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平安時代の週刊文春か?…・女流作家が続々誕生・貴族のサロンの噂話が裏本になる。42話

2022-10-28 16:23:48 | 日記
平安時代の週刊文春か?…伊奈利の源氏物語・日本初の出版会社が登場・貴族のサロンの噂話が裏本になる。伏見稲荷大社の物語 42話

 京の都に遷都されてもう11年になる。洛中とその周辺の村を含めた山城の国の人口は16万人を超えていた。これに対し事務方の公家や貴族は1600人と少なく、その上に彼らは仕事が大嫌いで宮中には朝の7時ごろには出勤するが、昼ごはんを食べに自宅に帰ると午後は出勤する人はまずいなかった。つまり、仕事は午前中とする文化があった。それは夕方まで仕事をすると遊ぶ時間がなくなるからでもあった。現在ではアフターファイブというが、それは夜に電気があってこそでこの時代の夜に遊ぼうと思っても真っ暗闇では遊びの種類がアレしかない。

 やはり健康のために運動的な蹴鞠や歌会、舟遊びは昼間しかできない事情があったからだ。しかし、それでは当時の日本の人口約400~500万人の中央本庁としての事務は多すぎるので下級公務員制度を作り1000人を雇用していた。ただこれは男子ばかりで貴族も庶民も女性は専業主婦というより洗濯機も掃除機もない時代だから働きには行けない事情もある。

 それでも役所が人手不足のために桓武天皇は貴族の五位以下の位の娘、妻たちを事務方の仕事の応援するようにと命令された。その数は約100人で主な仕事は書記が書く日本の歴史書、天皇が発令した命令書、遣唐使が持ち帰った経典、全国の年貢の経理などをさらに書き写して写本、製本にするというものだった。これは原本だけを保存した場合火事や地震、それに戦争などで焼失する場合があるので数冊作って別々の寺や貴族の屋敷に保存するということだった。まだ木版などの技術がなかったので書き写すというのが最大の印刷だった。

 元々、貴族の女たるものは読み書きは子供の時から教えられて貴族の女としての最低の条件でさらに和歌、笛や琴という和楽器まで名人級にならなければ位の高い貴族の嫁になれないという出世の条件でもあった。こうして男ばかりの役所社会に女性が進出してきたが、やはり女が100人集まれば話題というのは今と同じでファッションや男と女の噂話だった。つまり、今まで貴族の屋敷の奥にいた女が一堂に集まるというサロンができたからここは宮中全体の情報の集積の場所になる。

 やはりこの臨時公務員の女たちも昼で仕事を終えて自宅に帰ることになる。そしてある女性が宮中の噂話をヒントに小説を書いたが、それが人気があって貴族の女性たちに回し読みされていた。そうなると、私も女流作家になりたいう女性が多く現れるのは現代と同じになる。こうして宮中では女性が物語を書くということも教養の一つとなっていた。ただ、これらの小説は写本も木版印刷もされないまま宮中の中のみで原本はいつかなくなっていた。

 その原本を一部手に入れて読んだ稲荷神社二代目宮司の生成(いなり)は、あまりにも生々しい貴族の風紀の乱れに驚いていた。しかも、仮名だが実在の人物とわかる、それに官位までそのまま書かれているのでこれはやばいと思って桓武天皇と相談をしていた。天皇は、
「その原本は知らないが、予の読んだのもかなりおもしろくて笑った」
「はい、なんというか女どもから我ら男を観察すればこうなるのとか私も少しは反省しています」
「ふむ、貴族の女を事務方に召集した予が悪いのか?生成?」
「いえ、こうなればこういう写本をお認めになった上で著者を書くというルールにすればこういう無署名の裏本は減ってくると思います」
「そか、もう遅いのか?しかし、写本にすれば貴族ばかりか庶民までこれを読む」
「それにプロの女流貴族有名作家が続出するかもわかりません」

 結局のところ結論は出なかったが、この裏本に書かれると娘や妻ばかりか男も出世に響くと貴族社会の不倫文化はかなり下火になっていた。しかし、不倫が下火になると時間が余る五位以上の貴族の娘や妻はこれまた今まで知り得た、また噂話や言い伝えなど五位以上の高級貴族社会のことを書き始めていた。これは天皇が「著者を書けば写本もいい」といったと理解してペンネームで書いていた。その原本を元に今度は五位以下の女性が宮中でこれをアルバイト的に写本と製本をしていた。

 この製本された写本は一冊米1斗=10升(約15㌔)現在の約5000円の高額で売られていた。しかし、それでは農民や庶民は買えないのでこの写本を手に入れた商人はこれまたこれを手本に写本の民間アルバイトを募集して大量生産したおかげで庶民に読めるようになっていた。さらに、奈良の経典を木版で印刷する技術者を雇ってこの高級貴族女性の暴露本を大量印刷していた。これが日本で最初の出版会社となる。

 このころ大ヒットしたのが「梟の森」というタイトルで著者は「藤式部」というだけで誰かはわからなかった。これは小納言の藤原実盛という架空の人物が、中納言の藤原兼吉の妻に夜這いで通ったが、実盛があまりにも愛撫が下手だったでその妻がHの手ほどきをしたというお笑いともいえる性描写が描かれていた。
 
 しかしながらこの小説を読めばこの実盛が誰だとわかるので小説の中の実盛はこの小説の出版差し止めを天皇に願っていた。天皇は小納言に、
「これはお主のことなのか?」
「いえ、こんな位の高い中納言さまの妻の貴子さまとは関係がございません」
「ほう、この小説の相手は貴子だったのか~なるほど…」
「いえ、それはその小説のことで私は何も関係がこざいません」
「そうか~関係ないというお主がこの本をどうこういう資格はない!」
「………………」
          (おわり)

🦊このお話は806年の2月ごろのお話しになるが、ここまで読んでこれは「紫式部の源氏物語」「清少納言の枕草子」と感じた方々も多いと思う。しかし、これらの小説はこの200年後のことになるから、もう200年間も貴族の間では小説や随筆が書かれてその写本を元にしての集大成を紫式部や清少納言が仕上げたと私は思っいます。それから1200年の時を経て現在では「週刊文春」が貴族ではないが、政治家、有名人、知識人の不倫などのスキャンダルを書いてはいるが、これも懲りない人々のおかげだと週刊文春は喜んでいるそうな。⛩️