぺんから水面まで目測約5M程あり、斜度は30度以上の急勾配。しかも滑りやすい泥の地面。とてもじゃないが車置いてある場所からですらボートなんて水辺に運べない。

しかたないので場所を移動。車で利根川の水辺ぎりぎりまで入り込める場所はないのか、と探しながら公園付近から車走る事約5分位で地図の(2)付近に、水辺に接近出来そうな側道らしきものを見つけ入ってみた。そうしたらこれがドンピシャだった。そこは川の水辺そばに車をおけて、しかも水辺まで30M程でボートを降ろせる場所であった。

写真左は、私の車と、陸に上げてある船。18禁アイテムが散らばっていた為にモザイク処理した。右は土手を下る為の結構な勾配と5Mの高低差の簡易梯子と船を係留してある簡易桟橋。

 

ところで少し気になった事がある。近くに「手賀沼漁協」という看板がおいてあった。で道を進むと桟橋があったり船がおいてあったりするものだから、「車、ここに置いても平気か?」とか「梯子や桟橋使わせてもらって平気か?」と思った。反面、利根川河川敷って国土交通省の管理下である訳だが、これらの梯子や桟橋は許可取って作ってあるのだろうか?てか河川敷は国有地では?ならば桟橋等の施設は私使っても平気かな?とか色々考えてしまった。一応トラブルは起したくないし、なによりもコチラはリハビリや趣味事なので、幾ら天下の公道ならぬ利根川であったとしても、漁業を正業としている方には、迷惑と思われないように心がけたい。なので後日国土交通省利根川下流河川事務所に問い合わせしてみたいと思う。そう思いつつ今日はこの梯子を桟橋を使わせて頂く事とした。

  

今回の航海はのんびりと往復5km程度で、おおよそ3時間ほどボートに乗っていたが、エンジンの慣らし運転はたったの1時間程度しか出来なかった。何故かと言うと、自分も利根川に船を出すなんて今まで無かったから知らなかったのだが、この3月の時期は、長さ日本第2位の大河、「坂東太郎」と呼ばれる利根川の中下流域ですら、水量が極めて少なくて今回航行中何度も船底を擦ってしまったからだ。

私は、利根川クラスの大きな川って、人なんて頭までズッポリ潜ってしまうほど深いと勝手に思っていた。が今回行った付近は多分河川域の7割が水深50cm以下の浅瀬といった状態。鮎釣りでもしている様な上流ならともかく利根川の中下流域で、こんなに浅いなんて・・・。

話し戻すが、擦ったと言ってもその大半が岩ではなく砂だった。おかげでプロペラ周りを故障させたりする事は無かったものの、エンジンを動かせなくて、パドルで浅瀬からの脱出を図ったりして、もがいて、あげく座礁して、仕方なしにボートから降りて川に乗り出して写真の如くボートを水深の深い所まで引っ張って、そしてまた浅瀬にぶっつかって・・・の繰り返しであった。こんなコンディションだったので無理をしないで3時間で引き上げた。ボートをたたみ、車に積んでとりあえず公園まで戻って水場で小物洗ったりしている頃にはもう日が暮れていた。

しかし、川ってすごいって今回本当に思った。自分のHPにも香取浦の事とか書いているが、大きい川の運ぶ土砂の量は尋常ではないって事。私が今回ボート浮かべた利根川付近から銚子までは、千年昔位までは塩水が押し寄せる内海だった。それが川が運ぶ膨大な土砂で堆積していって、それ+人の新田開発の為の干拓なども手伝って、昔の日本を知らない人はとてもびっくりするほど、地形を変えてきた。

それほどの土砂が川に毎日の様に積もる訳だから、江戸時代や明治時代、利根川水運盛りの頃には川底が浅くならない様に浚渫(しゅんせつ)したりもかなりやったのだろう。その苦労はいかばかりだろうか。

私の住んでいる千葉県には江戸時代の河川交通に関する史跡や関連の物が沢山ある。こと今回の野田市に関して言えば、世界に誇る野田の醤油のルーツには利根川の開発が密接に関係している。今この記事を書きながら、そういう歴史のロマンスを改めて感じている私でした。

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