伊勢神宮と同タイプの鳥居 (三の鳥居)
仁科神明宮は、1872年 (明治5年) より郷社、1876年 (明治9年) より府県社、1893年 (明治26年) より県社にしていただいたそうです。
※神社の社格 【ウキペディアから引用】
・神宮 (伊勢神宮) (最尊貴の神社として社格制度の対象外とされた)
・官幣大社 - ・国幣大社 - ・官幣中社 - ・国幣中社 - ・官幣小社 - ・国幣小社 - ・別格官幣社 - ・諸社(民社) ・府社 - ・県社 - ・藩社 - ・郷社 - ・村社 - ・無格社(神社明細帳に記載されている(存在が公認されている)が、社格を有しない神社)
朱色の位置に該当する神社で 「社格」 にすると上位から11番という位置に置かれている神社なんですね。
仁科神明宮への案内立札
参道
近隣も白壁の旧い家並みが多くてとてもよい感じでした
神明宮入り口
示・掲示板
天照皇大神がご祭神です
示 アップ
天照皇大神神話 (伝説?創作?)
あの、天岩戸に引き篭もって天宇受賣命たちが岩戸の前で桶を鳴らし、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。
それを見た八百万の神が一斉に笑っていたので、岩戸を少し開けて覗いた天照大神をアメノタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出したと日本神話にある天照大神がご祭神です。
【日本最高峰の伊勢神宮と同じ。女性の姿をしていたが女ではなく、男性でもない神様で皇室の祖神様で、伊勢の神宮内宮の御祭神と同じ。
時の権力者が修正した 『古事記』 にその昔、日本の国を造り、神造りをされた伊邪那岐神が、妻の伊邪那美神を慕い黄泉よみの国 (死者の国) へ行かれた穢けがれ (神道では死は穢れとされる) を、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓をなされた時に、左の眼より成りませた神。 その後、高天原 (全世界) を統治なさる神になりました。 その孫が「天孫降臨」として宮崎高千穂に舞い降りて出雲一帯の国津神の大黒様から武力で倭の国 (日本) の統治権を奪い取って現在に至ります。】
御神木
この3本は 「御神木大杉」 で目を惹きます。
真ん中の神木は櫓で覆われています。
相当な大きさに驚かされます
社叢の説明
社叢の大部分は杉と檜のようですが、赤松、栗、楢、栂、樅などで、幹囲2メートルを超える大木も数多くあるようです。
中門も国宝
中門、神門、本殿が国宝です
二の鳥居
手水場
国宝の神門・本殿に続く石畳
気をつけて端を歩いていきます
左手に社務所
宝物殿
左手に拝観料 (初穂料) が必要との立て看板
階段
伊勢神宮や成田山等々、本殿や拝殿は高台にあり、階段を登り切って初めて見えるように造ることで 『神々しさ』 や 『権威』 を参拝者に体感させて 『ありがたさ』 を無意識のうちに感じさせるようになっています。
権威を盾に民衆を抑えるのは北朝鮮指導者や時の権力者が考えそうなシステムです。
鳥居の説明立札
伊勢神宮の遷宮時の廃材で造られたとのこと。
神門から本殿 全景 伊勢神宮に似ています
神明造りでも、伊勢神宮は他に真似させないという 『唯一神明造』 らしいですから一部は異なって造られていると思われます
建物 こちらも社務所でしょうか?
参拝作法の看板
背中が平らになるまで頭を下げるように求められます。
日本の旧来のシキタリでは、オジキの角度は15度で、45度は天皇と死者に対する場合のみ。天皇の祖先とされている天照皇大神には90度なんですね~
やはり 伊勢神宮と同じで、願掛けやお願いは禁止。
ただただ現状に対するお礼をいうだけ…
国民の自分に対する感謝の意なら聞きますが、不満や要求は聞きませんという意思表示。
権力者の祖先とされる (権力者が創りあげた?) 天照皇大神 (御神体は伊勢神宮の鏡ですが…)
らしいと云えばらしい…のですが…
宿泊は、民泊
昨年の民泊先のAさん宅の快適さが忘れられずに今年も泊まらせて戴きました。
清々しい澄んだ空気のもと気持ちよく眠り、起き、食べ… 表には美しい虹が…
虹
Aさん宅の庭から見えたアルプス山脈に架かる虹の橋
いつもこんな風景を眺めながら毎日を送っていらっしゃるAさんご夫婦がいつも穏やかで人間らしい表情をされているのが納得できました。
明日は公家さんや貴族・華族の仇敵である 武家の遺構の 『国宝・松本城』 向かってみようと思います
仁科神明宮は、1872年 (明治5年) より郷社、1876年 (明治9年) より府県社、1893年 (明治26年) より県社にしていただいたそうです。
※神社の社格 【ウキペディアから引用】
・神宮 (伊勢神宮) (最尊貴の神社として社格制度の対象外とされた)
・官幣大社 - ・国幣大社 - ・官幣中社 - ・国幣中社 - ・官幣小社 - ・国幣小社 - ・別格官幣社 - ・諸社(民社) ・府社 - ・県社 - ・藩社 - ・郷社 - ・村社 - ・無格社(神社明細帳に記載されている(存在が公認されている)が、社格を有しない神社)
朱色の位置に該当する神社で 「社格」 にすると上位から11番という位置に置かれている神社なんですね。
仁科神明宮への案内立札
参道
近隣も白壁の旧い家並みが多くてとてもよい感じでした
神明宮入り口
示・掲示板
天照皇大神がご祭神です
示 アップ
天照皇大神神話 (伝説?創作?)
あの、天岩戸に引き篭もって天宇受賣命たちが岩戸の前で桶を鳴らし、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。
それを見た八百万の神が一斉に笑っていたので、岩戸を少し開けて覗いた天照大神をアメノタヂカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出したと日本神話にある天照大神がご祭神です。
【日本最高峰の伊勢神宮と同じ。女性の姿をしていたが女ではなく、男性でもない神様で皇室の祖神様で、伊勢の神宮内宮の御祭神と同じ。
時の権力者が修正した 『古事記』 にその昔、日本の国を造り、神造りをされた伊邪那岐神が、妻の伊邪那美神を慕い黄泉よみの国 (死者の国) へ行かれた穢けがれ (神道では死は穢れとされる) を、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓をなされた時に、左の眼より成りませた神。 その後、高天原 (全世界) を統治なさる神になりました。 その孫が「天孫降臨」として宮崎高千穂に舞い降りて出雲一帯の国津神の大黒様から武力で倭の国 (日本) の統治権を奪い取って現在に至ります。】
御神木
この3本は 「御神木大杉」 で目を惹きます。
真ん中の神木は櫓で覆われています。
相当な大きさに驚かされます
社叢の説明
社叢の大部分は杉と檜のようですが、赤松、栗、楢、栂、樅などで、幹囲2メートルを超える大木も数多くあるようです。
中門も国宝
中門、神門、本殿が国宝です
二の鳥居
手水場
国宝の神門・本殿に続く石畳
気をつけて端を歩いていきます
左手に社務所
宝物殿
左手に拝観料 (初穂料) が必要との立て看板
階段
伊勢神宮や成田山等々、本殿や拝殿は高台にあり、階段を登り切って初めて見えるように造ることで 『神々しさ』 や 『権威』 を参拝者に体感させて 『ありがたさ』 を無意識のうちに感じさせるようになっています。
権威を盾に民衆を抑えるのは北朝鮮指導者や時の権力者が考えそうなシステムです。
鳥居の説明立札
伊勢神宮の遷宮時の廃材で造られたとのこと。
神門から本殿 全景 伊勢神宮に似ています
神明造りでも、伊勢神宮は他に真似させないという 『唯一神明造』 らしいですから一部は異なって造られていると思われます
建物 こちらも社務所でしょうか?
参拝作法の看板
背中が平らになるまで頭を下げるように求められます。
日本の旧来のシキタリでは、オジキの角度は15度で、45度は天皇と死者に対する場合のみ。天皇の祖先とされている天照皇大神には90度なんですね~
やはり 伊勢神宮と同じで、願掛けやお願いは禁止。
ただただ現状に対するお礼をいうだけ…
国民の自分に対する感謝の意なら聞きますが、不満や要求は聞きませんという意思表示。
権力者の祖先とされる (権力者が創りあげた?) 天照皇大神 (御神体は伊勢神宮の鏡ですが…)
らしいと云えばらしい…のですが…
宿泊は、民泊
昨年の民泊先のAさん宅の快適さが忘れられずに今年も泊まらせて戴きました。
清々しい澄んだ空気のもと気持ちよく眠り、起き、食べ… 表には美しい虹が…
虹
Aさん宅の庭から見えたアルプス山脈に架かる虹の橋
いつもこんな風景を眺めながら毎日を送っていらっしゃるAさんご夫婦がいつも穏やかで人間らしい表情をされているのが納得できました。
明日は公家さんや貴族・華族の仇敵である 武家の遺構の 『国宝・松本城』 向かってみようと思います