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『1Q84』村上春樹の世界観!(その2・不倫)

2010-02-22 11:37:55 | 村上春樹の世界観
こんにちは、テツせんです。
わたしの家のまわりでも、ようやく梅が咲き、
春の兆しが感じられようとしていますが、
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

さて引きつづき、『1Q84』における村上春樹の世界観について読み解いていきましょう。

前回では、
主人公の(天吾)が人妻のガールフレンドとの、
世間でいう不倫の関係を由(よし)としていることに話がおよびました。

おそらく作者の村上春樹もこのことに同調していることが、
つぎの、天吾をかばう、理由付けのような文章によって分かります。

「今に至るまで巡り合った女たちの誰一人、
その少女が残していったような鮮明な刻印を彼の心に押すことはなかった。
彼女たちの中には、天吾が本当に求めているものはどうしても見出せなかった。・・
彼女たちは天吾を満足させることができなかったし、
天吾もまた彼女たちを満足させることができなかった。」

鮮明な刻印をのこした少女とは、 もう一人の主人公(青豆)のことだが、

しかしこのあと作者の作為によって、
仮に、もし青豆と念願の再会ができたとしても、

両親に見捨てられ《愛されなかった》天吾にとっては、
とりわけ《女性(の本質)》は遠く、分かり難いもので、

現実の中で青豆を愛することには困難がつきまとうと予見されます。

天吾も青豆も、『愛することの本当の意味』を学べていないという点で。・・

作者は本の帯のうしろに、

「心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。
心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。」
と記している。

現実の愛が分からないとき、現実の愛ではないとき、
主人公たちは別の世界を生きるしかないのだという。・・「月が二つ浮かぶ世界」のような。

だがしかし、それが別の世界にいっても、
< 再会後のふたりの《生き方》のイメージ > は
作者村上自身によって断念されていることがわかる。
あるいは周到に警戒して回避されたのかもしれない。

なぜなら、そこには読者が待ち望むような、
劇的でロマンチックなふたりの《生》のイメージがどうしても成り立たないからだ。

そのことを秘匿するように、
作者は青豆をもっともうまく悲劇の一幕の中に終わらせてみせる。

さすがに腕の良い、練達の作家ではあるが。・・・


そして、不倫についてだが、

たとえば作者が描く人妻のガールフレンドが、
天吾と毎週のように密会をかさねることには、

《消費されるための性・セックス》という以上の意味は成り立たない。
それがスタイリッシュな性の関係だといわれても、そこに何の意味も無い。

むしろその前に、
人妻夫婦の《対の関係の破綻 》が先行することを見逃すことができないだろう。

《恋愛、結婚という対の関係》において、
《不倫》は本来向き合うべきパートナーから逃亡する行為であるという指摘から免れえない。

「夫婦のあいだのセックスはまたちょっと違うことなの。成熟した女性として、私にはそれができる。
でもあなたがほかの女の子と寝たりするのは許せない。」

という人妻の都合のいい理由がどうであれ、

『週一回のつまみ食い』がけっして作者が好むような
《おしゃれで、貪欲なセックス三昧》の安穏な時間などではなく、

厳密な言い方をすれば、
《対の関係の中の鬱》からの無意識の逃亡、
すなわち《鬱破りの躁行動》であることを理解されなければならない。

作者はそのことに無知なまま、
どこまでもスタイリッシュな気分で物語をすすめようとする。・・・

(次回につづきます。)
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