なんと!免許不要、しかも20万円以下のお金で4人乗りの船外機付のお船が買えのですョ~。

スクーター、パソコンと同金額程度で、規制緩和のおかげで免許無くとも、船外機付のお船のオーナになる事が出来た。その航海記。

1年ぶりの船旅日記利根川横断編完結なるか?

2014-06-11 22:59:45 | 利根川下流域

※この日記は、去年6月位?の物です。今年銚子市犬吠埼まで行って来た利根川下りシリーズを完結したので、その前置きとして1年前の日記を書きます。

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利根川と銚子犬吠崎

 利根川の千葉県内全域をミニボートで川下りしようとしたシリーズは、今回で最終章を迎えるはずでした。


海上保安庁や世話になっているマリーナや気象庁の情報を収集し、入梅前後の小潮なら銚子の利根川河口から犬吠埼(本州最東端で有名)まで経て、東洋のドーバーの断崖と言われる屏風浦まで行けると意気込んで、私はGWの代休を長期とったのです。

その結果、私は4M以下の小型船で利根川を下り、銚子漁港沖まで行くなら、その船路は本当に命懸けという事を痛感してしまうこととなったのでした。

 船旅に際しては、気候待ちもしました。はやる気持ちを抑えて月齢の小潮選んだりしてその日まで大人しくしていた訳です。そのおかげか犬吠埼まであとほんのチョイのところまでは行けたんですヨ。

それでも銚子の利根川河口を出て、太平洋に躍り出た時の波の高さが3M・・・これって2,7Mの船に3M以上の波ですわ。この怖さわかりますでしょうか?

海水浴場でも大波来ると頭の上超えることよくあるでしょ。
まさにあれ。地平線見えない位の波が次から次に押し寄せる。波をくぐると地平線が見える。この繰り返し。でも波の周期が長いので横波さえもらわなければなんとか行けると私はふんだのです。

強烈な横波を喰らえば、まさに木の葉が川の流れに翻弄されて沈んでいく・・・という感じ。
波に押されて防波堤に叩きつけられるからです。実際防波堤のテトラは怖い。これに釣り人が何人も吸い込まれ実際悲惨な事故も多いと聞きます。
そうならない為に一生懸命エンジンと舵操作して防波堤に近寄らず且つ、緊急時の為に遠洋に出ない様遠ざからない距離を取りつつ大波を超えていく。これでも小潮なんだ月齢は。小潮でこれだもん。大潮なら1発轟沈かな。

で、いつ大波に飲まれてもおかしくない恐怖から、私はミス犯したのです。


 写真の大徳ホテル沖500M位まで接近して暗礁帯回避して波かわせると思ったら、これが大間違いだったのです。
この辺一帯写真良く見て欲しい。かなりの浅瀬で波が増幅しホワイトブロー。すなわち白波立てて大波になっている。そこに好き好んでいってしまった。しかも波に注目、地形に跳ね返り四方八方から波が来る。こりゃ地元の人が無謀と私に行ったのよくわかる。

結果マイボートは転覆。5月下旬のまだ寒い海にひっくり替えされて流され、波は3Mで頭の上から降ってくる。海水しこたま飲んだのでした。

「こんなところで死にたくない。」

必死にひっくり返ったボートにつかまり足でこぎながら、海底に沈んだアンカーをたくり寄せる。(これが引っかかっていると前に進まないから。)
でドライスーツもさすがに浸水していたのですが、さすが防寒着で低体温症はまのがれなんとか足の届く浅瀬にボートを持っていくことが出来たのです。と思っていたらエンジンが落水。防水携帯も水浸しで故障。これだけの大波には耐えられなかったのです。

 今回の転覆での損害額。およそ12万円。金額的に痛いけど、ま、命助かったら気にしない気にしない。

そして家に帰って改めて命ある事の感謝を仏壇に父、祖父祖母に報告しました。本当に人の生き死になんて紙一重だ。こんな無謀なことしているから、ある意味本当の命の尊さ人一倍わかる自分なのかもしれないな、とも思います。とにかく命あることに感謝。本当に一歩間違えたら死んでいたね。

でもこれって一般の人もみんなそうなんですよ?

自転車乗ってて後ろの車が突っ込んできたら?とか。だから私はどんな人の命も尊重したいし、安易に死ね言うのも大嫌い。

話ずれましたが、利根川シリーズはあともう1回やる予定。
厳密にはもう太平洋ですが、犬吠埼から屏風浦までの約17キロ。今度は安全に成功させたいですね。

で家に帰ってきて5日間位、疲労で何にもする気が起きなかったです。店も臨時閉店しとにかく体力戻るのを待つ。で明日からお店再開。頑張んなきゃ。

利根川と銚子市犬吠埼沖

 

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利根川・江戸川分岐点周遊。関宿閘門見学。

2012-08-15 18:46:20 | 利根川下流域

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今回は、前回、破損させてしまったスロットル部分の修理の為に、千葉県野田市の工場にエンジンを預けて来たのですが、修理代が購入価格の半額以上と聞かされ修理を断念。その為にエンジンを回収する為に利根川・江戸川近くまで行ったものですから、前から行きたかった関宿関門を見て来て波乗りにチャレンジとか思ったりしたのでした。

利根川全体像。今回の航行地は東京から真北に行って、利根川にぶち当たった所ら辺。

  ・上の画像解説。左から1)今回の航路図。2)これも以前紹介した、道の駅境で、簡易テントで1泊しようと寝床造っている所。3)下の画像は、寝床造る前に、近くの無線LANスポットで車中ネットゲーム中之図。機械購入で無料利用出来るWIFI無線LANのFONで、外でもネット情報がかなり採れるから、現在ではもはや旅行には絶対欠かせない。

と、ネットで航行に必要な航空写真等の情報集めてから、少しばかりネトゲー(FEZ)で遊んで、下の画像の解説へ。

左から1枚目。6時に目が覚めてしまった私は、寝床撤収と洗面を1時間で済ませ、その後渡し船と船舶用スロープがある境河岸に移動した。2枚目は、早速ボートの組み立て、といっても空気入れている所の写真。3枚目、いよいよ9時に出航。左に渡し船の桟橋、右にスロープが見える。4枚目は、出向場所からしばし昇ると見えてくる関宿城模擬天守閣。ここから江戸川に分岐し、江戸川を下れば東京だ。5枚目!ついに第一目標の関宿閘門の堰部分を確認。一番右の写真で閘門に接近を試みる。

      

そうして無事関宿閘門は通過したのだが、カヤッカーがカヤックサーフィンしているのを見てもっと、激流とか思って居たけど、夏の渇水期にそれは無理だったのでしょうか?動画も画像も張る気も起りません。で、いささか期待外れといった感じで下流に移動する。そして今度は鯉の滝登りならぬゼファー号堰昇りを試みた。

関宿の堰.関宿閘門。

更に…

関宿の堰にパドリングで挑む

で、結果から言うと、堰近くでのカヤックサーフィンは、ものの見事に失敗した。まず大波近くまで接近するのが至難の業だった。その後何とか乗れそうな波もあったし、ものの2~3秒は乗れたところもあったが、今回装備品が多くで重量がある分、パドリングでの推進力に不足があった。ここは次の機会にリベンジしに来よう。

         

で、上の写真をまた左から解説。関宿閘門近くの公園の歩行者自転車用の橋。2枚目は国道4号線までたどり着いた所。3枚目は更に東北新幹線鉄橋まで来た所。今回はここで折り返す。ここまで来ると利根川もやっと少し中流の顔になってくる。ここから河口まで130キロはあるだろう。さすが大河利根川である。

4枚目。今回のGPSでのエンジン使用時の下り最高速度は時速13キロメートル。平均11キロ。最上川みたいに激流じゃないから、速度でないですね~~~。5枚目は江戸川分岐点まで戻って来た所。ここに来ると急に川の流れが複雑になる。江戸時代は難所だった所でもある。

で最後5枚目・・・今回のミッション終えて撤収中。あとはエンジン下してボートの空気抜いて畳んで、ゴミ回収するだけ・・・。私はなるべく川や海でボートしててゴミ浮かんでいたら、回収可能なら拾っている。で今回拾ったゴミの大半はまず釣りの人のものでしょう。自分も確かに昔釣りやっていました。でも今しません。それは鉛中毒を引き起こす鉛のおもりをかなり使って糸切れで水中に落としたり、糸自体も1万年腐らないと言われるものを使用し、海川を汚染し、タバコの投げ捨て当たり前、と言う人があまりにも多いからです。なので私は辞めました。ボート持っていますから釣りの誘惑に確かに駆られます。でも川に浮かぶ空き缶とか見るたびに、非常識な釣り人への怒りも増すのです。だからせめて私は偽善的かもしれませんが、こうやってゴミ拾いながら川下りしています。

で、今回の旅はお終い。釣りする方。全員が悪い人とは思いません。でもなるべく仕掛け切るにしても回収を試みたり、釣った雑魚を人の通行の邪魔になる場所に放置し腐らせウジ湧かせるような事してほしくないです。私も逆に釣りの方には細心の注意払って邪魔にならないようにしています。なのでお互い楽しい休日になる様に出来ると良いなと思いました。

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横利根川の閘門

2012-08-03 00:20:36 | 利根川下流域

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7月下旬の水郷地帯めぐりで、この動画のUP忘れた。スエズ運河やパナマ運河やオランダでは有名な「閘門」である。

私は初めて閘門を自分の船でくぐったのであった。面白いのでUPします。

 


パナマ運河やスエズ運河で有名な閘門。この閘門が利根川下流域の水郷地帯にもあった。閘門とは。例えば船が上流側に行くには、水位の高低差があって昇るのが大変な訳だが、­この閘門で下流域と上流域の高低差をエレベーターの様に上下させて、船の航行の効率化を図るというもの。

 

 

横利根川の閘門

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利根川下り。銚子行失敗のリベンジのつもりが・・・。

2012-07-31 00:57:16 | 利根川下流域

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7月22日に利根川下り銚子行をあと40㎞という所で断念し、香取市佐原までしか行けなかった私は、その後エンジンを隣の市の整備工場に出したりして、銚子行は修理待ちだな、と思っていたのだが、それから直ぐに佐原に忘れ物して河川敷に置きっぱなしにしてある鉄製の鎖20Mの事を思い出した。価格3千円位だっただろうか、もう誰かに取られたか、あるのを前提に銚子行のリベンジを兼ねて60㎞離れている佐原に行くか考えてみた。しかしやはりエンジン無しで流れが厳しいことで有名な利根川河口を航行するのは、航路によっては多分自殺行為に近いだろう。

そこで鎖を拾いに行く事は行きたいが、場所を銚子リベンジから、霞ヶ浦周辺の水郷地帯散策に切り替えた。ここらはバス釣人やカヤッカーのブログではかなり有名地帯。なんせ水郷だ。船の話には欠かない場所柄です。という事で前回の航海から1週間後再度佐原の街に向かった。この日は出るのが遅くて、佐原に到着して直ぐにボートを下して、くだんの鎖を探す。1分ウロウロして「ああ、やはりないかな?」と思った瞬間ありがたい事に鎖発見。その後は日が暮れるまでリハビリ運動としてのパドリングで佐原周辺の利根川を行ったり来たりしてその日の航海を終えた。夜になるまで川岸そばでボートに乗っていて夜景撮影を狙っていたが、それにしても人口灯の少ない河川とかは怖いものがある。幽霊とかじゃなくて、こんな中航行したらまずいな、危険だなという怖さである。

 

ボートは川の護岸にボート係留し終えて、食事に真っ暗になった夜のとばりの街に繰り出す。と言っても前回美味しかったワカサギにしても、前回財布と相談して断念したウナギにしてももう夜なので、やっている所が少ない。それに非常食や飲料水の買い込みがあったのでコンビニに行く。

一通り買い物を済ませ、次に探したのが車内に持って来たノートパソコンでWIFIにより無料でネットがしたかったので、私が登録しているFONのアクセスポイントを探した。大まかな位置は分かっていたのだが、より良い受信場所をフォックスハントさながらに探し10分程で中々良い場所を見つけた。明日の本格航海を前に最後のネットによるデータ収集後、私は日頃行っているゲームをしばらくしていたw前回の航海時には航海後も合わせ5日間ゲームはしなかったのだが、今回はしてみたくなったのだった

でゲームしすぎで明日やばいってので急ぎ撤収。それで前回寒さに震えた教訓から今回はテントをきちんとは張らなかったが、それでもテントをチャルト的な使い方をしてボートをベッド代わり、テントは屋根替わりにしてそこにもぐり虫も来ない快適な環境で安心して眠った。時間はもう午前2時になっていた。そして7時半起床する。目覚まし時計は10時にSETしていたというのに、私は相変わらず旅行等の時は寝不足でも体が勝手に起きてしまう。リゾート系長期滞在型ならともかく、この手の行きたい場所と時間の兼ね合いをしなければならない場合、どうしても寝るのがもったいないみたいな所がある。それは置いておくが8時にはもう出航していた。

そして今回の航海だが、地図を見てほしいが、まず出航地佐原から利根川をさかのぼり、船遊びする人間には有名な閘門を自分の手操作し水位を調整し、作業完了後門を開けて(操作と言っても1回スイッチ入れるだけで全自動)横利根川に侵入し、これもさかのぼり常陸利根川に入る。そこをまたさかのぼると、ほどなく日本第二番目に大きな湖沼である霞ヶ浦に入る。それを見終わったら霞ヶ浦から常陸利根川を下り、佐原と共に水郷で有名な潮来の街に行き、そこで船を係留。そしてボートに積んでいた組み立て式自転車を陸揚げし、再び佐原まで今度は陸路自転車で車の位置まで帰り、今度は車でボートを取りに行くというものだ。

では以下それらの写真。

      

上の左から「横利根川水門。」、「水門の奥の閘門。」、「閘門内の操作盤。」、「水位を調整し同じ高さに水がたまると閘門が開く。」、「閘門通過中。」、「横利根川侵入」

しかしこの横利根川、ヘラの放流をしているとの事で、釣り客この日だけで100人位見た気がする。釣りは私もしてたんだけどボートしてて釣りしないのは地球に悪いから。鉛や何千年も下手すると1万年も自然分解しない釣り糸とか、ゴミとか平気で捨ててる人があまりにも釣り人には多い。こういう事書くと批判食らいそうだが、釣りしない人から見たらそれが実態なのだ。ボート乗るようになって、この事は本当に痛感するようになった。もっとゴミ持ち帰る。たばこのポイ捨てやめる。糸が切れたら、それもなるべく回収して川に残さない。そういう事出来ない人は釣りはすべきでは無い。

      

左上から「横利根川。ヘラブナ放流を逃がさない為の網がある。管理者に通行申し出ると、「どうぞ~」って返事で無事通行。」、2枚目は「横利根川で軽めの朝食(バナナ)」、

左から3枚目は「地震の影響はこの辺ではかなりあった様子。家が全体的に傾いている。でも損壊はあまりしてないので仮に地震保険入っていても金出るかどうか・・・」、「常陸利根川への水門」、「常陸利根川から霞ヶ浦入口をのぞむ。海の様なデカさだ。」、

5枚目、「船への警告「危険徐行」と書いてあるが、半数以上の船は多分全力に近い速度で航行している。その速度35ノットは楽に超えているってのも少なくない。船の中では30ノットは結構速い。時速換算で65㎞だが、海上自衛隊の大型護衛艦の最高速度が35ノットとか。それに船は急には止まれないから高速は危険。」、

6枚目、「約5時間かけて到着した潮来の街。」

      

上左から、潮来の河川敷の公園。トイレや水飲み場完備でボート乗りには大助かり。

2枚目は「祇園祭りかだんじり祭りとかでおなじみの山車。佐原はからくり山車をだんじり祭りほどではないがグルグル回したりして有名だが、ここのはどうなんでしょうね?」

3枚目、「今回大活躍の折り畳みチャリ号」そして4枚目、「ボート乗り&自転車ロングラン人間には大助かりな歩行ナビ。」、5枚目、「常陸利根川から見た潮来の街。」、6枚目、「利根川の水門までやっと帰って来た。ここまで自転車で休憩込1時間チョイ(療養中なのでのんびり走っています。)」

そして最後に戻って来た、利根川の茨城県側から見た佐原の街の全景。

という事で、チャリで無事車の駐車場まで戻り、その後潮来まで移動しボートを回収。今回は係留地そばの公園で水分補給と、水洗いが出来たので非常に助かりました。そうして帰宅を開始した時はもう夜間近でした。ここから自宅まで約50㎞。睡眠不足ととてつもない疲労から睡魔も襲って来てきましたが、車内カラオケでアドレナリンを放出させそれを乗り切って無事帰ってきました。帰ってくると柏の街は祭りであちこち通行止め。しかし燃え尽きて白い灰(BY矢吹)になりかかりの私には、もう柏の祭りなど何の興味もありませんでした。で無事帰宅でお終い。

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H24年7月下旬利根川下流航海2

2012-07-25 15:44:53 | 利根川下流域

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H24年7月下旬利根川下流航海1続き。前回成田空港ほぼ真北の滑川簡易マリーナで1晩野宿したところまでが前回。で騒音に寒さで浅い睡眠しか出来なかったが、朝5時起きしてしまい6時前にはここを発った。

 本来1日目の目標は香取市佐原駅周辺だった。滑川からは約18㎞距離がある。しかし昨日書いた様に強烈な川を遡る波や風で、船足が時速7㎞~8㎞しか出ないのが痛く到着出来なかった。川下りの場合、速ければ12㎞以上出る事だってあるのに。

しかも本来私はリハビリを兼ねてる。パドルで水を掻いて舟を漕ぐ。これが運動となる。しかし今回はパドルで漕いでも風波に負けて漕げなかった。でも代わりに怖い三角波が続く今回の航海は、舵取りで常に力が入っていて、そういう意味では良い運動にはなった。その原因は舵とりバーが折れた事。兎角あと3日で銚子に行くには天候回復が前提で、急がなければいけない。よって佐原まで居眠りしそうなところ仮眠したいの我慢して先を目指した。

 3時間近く経過して佐原の港付近までやって来た。佐原の港とは江戸時代とかで言えば上記地図の水色のラインのが線路あたりから町中を通過する付近全体。あちこち高瀬舟(ここでは「さっさ船」というらしい)係留の河岸がある。今でいう港なら道の駅に付帯する施設、水の駅水の郷さわらの係留施設等だろう。ここまで来るのに長かったな~。で水の駅水の郷さわらの傍にゴムボートの醍醐味で以下の様に上陸するw

で佐原の写真の説明。下左1枚目は「道の駅水の郷さわら方面から見た利根川」。2枚目「道の駅さわら近くの小野川河口の水門。これさかのぼると地図の様に旧市街地。」3枚目「水門通過中」。4枚目「東日本大震災の爪痕がまだ残る佐原の町の風景。建物や護岸修復をしていた。この辺は震度5強だったが、軟弱地盤考えると6弱行った気がする。液状化もこの付近の市町村でもあったので、ここもあったと思われる。」

   

下。旧市街地中心部。街自体は京風というか小江戸って感じが売り。あとここは幕末チョイ前に伊能忠敬という中年の星的偉人さんが生まれた地で、NHK「4万歩の男」と言うドラマにもなりました。幕末シーボルト事件で国外持ち出しをされた地図作りに関わった人。当時測量技術が未熟なこの時期に、現代地図とほとんど変わらない精度のこの地図は国家最重要機密の部類に属した訳。で写真のそばに彼の生家があります。

船をこの辺まで進めてトラブル発生。水草が船のスクリューにからみ、スクリュー空転。エンジンが焼けないようにスクリューに異常圧力がかかると、安全装置が働らき空転するのだ。為に空回りし推進力を失った。なので写真はエンジンをこれから修理の為に取り外すため、上にあげている。

で自力修理を試みる。この手の事は割とあるとあることで、為に交換部品も携行してる。でスクリューを外したら・・・安全装置のシャーピンというピン状部品が変形しメインシャフトから抜けない。さあ困ったああああぁぁ~~。私はこの状態を1度経験済みで、その時は電動グラインダーでピン削って取り出したのだが、私はそんなの船に積んでい無い。しかたなく車整備工場、バイク屋等々を観光案内所の協力を得て調べて、駅前の板金屋さんに症状を伝え、少し渋りがちな声ではあったが、車関連工場でも十分手が打てることを伝えて、現地まで来てもらった。そしてすぐ板金屋さんは来てくれた。地獄に仏だ。とりあえずミノとハンマーでピン叩き抜こうとした。苦戦。こりゃアカンと思った私は、グラインダー研磨をお願いした。したらエンジンを車に積んで板金屋さんは「じゃ待ってて」と去って行った。待つ事15分程度で彼は帰って来た。そしてピンは抜けていた。ありがたや。で「有難う御座います。お代は?」と問うと「2千円です。」という。「え?出張料コミでそれは安良くて申し訳ないです。」というが板金屋さんは「大したことしてないから2千円で。」という。私はご厚意に甘えさせてもらった。

次は外したスクリューにシャーピン付け直して、取り付け作業を開始。その中を下の画像の様に観光船が行き来する。船頭さんとかお客さんとかにも励まされ、少し恥ずかしかったwしかし柳に和風建築物に和服の船頭さんとさっぱ船、情緒あります。

で、観光案内所で言われたのだが、ここは千葉県指定最重要保護生物の 『ナガバコウホネ 』が自生しているから、気をつけなきゃ駄目と言われちゃった。しょぼん・反省。ちなみにこの佐原市内地の小野川は、観光船が上記の通り行き交うので、カヌーの大群とかは面倒な事になる。大渋滞で。もしここ来る場合は短船にすべきだろう。もっとも観光船のピーク時には水門閉じてしまうそうな。

そうしている内にもう夕方近く。私のこのミニボート(11フィート以下)は、船検いらない代わりに、日没後の夜間航行が禁止なので、船とめる所探して利根川そばまで下った。この日も利根川本流の波と風は相変わらず。そして舵の故障・・・今日のトラブル。銚子までは今回やめておこうと決断した。

で探したのが地図の係留地。ここは運動公園の一部らしいので、私有地ではなさそう。なので一旦ここに船をつなぎ、船に鍵かけて一路JR佐原の駅を目指す。ちなみにこの周辺は水郷とあるだけあってウナギ料理屋が多い。で私も店に入ったのだが、昨今うなぎ不良で値段がウナギのメッカですら上丼で5千円とか!今回色々エンジン壊したりトラブルも多く、お金節約したかった私は、ウナギさんは次!と思い今回はぐっと我慢の子であった。昔なんか割烹で1万とかのウナギ食った事もあるのだが病気休業中の私は船のって外出するだけで既に贅沢。我慢。でも次は予算組んでリベンジ食いだ!wで今回はその代りワカサギの天ぷら定食を750円で頼んだ。いやーでもこれも美味い。てかこの店高いだけあってやはり揚げ方からコメの炊き方流石のプロでした。

話それたが佐原駅に行く為には1,8㎞。30KGの荷物持って歩くかタクシーか・・・したら道の駅にバスが来るというではないか?そこで運よく時間あまり待たないで駅まで行く市内循環観光バスに乗れた。これ週末のみらしく運が良かった。でJR佐原駅からJR成田駅経由、我孫子線に乗り換えて一路出港地で車泊めたJR木下駅をおり、約1キロ歩き車にたどり着いた。外は明るかったが19時過ぎてもう夜である。で木下を出て佐原に車で向かう。船を回収する為。で45分程度で到着。コンビニで夕食とって船の分解作業する。1時間ほどで作業終了。こうして佐原を21時には出たのだが、ちと鹿島に寄り道をしたので、鹿島たったのがもう翌日2時だった。襲ってクス眠気。こりゃ死ぬ。やばいと思い利根川河川敷に車を止め、今度は寒さに震える事無くグースカピー眠った。次の日の10時半まで寝てた。で佐原経由して千葉県北西部まで帰る訳だが、途中色んな川やボートショップを偵察しながら次の航海を頭に浮かべつつ、寄り道しながら帰ったので、この日帰りは夜近かった。そして車から荷物合計で50キロ以上もあるのを家に運び込み・・・はい、みなさんお分かりですね。私は疲れ切りました。で今回の旅を終しまい。

追伸・昨日エンジン修理の為に隣の市の船外機修理工場に持って行く。修理中はエンジン無しのただのパドル推進ボートとして重量は激減。渓流下りなどやるときは、ラフトと同じでパドル以外の装備品など付けないで川を下る。そうだ、そういう感じで来週また佐原行って気候次第風向き波次第だが、銚子行第2弾やりに行くかもしれない。とりあえずH24年7月下旬利根川下流航海2はお終い。

追伸・私は佐原は3回位遊びに来ている。これからはもっと来ることになるでしょう。その理由は日本第二位の大きさの湖沼である霞ヶ浦筆頭に、北浦・与田浦・外浪逆浦といった湖沼群をアマタの水路網と、いくつもの川が結び、その筆頭が利根川です。しかしこの利根川、元々は江戸湾に注いでいたのです。それを江戸時代に、当時太平洋に注いでいた鬼怒川と合流させ、今のルートに付け替えるという大工事があって、現在の利根川~江戸川ルートでの船便での輸送が激増し、それで元々武術道場などでの神棚で有名な「香取神宮」と「鹿島神宮」を周辺とした地域の内陸港として発展したのが佐原やイタコの~イー太郎~♪と歌われた潮来(イタコ)の町が出来たんです。そしてその関係で銚子と利根川沿いの野田は全国的な醤油の街となったのです。その辺少し私自分のHPで書いてますのでご参考に・・・昔利根川下流域は、とてつもなく大きな内海であった事を知らない人がかなりいますので・・・。

http://www.h6.dion.ne.jp/~awroom/Chiba/page003.html#sawara

佐原の街自体は京風というか小さな江戸で小江戸って感じが売りです。あとここは幕末チョイ前に伊能忠敬という中年の星的偉人さんが生まれた地でして、NHKで「4万歩の男」と言うドラマにもなりました。幕末のシーボルト事件で国外持ち出しをされた地図作りに関わった人です。当時測量技術が未熟なこの時期に、現代地図とほとんど変わらない精度のこの地図は国家最重要機密の部類に属した訳です。

 

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