心理カウンセラーの眼!

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脳とは精神と心の台座である-(精神医学の不毛からの出立)

2007-12-01 18:13:00 | 脳科学者たちの迷走
おかしな犯罪や違法行為がつぎつぎとあふれ出てくる。

おかしさとは、その人の行為と発言内容が意味を失っていることを指す。

分裂破綻した自己流の思考パターンの土つぼにはまっているわけだ。

わたしたちの周りでも、マスコミや政治の世界でもそんな人が激増している。


これは倫理観の問題などではなく現代の精神の病理の問題であるのだ。

記号としての言葉をただなぞることしか出来ないから、

重厚かつ深く示唆に富む議論がもはやどこでも成り立たないのだ。

平たく言えば、ものごとを深く考えられなくなっている破綻傾向を示しているのだ。


田原克拓先生の最近の「脳と精神と心」についての言葉を提示しておこう。

「脳とは精神と心の台座である」

「精神」とは 言語による表現的な意識のこと。

「心」とは 言語も含めた「記憶の表象」である。

つまり精神は左脳の言語脳がはたらいて初めて理性的意識となり、

心は右脳に思い浮かべられた記憶と無意識のイメージのことであると。


また 「生理的身体」は「脳の中にこそある」と捉えられるという。

すなわち、身体は「脳の下向システム」の支配下にあって、

A6神経が脊髄をとおり五官覚や手足、内臓に伝わって各器官を働かせている。


この下向システムがフィードバックして再び脳に戻る部位が

大脳辺縁系の中枢神経であり、

この中の線状体は「不安」を記憶し右脳に表象される。

というように生の知覚情報を受けとり、

左脳か右脳に送信先を選別するのが「視床」の役目である。

ただし、

その選別の価値決定は

「その人が幼児期以来、学習してきた言葉の質」にかかってくる。


左脳ブローカー言語野で学習・記憶されてきた「言葉」のうち、

「書き言葉」を正しく学べてきた人は稀であり、

大方の人は「記号としての言葉」を右脳系の海馬で記憶している。

すると、その人は生育歴での学習段階のあちこちで

社会性が欠落した「負の行動イメージ」が内包されてきていることになる。


つまり非社会性の秩序破壊観念としての

生の感情と欲求意識が増幅して 

いつでも人生の厳しい局面で

「バッドイメージ」を実現する関係に変質されやすくなる。

バッドイメージを実現するとは

相手や周りとの関係を無意識に壊してしまう、

あるいは自分自身を壊してしまうことを無意識に激情的におこなうことである。





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