飯島愛さんが先日自宅で亡くなられていたとメディアで報じられていました。
生前の彼女のものの考え方についてはブログ等で少しは理解できないこともないが。・・
彼女についての周囲の人たちの様々な情報は
ただただセンセーショナルな興味本位な話を求めるあまりに
大方があまり信頼できないようにおもえるのは困ったことだ。
もすこし落ち着いてから飯島愛さんの真実に向き合ってみたいとおもいますので、
今回はとりあえずここに
「飯島愛の死と精神医薬」というテーマの小野寺光一氏の公開ブログから概略をさせていただき、
「クスリ」の怖さを伝えたいとおもいます。
【 (飯島愛が)病気になって芸能界を引退して1年。
報道によれば、精神医薬を飲みすぎて死亡したという。
<ハルシオン大量にみつかる>
ハルシオンが部屋から大量にみつかったらしい。
ハルシオンは世界各国で禁止になっているが、
いまだに日本では投与されている。
睡眠薬も精神医薬の一種だが、これと酒を一緒に飲んで
死にいたってしまった有名人は多い。
政治家の中川一郎氏が自殺をしたときもそうだった。
中川一郎氏は衝動的に首をつっている。
これは当時、なぞの死とされていた。
古くは田中角栄が、ウイスキーのオールドパーをがぶ飲みしていたときも
睡眠薬と併用していたという。これで歯止めが利かないほど飲んでしまい
脳をやられてしまった。
これは伊藤忠商事相談役の瀬島龍三氏が
文芸春秋に載せていた回顧録に書いてあったことである。
<危険な抗うつ薬>
飯島愛は、「抗うつ薬を飲まされて凹みました」
と書いているが、人が何かのストレスで落ち込んでいるときに
「覚せい剤類似物質」や「麻薬類似物質」と言われるような
抗うつ薬を飲まされてしまったら、おそらく、その人は
精神の異常な変調におおいに悩まされるはずである。
副作用としての「自殺衝動」や「他殺衝動」になやまされるはずである。
<芸能人での例>
同じように落ち込んでしまい、
抗うつ薬をのまされて、自殺未遂を引き起こしたと報道され、
その後に芸能界での事務所契約などを解除されてしまった女の子がいる。
それは華原朋美である。
その後、失恋をして、抗うつ薬を飲んだらしく
歌とダンスが、思うようにならない状況になっていく。
http://jp.youtube.com/watch?v=sC0Lv2CBWFc&feature=related
再生回数: 228,617
もし元通りに復帰するためには、抗うつ薬を飲むことをやめることしかないのだが
突然やめると離脱症状に苦しむように薬も悪質にデザインされているため
容易にはいかないはずである。
以前、2年前にあるメールをいただいたことがある。
メールをくださった女の子は、うつ病と診断されて多くの医者に診られた。
私がSSRI(抗うつ薬の新種類で、非常に危険な副作用を持つ)
の危険性をメルマガで発信した直後にメールをいただいた。
他にもメールをいただいているが、一部紹介したい。
<一回目にいただいたメール>
『 拝啓 小野寺先生
はじめまして。○○○○ともうします。私はうつ病と診断されて、
さまざまな精神薬を処方され、飲み続けています。
今の主治医と出会うまでに10人近く替わりました。
その間に私は、処方された精神薬で自殺を図り、2回入院しました。
2回目に今の主治医と会ったのですが、退院時に
「あなたは正常ですよ。薬で人格がとけていただけです。」といってくれました。
今は、うつ病の治療というより、薬との戦いです。
今の主治医は減薬に非常に気を配っています。
実は、今回のメルマガよりも前に本屋でSSRIの危険性などは知っておりましたが、
自分の意思で断つことは不可能でした。
(※小野寺注 SSRIとは、抗うつ薬の新型で非常に危険な副作用の自殺衝動や他殺衝動をもつ)
しかし小野寺先生のメルマガで「廃人になる。」と書かれ、妙に納得して
しまいました。
自分はまた発作的に自殺、他殺を図るかもしれないと毎日毎時間緊張しています。
また、「病気にならない体質がある」松田有利子著という本で
妊娠出産時に、抗うつ剤を処方されることがあることも知りました。
現実に入院中、出産直後の経産婦の方がいらしたことを覚えています。
勝手な断薬は自分自身七転八倒の苦しみを受けます。
でも、廃人や殺人者になるよりはマシだと考えています。
また今夜も自分の中の殺意と闘います。
殺人者にならないように神に祈りながら眠ります。』・・
* たまたま、めぐりあった主治医が「減薬」をすすめる良心的な医者だったらしく
私のメルマガの内容(抗うつ剤のリタリンは覚せい剤類似物質で危険であること)
を主治医に見せたらしい。その主治医は、私のメルマガに書かれていることを
「これは本当だよ」といい、こう言ったという。
「薬っていうのは、農薬とか殺虫剤とかでも出来ているし、外国では麻薬に指定
されているのも結構多い。精神科に関していえば、僕の持論だけど、精神薬を
大量に出す奴はとっとと医師免許返上しろ!って怒鳴りたくなることがある。
医者の僕がやることは薬を減らしていくことだけで、それ以上のことは患者が
自分で立ち上がるしかない。僕に愚痴や文句を言われても何も出来ないから、
医者に一切期待しないでくれ!!!」
といった「良心的な医者」だったらしい。
つまり彼女は、私のメルマガの情報を主治医にただして、主治医も薬を飲ませるの
はよくないと
いう認識だったので、それによってはじめて「減薬」に向かった。
<注意事項 必ず減薬するときは医者に相談して行うこと>
※私のメルマガでは、精神医薬、特に抗うつ薬は危険であることを伝えているが、
現在、そういった薬を実際に飲んでいる人は、必ず、勝手に断薬せずに
主治医の医者に相談してから徐々に減らしてほしい。
なぜかというと現在の抗うつ薬その他は、突然、断薬すると、それは
またとても苦しむようにデザインされているからである。
いわゆるヤクの禁断症状と同じことが起きる。
<向精神薬漬けの2回目のレポートより>
<精神科に通うようになった経緯>
今から数年前、私は中小のIT企業でシステムエンジニアとして働いていた。
その頃の働き方は凄まじいもので、朝の9時から深夜の11時ごろまで、
ほとんど食事を取ることさえ惜しむほど働いた。
食べることにさえ興味を全くなくしてしまっていた。
自分の能力以上の仕事量がドンドンたまり、疲労はピークに達していたが、
上司や取引先の方々、同僚が3日連続徹夜で働いているのを
真直に見ていた私には「休む」という言葉は禁句だった。
「できません」と言って見るものの、「甘え」とみなされて軽蔑される。
そんな無能な自分自身に自己憎悪ばかり…。
生きることすら興味がなくなり、寝る前に「もう二度と目を覚ましませんよう
に…」と祈る毎日だった。精神が高ぶりすぎて眠ることも出来なくなっていた。
そんな時、一人暮らしの私を心配した母が電話があり、「心理カウンセリングで
も受けてみれば…。」の一言に、私はわらにもすがる思いで、そのカウンセリン
グセンターに電話をした。
そのセンターに紹介されて最初に訪れた病院がAクリニックだった。
<地獄の日々>
簡単な問診と臨床心理士とのカウンセリングを何回も受けた。初診で薬も処方された。
記録は今手元にないが、仕事をしながら通っていたので、心身ともに疲れていた。
でも、眠ることが出来たことにホッとしてもいた。
だが、新しい上司とのトラブルが原因で、薬がドンドン増え、
私は自分が自分で全くコントロールできなくなっていた。
社内で怒鳴り散らし、別の上司にさとされることもしばしば。
出張も重なり、新しい上司への殺意、自分自身への憎悪と殺意がどす黒くうずく。
そして、私はぶち切れ、一ヶ月の有給休暇願いを会社にだした。
今回は療養が理由なので、有給休暇を申し出る際には医者の診断書がいる。
そのときの医者の言葉が信じられなかった。
「とりあえず、うつ病ということにしとこっか。」
「は?…私の病名ってわからないんですか?」
「君の場合線引き難しいから、とりあえずうつ病ということで手を打とう。
精神科医は、病名がわからないとみんなうつ病で片付けるんだ」
このときの私の間抜け面はなかっただろう…。
めでたく有給休暇をもらったが、体はだるく、いや、ヨロイを着たように重い。食欲は全くない。
薬が切れたが一人で受診に行けなかった。
そして、恐怖の禁断症状が私を襲った。
< 恐怖の禁断症状>
最初は風邪かと思った。とにかく猛烈な吐き気が襲う。
全身が熱っぽく、洗面器を抱えながら体中の体液を吐ききっていた。
吐いて、吐いて、もう何も胃には残っていないと思っていても、
空にしたばかりの洗面器をまたいっぱいにするほど吐いた。
心配して母が訪れ、脱水症状を起こしている私を救急車で運んだ。
救急病院でこう告げられた。
「この薬は勝手に止めたりしたりしないでください。
飲み続けてください。」
点滴を受けながらその話を聞く。
当然勤務に耐えられる体ではないので、会社を辞め、実家に帰ることになる。
<どんどん薬漬けになっていく私>
はっきり行って精神科の病院を探すのが結構大変だった。
ご近所にはなかなかなかったので、少し遠いB病院に通うことになった。
大病院なので6時間待ちだったが、診療はたったの3分だった。
ここ以降の薬の処方は全て記録していたので、数例を下記に列挙していく。
某月某日
ドグマチールカプセル50mg 3カプセル
ソラナックス 0.4mg錠 3錠 一日3回毎食後 7日分
ユーロジン 2mg 1錠 一日一回 就寝前 7日分
某月某日
アネキトン錠 1mg 2錠
プロビタン錠 50mg 2錠 一日2回 朝・夕食後 14日分
ソラナックス 0.4mg錠 3錠 一日3回 毎食後 14日分
プロビタン錠 50mg 1錠
ベンザリン錠 5mg 1錠 一日1回 就寝前 14日分
某月某日
パキシル錠 20mg 1錠 一日1回 夕食後 14日分
ソラナックス 0.4mg錠 3錠 一日3回毎食後 14日分
プロビタン錠 50mg 1錠
ベンザリン錠 5mg 1錠 一日1回 就寝前 14日分・・
で、転々とドクターショッピングをしながらCクリニックに落ち着き、
入院直前の処方を下記に記す。
某月某日
テグレトール錠 100mg 1錠
リーマス錠100 1錠
リスパダール錠 1mg 1錠
タスモリン錠 1mg 1錠 一日3回毎食後 14日分
ベゲタミン錠-B 1錠
ロヒプノール錠2 1錠 一日1回 就寝前 14日分
セルシン錠5mg 1錠 一日3回朝・夕食後、就寝前 14日分
レボトミン錠25mg 1錠 頓服 一日3回まで・・・
今思えば恐ろしい量を飲んでいたのだ。
しかし、以前の禁断症状の怖さから薬を勝手にやめるなんて事は出来なかった。
その間に体重は20kg以上増え、顔はむくみ、目は死んだようだったらしい。
体はヨロイを何十にも着た様に重く、だるい。
心も完全に狂気と憎悪と殺意でいっぱいだった。
そんな私を家族は「なまけ者の脱落者。」と冷たい視線を浴びせかける。
私は「死」以外何も考えられなくなる。
<まるでブレーカーが落ちるように、私は自殺を図った。>
「自殺してはいけない」と他人は言う。
だが、それは自分の心身をある程度コントロール出来る者の無責任なセリフだと私は思う。自殺直前まで、そんなこと、「自殺してはいけない」ということは百も承知である。
「自分の意思が簡単に吹っ飛ぶあの瞬間」を経験した今、
いわゆる自殺対策のぎまんを冷笑してしまう。
「ブレーカーが落ちる。」という表現をした。
これ以上適切な言葉が見つからない。
「かんにん袋の緒が切れる。」ではない。
「頭が真っ白」という表現さえ不適切である。
家のブレーカーが落ちるのは許容以上の電力を使うからだ。
それまで住人は全く気が付かない。
人間の中のブレーカーが落ちるとき、己の意思など完全に粉々に吹っ飛ぶ。
自殺しょうとしたときの記憶は正直残っていない。
ただ、かすかに覚えているのは
「全てを完全に消し去って、楽になりたい。」という思いだけだった。
自分の歴史、記憶、肉体、感情、家族、その他諸々の
この世の全てのしがらみを完全に消し去り、
自分自身の完全消去から無へ還ることを願ったのかも知れない。
家で、処方されたクスリを2週間分まとめて酒で飲んで、
気が付いたら今の病院のベットに入院していたということだけだった。
<告げられた真実>
入院して最初の一週間はほぼ完全なクスリ断ちをされた。
全く眠れない。虚脱状態。
そして、7日目、私は朝から部屋で大声で泣きわめいていた。
今の主治医の前に座るまで。
開口一番、主治医は、真実を告げる。
「君はただのクスリ漬け。本来正常だから。体を休めることだけ専念すること。」
まったく先生の言っていることは理解不能だった。
でも先生は、一番弱い睡眠薬以外、一切私にクスリを処方しなかった。
退院後、「君はクスリ漬け」の言葉は、どうしても受け入れられなかった。
先生に不安を言ったり、クスリをもっと処方してほしいと泣きわめいたりしても
「医者の俺の仕事じゃない。泣こうがわめこうが、クスリは処方しない。」といわれた。
「お前、なんで、ここで仕事してんの?」といつも不信感が増大していたが、
先生は問答無用だった。
しかし、人生逃げても、もう逃げられないときはくる。
この私の迷いに完全にとどめをさしたのは、
「国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジン」
のなかでの、向精神薬に関するレポートである。
最初は、「まさか 嘘だろ。」が第一印象。
本屋でも、精神薬の副作用と残酷な事件を結
びつける本を購入して読んだ。
しかし、自分自身の中の消化不良、不信感に耐え切れなくなり、
小野寺先生のメルマガレポートを印刷して主治医に
「これは本当のことなんですか」と問いただす。
先生は不敵な笑みを浮かべて、こう言った。
「厚労省の言うこと聞いてクスリをバンバン出す医者なんか医師免許返上しろっていうの!
ここに(小野寺先生のレポート)書いてあることはホント。
精神薬のほとんどは農薬、覚せい剤、麻薬から作られるものばっかりだ。」
そう言って先生は机の引き出しから雑誌の切抜きのコピーを渡した。
「俺の友人のフリーライターが書いた。
抗うつ薬のような精神薬は覚せい剤に似ているんだだということを勉強して納得すること。
いつものように、クスリは絶対増やさない。
グチ話も聞かない。さっさと帰って寝てろ。」
その記事は「リタリン(抗うつ剤)という名の覚せい剤」という内容であった。
もう完全無条件降伏。
白旗を揚げるとはこのことである。
今、私は、主治医の先生の言うとおり、
クスリをほとんど飲まないように努力している。
おかげで、体も軽くなり、就職のためのリハビリを始めた。
現在の処方は以下のとおり。でも、寝る前はほとんど飲んでいない。
クスリもただのお守りとして飲まずに持つだけという状態になるまで
もうすぐである。
12mgセルシン錠 1錠 一日2回 朝・昼食後
ロヒプノール錠1 1錠 一日1回 就寝前
今の主治医に会うまで、ドクターショッピングをしていた。
10人近く替わった気がする。
医者によって相性もあるし、処方も違う。
だから、主治医を変えることが怖くなっているのも確かである。
小野寺先生のレポートがなかったら、私は
クスリをくれない今の主治医を見限って、
またクスリ漬けにしてくれる医者の元に走っていたかもしれない。
私のような間違いを犯す人が少しでも減ってくれたら幸いである。
こんな地獄は誰にも絶対味合わせたくない。
特に子供達には…。
以上 】
(次回に続く・・・)
生前の彼女のものの考え方についてはブログ等で少しは理解できないこともないが。・・
彼女についての周囲の人たちの様々な情報は
ただただセンセーショナルな興味本位な話を求めるあまりに
大方があまり信頼できないようにおもえるのは困ったことだ。
もすこし落ち着いてから飯島愛さんの真実に向き合ってみたいとおもいますので、
今回はとりあえずここに
「飯島愛の死と精神医薬」というテーマの小野寺光一氏の公開ブログから概略をさせていただき、
「クスリ」の怖さを伝えたいとおもいます。
【 (飯島愛が)病気になって芸能界を引退して1年。
報道によれば、精神医薬を飲みすぎて死亡したという。
<ハルシオン大量にみつかる>
ハルシオンが部屋から大量にみつかったらしい。
ハルシオンは世界各国で禁止になっているが、
いまだに日本では投与されている。
睡眠薬も精神医薬の一種だが、これと酒を一緒に飲んで
死にいたってしまった有名人は多い。
政治家の中川一郎氏が自殺をしたときもそうだった。
中川一郎氏は衝動的に首をつっている。
これは当時、なぞの死とされていた。
古くは田中角栄が、ウイスキーのオールドパーをがぶ飲みしていたときも
睡眠薬と併用していたという。これで歯止めが利かないほど飲んでしまい
脳をやられてしまった。
これは伊藤忠商事相談役の瀬島龍三氏が
文芸春秋に載せていた回顧録に書いてあったことである。
<危険な抗うつ薬>
飯島愛は、「抗うつ薬を飲まされて凹みました」
と書いているが、人が何かのストレスで落ち込んでいるときに
「覚せい剤類似物質」や「麻薬類似物質」と言われるような
抗うつ薬を飲まされてしまったら、おそらく、その人は
精神の異常な変調におおいに悩まされるはずである。
副作用としての「自殺衝動」や「他殺衝動」になやまされるはずである。
<芸能人での例>
同じように落ち込んでしまい、
抗うつ薬をのまされて、自殺未遂を引き起こしたと報道され、
その後に芸能界での事務所契約などを解除されてしまった女の子がいる。
それは華原朋美である。
その後、失恋をして、抗うつ薬を飲んだらしく
歌とダンスが、思うようにならない状況になっていく。
http://jp.youtube.com/watch?v=sC0Lv2CBWFc&feature=related
再生回数: 228,617
もし元通りに復帰するためには、抗うつ薬を飲むことをやめることしかないのだが
突然やめると離脱症状に苦しむように薬も悪質にデザインされているため
容易にはいかないはずである。
以前、2年前にあるメールをいただいたことがある。
メールをくださった女の子は、うつ病と診断されて多くの医者に診られた。
私がSSRI(抗うつ薬の新種類で、非常に危険な副作用を持つ)
の危険性をメルマガで発信した直後にメールをいただいた。
他にもメールをいただいているが、一部紹介したい。
<一回目にいただいたメール>
『 拝啓 小野寺先生
はじめまして。○○○○ともうします。私はうつ病と診断されて、
さまざまな精神薬を処方され、飲み続けています。
今の主治医と出会うまでに10人近く替わりました。
その間に私は、処方された精神薬で自殺を図り、2回入院しました。
2回目に今の主治医と会ったのですが、退院時に
「あなたは正常ですよ。薬で人格がとけていただけです。」といってくれました。
今は、うつ病の治療というより、薬との戦いです。
今の主治医は減薬に非常に気を配っています。
実は、今回のメルマガよりも前に本屋でSSRIの危険性などは知っておりましたが、
自分の意思で断つことは不可能でした。
(※小野寺注 SSRIとは、抗うつ薬の新型で非常に危険な副作用の自殺衝動や他殺衝動をもつ)
しかし小野寺先生のメルマガで「廃人になる。」と書かれ、妙に納得して
しまいました。
自分はまた発作的に自殺、他殺を図るかもしれないと毎日毎時間緊張しています。
また、「病気にならない体質がある」松田有利子著という本で
妊娠出産時に、抗うつ剤を処方されることがあることも知りました。
現実に入院中、出産直後の経産婦の方がいらしたことを覚えています。
勝手な断薬は自分自身七転八倒の苦しみを受けます。
でも、廃人や殺人者になるよりはマシだと考えています。
また今夜も自分の中の殺意と闘います。
殺人者にならないように神に祈りながら眠ります。』・・
* たまたま、めぐりあった主治医が「減薬」をすすめる良心的な医者だったらしく
私のメルマガの内容(抗うつ剤のリタリンは覚せい剤類似物質で危険であること)
を主治医に見せたらしい。その主治医は、私のメルマガに書かれていることを
「これは本当だよ」といい、こう言ったという。
「薬っていうのは、農薬とか殺虫剤とかでも出来ているし、外国では麻薬に指定
されているのも結構多い。精神科に関していえば、僕の持論だけど、精神薬を
大量に出す奴はとっとと医師免許返上しろ!って怒鳴りたくなることがある。
医者の僕がやることは薬を減らしていくことだけで、それ以上のことは患者が
自分で立ち上がるしかない。僕に愚痴や文句を言われても何も出来ないから、
医者に一切期待しないでくれ!!!」
といった「良心的な医者」だったらしい。
つまり彼女は、私のメルマガの情報を主治医にただして、主治医も薬を飲ませるの
はよくないと
いう認識だったので、それによってはじめて「減薬」に向かった。
<注意事項 必ず減薬するときは医者に相談して行うこと>
※私のメルマガでは、精神医薬、特に抗うつ薬は危険であることを伝えているが、
現在、そういった薬を実際に飲んでいる人は、必ず、勝手に断薬せずに
主治医の医者に相談してから徐々に減らしてほしい。
なぜかというと現在の抗うつ薬その他は、突然、断薬すると、それは
またとても苦しむようにデザインされているからである。
いわゆるヤクの禁断症状と同じことが起きる。
<向精神薬漬けの2回目のレポートより>
<精神科に通うようになった経緯>
今から数年前、私は中小のIT企業でシステムエンジニアとして働いていた。
その頃の働き方は凄まじいもので、朝の9時から深夜の11時ごろまで、
ほとんど食事を取ることさえ惜しむほど働いた。
食べることにさえ興味を全くなくしてしまっていた。
自分の能力以上の仕事量がドンドンたまり、疲労はピークに達していたが、
上司や取引先の方々、同僚が3日連続徹夜で働いているのを
真直に見ていた私には「休む」という言葉は禁句だった。
「できません」と言って見るものの、「甘え」とみなされて軽蔑される。
そんな無能な自分自身に自己憎悪ばかり…。
生きることすら興味がなくなり、寝る前に「もう二度と目を覚ましませんよう
に…」と祈る毎日だった。精神が高ぶりすぎて眠ることも出来なくなっていた。
そんな時、一人暮らしの私を心配した母が電話があり、「心理カウンセリングで
も受けてみれば…。」の一言に、私はわらにもすがる思いで、そのカウンセリン
グセンターに電話をした。
そのセンターに紹介されて最初に訪れた病院がAクリニックだった。
<地獄の日々>
簡単な問診と臨床心理士とのカウンセリングを何回も受けた。初診で薬も処方された。
記録は今手元にないが、仕事をしながら通っていたので、心身ともに疲れていた。
でも、眠ることが出来たことにホッとしてもいた。
だが、新しい上司とのトラブルが原因で、薬がドンドン増え、
私は自分が自分で全くコントロールできなくなっていた。
社内で怒鳴り散らし、別の上司にさとされることもしばしば。
出張も重なり、新しい上司への殺意、自分自身への憎悪と殺意がどす黒くうずく。
そして、私はぶち切れ、一ヶ月の有給休暇願いを会社にだした。
今回は療養が理由なので、有給休暇を申し出る際には医者の診断書がいる。
そのときの医者の言葉が信じられなかった。
「とりあえず、うつ病ということにしとこっか。」
「は?…私の病名ってわからないんですか?」
「君の場合線引き難しいから、とりあえずうつ病ということで手を打とう。
精神科医は、病名がわからないとみんなうつ病で片付けるんだ」
このときの私の間抜け面はなかっただろう…。
めでたく有給休暇をもらったが、体はだるく、いや、ヨロイを着たように重い。食欲は全くない。
薬が切れたが一人で受診に行けなかった。
そして、恐怖の禁断症状が私を襲った。
< 恐怖の禁断症状>
最初は風邪かと思った。とにかく猛烈な吐き気が襲う。
全身が熱っぽく、洗面器を抱えながら体中の体液を吐ききっていた。
吐いて、吐いて、もう何も胃には残っていないと思っていても、
空にしたばかりの洗面器をまたいっぱいにするほど吐いた。
心配して母が訪れ、脱水症状を起こしている私を救急車で運んだ。
救急病院でこう告げられた。
「この薬は勝手に止めたりしたりしないでください。
飲み続けてください。」
点滴を受けながらその話を聞く。
当然勤務に耐えられる体ではないので、会社を辞め、実家に帰ることになる。
<どんどん薬漬けになっていく私>
はっきり行って精神科の病院を探すのが結構大変だった。
ご近所にはなかなかなかったので、少し遠いB病院に通うことになった。
大病院なので6時間待ちだったが、診療はたったの3分だった。
ここ以降の薬の処方は全て記録していたので、数例を下記に列挙していく。
某月某日
ドグマチールカプセル50mg 3カプセル
ソラナックス 0.4mg錠 3錠 一日3回毎食後 7日分
ユーロジン 2mg 1錠 一日一回 就寝前 7日分
某月某日
アネキトン錠 1mg 2錠
プロビタン錠 50mg 2錠 一日2回 朝・夕食後 14日分
ソラナックス 0.4mg錠 3錠 一日3回 毎食後 14日分
プロビタン錠 50mg 1錠
ベンザリン錠 5mg 1錠 一日1回 就寝前 14日分
某月某日
パキシル錠 20mg 1錠 一日1回 夕食後 14日分
ソラナックス 0.4mg錠 3錠 一日3回毎食後 14日分
プロビタン錠 50mg 1錠
ベンザリン錠 5mg 1錠 一日1回 就寝前 14日分・・
で、転々とドクターショッピングをしながらCクリニックに落ち着き、
入院直前の処方を下記に記す。
某月某日
テグレトール錠 100mg 1錠
リーマス錠100 1錠
リスパダール錠 1mg 1錠
タスモリン錠 1mg 1錠 一日3回毎食後 14日分
ベゲタミン錠-B 1錠
ロヒプノール錠2 1錠 一日1回 就寝前 14日分
セルシン錠5mg 1錠 一日3回朝・夕食後、就寝前 14日分
レボトミン錠25mg 1錠 頓服 一日3回まで・・・
今思えば恐ろしい量を飲んでいたのだ。
しかし、以前の禁断症状の怖さから薬を勝手にやめるなんて事は出来なかった。
その間に体重は20kg以上増え、顔はむくみ、目は死んだようだったらしい。
体はヨロイを何十にも着た様に重く、だるい。
心も完全に狂気と憎悪と殺意でいっぱいだった。
そんな私を家族は「なまけ者の脱落者。」と冷たい視線を浴びせかける。
私は「死」以外何も考えられなくなる。
<まるでブレーカーが落ちるように、私は自殺を図った。>
「自殺してはいけない」と他人は言う。
だが、それは自分の心身をある程度コントロール出来る者の無責任なセリフだと私は思う。自殺直前まで、そんなこと、「自殺してはいけない」ということは百も承知である。
「自分の意思が簡単に吹っ飛ぶあの瞬間」を経験した今、
いわゆる自殺対策のぎまんを冷笑してしまう。
「ブレーカーが落ちる。」という表現をした。
これ以上適切な言葉が見つからない。
「かんにん袋の緒が切れる。」ではない。
「頭が真っ白」という表現さえ不適切である。
家のブレーカーが落ちるのは許容以上の電力を使うからだ。
それまで住人は全く気が付かない。
人間の中のブレーカーが落ちるとき、己の意思など完全に粉々に吹っ飛ぶ。
自殺しょうとしたときの記憶は正直残っていない。
ただ、かすかに覚えているのは
「全てを完全に消し去って、楽になりたい。」という思いだけだった。
自分の歴史、記憶、肉体、感情、家族、その他諸々の
この世の全てのしがらみを完全に消し去り、
自分自身の完全消去から無へ還ることを願ったのかも知れない。
家で、処方されたクスリを2週間分まとめて酒で飲んで、
気が付いたら今の病院のベットに入院していたということだけだった。
<告げられた真実>
入院して最初の一週間はほぼ完全なクスリ断ちをされた。
全く眠れない。虚脱状態。
そして、7日目、私は朝から部屋で大声で泣きわめいていた。
今の主治医の前に座るまで。
開口一番、主治医は、真実を告げる。
「君はただのクスリ漬け。本来正常だから。体を休めることだけ専念すること。」
まったく先生の言っていることは理解不能だった。
でも先生は、一番弱い睡眠薬以外、一切私にクスリを処方しなかった。
退院後、「君はクスリ漬け」の言葉は、どうしても受け入れられなかった。
先生に不安を言ったり、クスリをもっと処方してほしいと泣きわめいたりしても
「医者の俺の仕事じゃない。泣こうがわめこうが、クスリは処方しない。」といわれた。
「お前、なんで、ここで仕事してんの?」といつも不信感が増大していたが、
先生は問答無用だった。
しかし、人生逃げても、もう逃げられないときはくる。
この私の迷いに完全にとどめをさしたのは、
「国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジン」
のなかでの、向精神薬に関するレポートである。
最初は、「まさか 嘘だろ。」が第一印象。
本屋でも、精神薬の副作用と残酷な事件を結
びつける本を購入して読んだ。
しかし、自分自身の中の消化不良、不信感に耐え切れなくなり、
小野寺先生のメルマガレポートを印刷して主治医に
「これは本当のことなんですか」と問いただす。
先生は不敵な笑みを浮かべて、こう言った。
「厚労省の言うこと聞いてクスリをバンバン出す医者なんか医師免許返上しろっていうの!
ここに(小野寺先生のレポート)書いてあることはホント。
精神薬のほとんどは農薬、覚せい剤、麻薬から作られるものばっかりだ。」
そう言って先生は机の引き出しから雑誌の切抜きのコピーを渡した。
「俺の友人のフリーライターが書いた。
抗うつ薬のような精神薬は覚せい剤に似ているんだだということを勉強して納得すること。
いつものように、クスリは絶対増やさない。
グチ話も聞かない。さっさと帰って寝てろ。」
その記事は「リタリン(抗うつ剤)という名の覚せい剤」という内容であった。
もう完全無条件降伏。
白旗を揚げるとはこのことである。
今、私は、主治医の先生の言うとおり、
クスリをほとんど飲まないように努力している。
おかげで、体も軽くなり、就職のためのリハビリを始めた。
現在の処方は以下のとおり。でも、寝る前はほとんど飲んでいない。
クスリもただのお守りとして飲まずに持つだけという状態になるまで
もうすぐである。
12mgセルシン錠 1錠 一日2回 朝・昼食後
ロヒプノール錠1 1錠 一日1回 就寝前
今の主治医に会うまで、ドクターショッピングをしていた。
10人近く替わった気がする。
医者によって相性もあるし、処方も違う。
だから、主治医を変えることが怖くなっているのも確かである。
小野寺先生のレポートがなかったら、私は
クスリをくれない今の主治医を見限って、
またクスリ漬けにしてくれる医者の元に走っていたかもしれない。
私のような間違いを犯す人が少しでも減ってくれたら幸いである。
こんな地獄は誰にも絶対味合わせたくない。
特に子供達には…。
以上 】
(次回に続く・・・)