心理カウンセラーの眼!

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ちきゅう座編集委員の通説・偏見に与する主観を排す!(その2)

2012-11-08 16:51:21 | のほせんの心理カウンセリング

こんにちは、のほせんです。

早いもので、立冬だということです。

また、風邪が流行っているようですので、「ぎんなん先生の井穴刺絡療法」をつかって、

ご自分で予防や早期回復ができるようになればいいとおもいます。

( この療法は、亢進した自律神経(交感神経、副交感神経ともに)のバランス回復によって
さまざまな病気の症状を除くという優れた治療だとおもいます。
なんといっても副作用なく、おどろくことに自分で処置できる簡便さが魅力です。
ぎんなん先生のウェブサイトの掲示板に治癒・改善・予防の豊富な症例が掲載されていますし、
どんな疑問にも答えていただけますので安心です。)

さてさてそれでは前回のつづきになります。
ちきゅう座編集委員の「用語・表現」についての自覚の無い「偏見による主観」の危うさについてお話してまいりましょう。

-- 前回のこのわたしの返答の文章への、編集委員00さんの言い訳からはじまります。

(私)>- まず、このご意見が検閲や自主規制に向かったものでないことをねがうものです。-

(00)- “ 編集委員の仕事は誤字脱字、誤解を呼ぶ表現等の注意喚起に限定されると理解しております。だからこそ私は内容に対する言及は控えたつもりです。ちきゅう座には検閲体制はありません。記事の内容については基本的には自己責任です。”-

ここで書かれていることにはだれが読んでも自己矛盾がみられます。
「誤字脱字をふくめて記事の内容については自己責任」であるならば、
文章を書いた者になにもとやかく言わないことが「ちきゅう座」の約束事ではないのだろうか?
わたしはつねに名乗った上で、文章を公開しており、「責任」というのもおかしな話だが
いたずらに後ろ指を指されることもないともうしあげたい。

もし仮に、
「用語について糺す」ことが、たとえ善意からおこされようと、
それは無自覚な検閲という以外のなにものでもないのは明らかなこと。

まして、じぶんの主観的な偏見やセンチメンタリズムを「配慮」とおもいこんでみたところで、それはせいぜい、
「ものごとの概念をおろそかにしてかえりみず、その本質から目を逸らした」「善意」の行動や訴えでしかない。

言いたいことがあるのなら、「用語を糺す」などと姑息なことをせず、
私の文の内容総体について、堂々と見解を述べられたらいいのだ。

(00)- “ 大木様が語の使用に関する通説を承知しながら、あえて「精神分裂病」、「集団的精神分裂病」という表現を選んだということを了解しました。”-
などと、
内容総体から換骨奪胎してみせた「お解釈」の最後っ屁の言葉には苦笑せずにおれない。

たしかに世界中を席巻するグーグルやヤフーの「キイワード検索」は
「内容を不問にして、人気度(クリック数)と文字数量(コンテンツ量)だけを尺度とみなす、」ものだが、
なにもそれを真似るように「内容に言及しない」のは、いっそ妙な話だ。
グーグルなどは、まず物理的にそれができないことをいいことに、
「検索」が「なにごとかであるような」一種の権威付け(ランク付け)をおこなって利益を形成しているのだが。・・
ちきゅう座には、権威としての編集委員さんが門の前で睨みを利かせているというわけなのか?
それはいったい何から何を護ろうとしているのだろう?

さて、かの委員の言い訳のつづきです。
(00)- “ さて私の身近には典型的な統合失調症、典型的な躁鬱病の患者たちがおります。
彼らの症状から私は概略の観念を得ております。
そのうちの統合失調症の場合には、本人、ご家族に対して、あえて精神分裂症という言葉を用いることは、私も医療関係者も避けております。
統合失調症という診断さえ本人に対して告げないという事例も最近経験したところです。
問題は「学問的な意味」の問題ではなく、個別ケースにに即しての「配慮」の問題だと思います。”-

ここでは、かれの観念すなわち数少ない体験を主観的に吐露しているばかりです。
いったい何が典型的なのかも理解していないにもかかわらず、
真顔で「偏見」を語り、「そんな常識も分からないのか」と言わんばかりに
自分の尊大さをおしかくして「理性的に」負かそうとしています。
たとえ、学会が分裂症を統合失調症といいかえようと、
それはそのときどきの個々の恣意性、センチメントによりかかった作為であり、もっといえば政治でしかありえない。

この文章へのわたしの回答はつぎのようなことです。
(私)- たしかに、精神病的疾患を自覚しているひとは、病名を知りたがると同時に、
病名を告げられることに不安恐怖をかかえておられます。
そして、医師に病名を告げられたらば、過剰な反応をおこされることも承知しています。
なぜなら、それこそ患者ご自身が精神疾患に対する誤解・偏見をもっているためです。
そのことをさらにフレームアップして掛け合った人たちとそれを感傷的にとりあげた日本の精神学会が、
はたして正しい行動をおこなったのかどうかは、世界的な観点からみなければならないようにおもいます。
それが日本人的な「配慮」というものだというお考えもまた、日本人的な思考回路にほかなりませんから。
もちろん、いくらヤンチャなわたしでも、
一般の個人を前にして、病名を指摘することはありませんので、ご安心ください。-

また、わたしの前回の返答の文章を読んでもまったく理解していないことが、かれの問い掛けでよく分かります。

(私)- 日本で「統合失調症」と呼び名を変えたことに何ら学問的な意味はありません。
この病理の本質をほとんどの医療関係者が正しく理解していないために社会的な誤解をまねき、
 そこからひきおこされた偏見に対しての異和ないし反発が日本的な感傷と相まって呼称変更がなされたというところです。
たとえば、00様がわたしの文章を「比喩的」にしろ読まれた上で、
 分裂病という表現について、「あいつは気違いだ」(これにはおどろきましたが!)という言葉遣いとおなじことだとお考えのように、
 一般社会では分裂病というものに、相当な偏見と誤解があるということです。-
 
(00)- 日本精神神経学会が2002年に呼び名を替えたのではないのですか?
しかもこの名称変更の背後には「精神分裂病」患者の組織からの要請があったのではないでしょうか。-

権威とされている組織のすることだから正当で、また気の毒な患者団体だから、
おまえごときが偉そうなことをいうなとでもおっしゃりたいのだろうが。・・
このような「通説」や「偏見」を平気でよしとする思考回路からは、 それこそ
既成の体制のなにひとつも変革するもののかんがえ方など生まれてこないことは自明でしょう。

思うに、編集委員の00さんもそうした学会にかかわっている人なのかと。・・・

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