先日行われた八戸三社大祭の中日(8月2日)に長者山で行われる騎馬打毬について知って頂くため、この場を借りて紹介します。
騎馬打毬は現在、宮内庁に於いて保存・継承され、また、青森県と山形県で無形民俗文化財に指定され、祭事に奉納されている古式馬術です。
騎馬打球は紀元前五世紀から六世紀にかけて古代ペルシャで発祥し、三世紀ころシルクロードを経て中国に伝えられました。中国において唐、宋の時代に盛んに行われた騎馬打毬は遣唐使や渤海使の往来とともに平安時代にわが国に伝えられたそうです。
八戸の騎馬打毬は「加賀美流附伝打毬」と称されているが、これは今からおよそ180年前、八戸藩主第八代南部信真公が八戸藩に伝承されてきた「加賀美流馬術」の騎射八道(流鏑馬、笠懸、犬追物、牛追物など八種)に騎馬打毬を加えて御家流馬術と定め、家臣に行わせたからという。騎馬打毬は流鏑馬とともにもっとも勇壮で実践的な武芸ゆえ、加賀美流馬術の中心的な武芸となっていったようです。
文政十年(1827)、信真公は現在の新羅神社を改装し、その落成を祝い、騎馬打毬を流鏑馬と共に奉納した。これがいまも毎年8月2日、長者山新羅神社の「桜の馬場」で古式豊かに行われている奉納打毬の始まりだそうです。
騎馬打毬は現在、宮内庁に於いて保存・継承され、また、青森県と山形県で無形民俗文化財に指定され、祭事に奉納されている古式馬術です。
騎馬打球は紀元前五世紀から六世紀にかけて古代ペルシャで発祥し、三世紀ころシルクロードを経て中国に伝えられました。中国において唐、宋の時代に盛んに行われた騎馬打毬は遣唐使や渤海使の往来とともに平安時代にわが国に伝えられたそうです。
八戸の騎馬打毬は「加賀美流附伝打毬」と称されているが、これは今からおよそ180年前、八戸藩主第八代南部信真公が八戸藩に伝承されてきた「加賀美流馬術」の騎射八道(流鏑馬、笠懸、犬追物、牛追物など八種)に騎馬打毬を加えて御家流馬術と定め、家臣に行わせたからという。騎馬打毬は流鏑馬とともにもっとも勇壮で実践的な武芸ゆえ、加賀美流馬術の中心的な武芸となっていったようです。
文政十年(1827)、信真公は現在の新羅神社を改装し、その落成を祝い、騎馬打毬を流鏑馬と共に奉納した。これがいまも毎年8月2日、長者山新羅神社の「桜の馬場」で古式豊かに行われている奉納打毬の始まりだそうです。