心理カウンセラーの眼!

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飯島愛の死に至る時代性について(第三回)

2009-02-21 19:01:35 | 飯島愛の死に至る時代性
二回にわたるこの「飯島愛」所見では

彼女の負の性格形成といえるものが両親の影響を背負った

「生き難さ」に収束されてきたことをお話してきました。

その生き難さについては「PLATONIC SEX」全編にわたって塗りつぶされている。・・

たとえば、
ディスコに入りびたりの一つ年上の中三の男の子に着いていって

親も公認で同棲を始めたこと。

それからはただセックスだけが生きている証のような生活がつづき、

やがて「毎日遊んで暮らして、どんどん堕ちていくのがわかるけど

それが妙に心地よい。」ところまで行く。・・

これは「うつ病からの逃亡」から「破滅の自己陶酔」に進行したことを物語っている。

またその彼の「親友」に襲われて、男はみんなこうだとか恨み言を綴る。

だが自分も含めた親友ごっこはともかく

大人というもの、社会性ということを 何も学んでいないとしたら

そこには節度も仁義も友情もあったものではないに決まっている。

人は学んでいないことは「解らないままに生きる」ものだから。

それでも彼女に「屈託の無い、ただ楽しい」毎日が実感されているのであれば

「それはそれでよしとする」ことに依存はないのだが。・・

やはりそんな心の平安な日は訪れたことがなかったようだ。

なぜならその後も彼女は

「知人が多いことや男関係が多いことが自慢だった。」
「タレントと寝ることがステイタスだった。」
というように、

他人の目だけに注意を払い、

ただコンプレックスに強いられた幼児的な価値観のままに

中身の無い「プライド」や高価な装飾品だけが行き交う

意味の無い自分の虚飾のイメージを追いつづけた。・・

とうとう最後まで 彼女は 映画「大阪ハムレット」の諸君のように 

屈託無く社会に適応していく

という生き方を獲得することはできなかったとおもわれる。

(次回に続きます)




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