
上関河内宿 【かみせきごうどしゅく】 入り口看板
粋人に有名な矢祭町付近の 『滝ノ沢温泉』 に浸かりに行く途中で発見しました
東白川郡矢祭町 人口五千数百人の町の上関河内宿。

この地域では集落を 『宿』 と呼んでいるそうでした

でも、あの著名な大内宿でも小泉首相が訪問するまではそれほど名の知れた場所ではなかったそうですから。
上関河内宿も静かで綺麗で爽やかな空気が流れる素敵な 『宿』 でした

矢祭町は、平安時代の1051年に源義家が奥州十二年戦争で勝利を収めて凱旋する途中、通りがかったこの地の美しさに魅了され、背負っていた弓矢を岩窟に納めて武運長久を祈ったことから町名が矢祭になったと聞いています。
その矢を祭った 『矢祭神社』 も目的のひとつでした。
また、西行法師や水戸光圀公などもこの美景の地の歌を残すなど この地の美しさに魅了された方々が多いのも事実です。
『何も無い』 という人もおられるでしょうが 展望台や娯楽施設・土産物等々があれば良いという考えから脱却すると別の素晴らしさが見えて来る気がします。
粋人に有名な矢祭町付近の 『滝ノ沢温泉』 に浸かりに行く途中で発見しました
東白川郡矢祭町 人口五千数百人の町の上関河内宿。

この地域では集落を 『宿』 と呼んでいるそうでした

でも、あの著名な大内宿でも小泉首相が訪問するまではそれほど名の知れた場所ではなかったそうですから。
上関河内宿も静かで綺麗で爽やかな空気が流れる素敵な 『宿』 でした

矢祭町は、平安時代の1051年に源義家が奥州十二年戦争で勝利を収めて凱旋する途中、通りがかったこの地の美しさに魅了され、背負っていた弓矢を岩窟に納めて武運長久を祈ったことから町名が矢祭になったと聞いています。
その矢を祭った 『矢祭神社』 も目的のひとつでした。
また、西行法師や水戸光圀公などもこの美景の地の歌を残すなど この地の美しさに魅了された方々が多いのも事実です。
『何も無い』 という人もおられるでしょうが 展望台や娯楽施設・土産物等々があれば良いという考えから脱却すると別の素晴らしさが見えて来る気がします。