80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

柏市箕輪 香取神社

2012年11月13日 | 神社仏閣・石碑
 05月14日から06月19日にかけて五条谷の稲荷神社とかと一緒に撮影しておきながら放置してしまったが、今更ながら掲載する。



 公民館と公園が同居している香取神社の鳥居をくぐる前に見つけた、御賽前と書かれた石塔は、寛政十(1798)年十一月のものらしく、鳥居の傍らには、天保三(1832)年の富士浅間宮の石碑があった。

   

 神木らしいが、中は小さな子供が入れるかと思う程に朽ちているのに、こんなにも青々とした葉が茂っており、自然の生命力に畏怖すら感じてしまう。





  

 鳥居の手前の狛犬だが、向かって右側の「阿形」の像には、折れている足の部分に何かの石像の一部を挿入しているようで、鳥居の奥の手水石は、文化五(1808)年七月のもののようだ。

  

  

 2つの常夜燈のうち、向かって右側は彫刻がされており、とても立派なものであるが、何を題材にしているのかわからないのが歯がゆい。

     

   

 何かを題材にした精巧で素晴らしい彫刻が施された社殿には、日露戦争の時の凱旋記念碑が掲げられていた。

    



 それにしても見事な彫刻だ。つい見とれて時間を忘れてしまい、体のあちこちが蚊に刺されてかゆくてたまらない。

  

   


 稲荷神社の石祠は劣化が進んであちこちが剥離しているが、天気が荒れて強風が吹いた翌日に追加撮影で訪れたところ、石材が更に剥離しているようであった。

   

   

 待道大権現と彫られた石祠が納められていたが、待道大権現は地域限定のものらしく、我孫子市岡発戸の八幡神社に待道大権現の本社が祀られているそうだ。

 

 明治三十三(1900)年十一月建立の石祠が何か気になるが、それ以上に、石祠の左右にある首のない石像とおぼしきものが何か、とても気になる。

   

嘉永七(1854)年二月吉日庚申塔 不明石祠 

     

嘉永三(1850)年三月吉日不明石塔(箕輪村講中) 昭和十一(1936)年三峯神社石祠 

   

享和四(1804)年二月吉日二十三夜塔 天保拾一(1840年)立春吉日庚申塔

    

延享四(1747)年十一月吉日庚申塔 天保三(1832)年六月吉日庚申塔

    

寛政元(1789)年十月吉日庚申塔 寛延五(1793)年十月吉日庚申塔

   

寛政十二(1800)年十月吉日庚申塔 建立年不明御金石尊大権現塔

    

享保元(1716年)十月吉祥日庚申塔 大正二(1913)年三月猿田彦大神塔

    

大正十一(1922)年三月伊勢大神楽奉奏記念塔

 


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