心理カウンセラーの眼!

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原発震災を直視する!(その2危険の過小評価)

2011-04-09 17:04:46 | 現代日本および世界
こんにちは、のほせんです。

東北関東大震災からはや一ヶ月になろうとしています。
この間の被災された方がたの苦難はたとえようもなく過酷であったとおもいます。

おなじ時間を共有しつづけるものとして、
たとえば < 表現者 > を名乗るならば、
ひたすら深く失語しつづけるほかに
どんなありようもないことをしらなければならない。

生き残れなかった人の 無念と
孤児となった子どもの 恐怖と
子どもや夫や妻や兄弟姉妹や親を喪った人の 哀しみの
その過酷さと 向きあい
沈潜しきることで、
やがてかすかな声を発するほかない そのときまで、
はげしく堪えることであろう。 --


そしてまた
この国の政治をになう者であれば、
この時とばかりに、敏腕をふるうべき局面にちがいない。
震災状況を把握しつつ的確に対処することに、
何の難しさもないはずである。

いうまでもなく、
いま困窮しているのは被災者たちであり、
政府に困難があるわけではないのだ。

にもかかわらず、いまだに緊急支援と安全確保が果たされない体たらくに、
だれもが暗澹たる思いをいだいている。

日常的に不作為に堕し、おのれを驕り、漫然たる適応しかしてこなかった者たちが、
未知なる危急事態に思考不全におちいって、
無意識に現実回避行動としての「リスク先延ばし」「危険性の過小評価」を選択するといった、
心的解離症状をあらわにしている!

「不都合な真実」を隠し、その矛盾のほころびをつくろうことに追われる
責任回避に懸命なだけのお子ちゃま指導部であることをしめしている。


政府がこの期におよんで不適合をみせるもう一つの要因は、
「財政規律」というお題目の財務省特権維持のためのブラフに取りこまれて、
「被災民と財源を量りにかける愚」を犯していることにある。

したがって、支援、避難のすべての施策に金勘定(カネかんじょう)が優先され、
それゆえに、小出しのタメライ金の銭失い(ゼニうしない)というありさまで、
つぎつぎと機を逸し危険にさらす醜態をみせているのである。

まず「国民の救済ありき」 ではなく、
また亀井氏らの100兆円規模の復興国債案に腰を抜かす理由は、

そのまえに財務省ありき、経産省、東電ありきで、ことをはかる
官僚思考がものさしとなっているためである。

だがしかし原子力関連機関だけで、いま売りだしの保安院をはじめ二十機関をこえるのは、
じつは何を隠そう、この国にお金があり余っている証拠であろう。

何ごとにも既成概念を手離さず、
経済活動のダイナミズムに思考停止するような、
現代という時代にパセティックにしか向きあえないものらは、「退場するのみ!」である。 --


- さらに被災者に追い討ちをかけるように、福島原発重大事故が切迫しています。

さまざまな証言によって、
この事故が起こるべきして起こった人災であることがあきらかになっています。

人災という理由は、
いわゆる「重大事故の蓋然性を故意に過少評価した」結果の重大事故であり、
そのことが問われてしかるべきであるところにある。

しかもこの「事故の蓋然性」は地震とは無関係に!、
原発それ自体のかかえる製造・運転にまつわる非・安全性のことであるというのだ。

福島原発の製造設計にたずさわった人や、建設統括責任者であった人が
原発の < 技術の限界 > について、その < 非・安全性 > について
率直にそれぞれに証言されているのです。

4号機の原子炉圧力容器設計者の田中三彦氏、
1号機、6号機の建設統括をされた菊地洋一氏、といった
まさに福島原発建設に際して第一線にあった技術者や、
福島原発と同型の原子炉格納容器設計者の後藤政志氏が、語り記した

「原発の構造的脆弱点や金属的劣化によって起きる避けがたいトラブルについて」、
「その重大な故障の補修にたずさわざるをえない作業員の被爆の恐怖・実態について」、
「それをカネと恫喝で隠蔽しつづける電力会社の経営体質について」
さらには、
「核放射性廃棄物を十万年以上も安全に埋設できる場所が日本のどこにもないことについて」 に及ぶ詳細な証言が公表されています。

そしてここまで原発の脅威とリスクがあきらかになったとたんに、
ネット情報サイトの規制取締りという、
まるで関東大震災時の弾圧に等しい暴挙をなんのためらいもなく実行する軽薄さに
この政権の極めて危険な体質がうかがえるのである。

それと連動させて、政府や電力会社御用達のおかかえ学者たちを動員して、
核放射線の基準値を上げる詐術的暴挙にでて、さらには
放射能被害に因果関係など皆無にひとしく、
現状の核放射性物質はなんらの身体的影響もないのだというキャンペーンをはじめた。

都合のいいデータだけを貼りあわせた実証科学というエセ科学がうみだされるわけは、
そこにバイアスのかかった観念・作為的結論が動機の主体として存在するからである。

どこまでも権力の御用聞きというか、懲りない連中だが、
かれらの仲間が福島原発の現場どころか、
遠く福島市まで65㌔m逃亡した原発対策本部にさえ詰めているという話も聞かない。

「ダイジョウブ!」なら10年先ではなく今とりあえず、
みずからすすんで現場被爆のうえでなお健康体であることをカガク実証しなければ、
まず広島・長崎のひとたちが納得できないだろう?

(さて次回は、
「原発導入の経緯と自然エネルギー時代到来」についてお話したいとおもいます。)


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