心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

宮台真司の思考の病理性!

2009-08-17 17:44:04 | 宮台真司の病理的思考
まだ、うだるような盛夏の日々、残暑お見舞い申し上げます。
睡眠をとるのもひと仕事の毎日ですが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

前回は、宮台氏に理由なき自殺などといわれたS君について書いてみましたが、
今回は、その宮台自身の独白による生育歴を通して彼の思考と行動をみなさんと一緒に探ってみようとおもいます。

彼の独白によれば、こうです。・・

*1 「小学校の頃、僕は転校がすごく多かったせいで、
女の子に気に入られることで教室内での居場所を確保するということが、とても長く続きました。」・・

(注釈)・・まず、宮台が“児童期にたびたび引越しをした”ことは、
別れの悲哀に懲りて“うつの心性”が形成され、
友人づくり、対人関係が表面的になり、
『いつでも別れられる』という自閉を性格として形成されたとみられます。

*2 「中学校は男子校でどういった順番で人間関係をつくったらよいのか分からなくなって、
とても自閉的になりました。」

(注釈)・・宮台はここではまったく人間関係(とくに同性との)での心情の関わり方を不明のままに、“うつ”を現わしています。

*3 「1971年に中学に入ったとき(大学紛争のあおりで)中学高校紛争が続いていて、
半年近くロックアウトされていた。
学校が荒廃した状態で、授業中はみんな麻雀や花札をやっているか、音楽を聴いているか、
僕も授業中に壁に鉄パイプでガンガン穴を掘ってたんです。すごくアナーキーでした。
紛争に勝利した結果もたらされたものは何なんだろうなって感じがあり、
社会というものに抱いた最初の疑念というか、自明性の解体でしたね。」

(注釈)・・ここでは大学闘争の内容を知らずに、
ただ行動をなぞるだけの紛争ごっこを中学生で体験してしまったこと。
それは“うつ破り”の衝動を心的に抱えた宮台が、
学園紛争に乗じて、社会秩序を、意味もなく衝動のままに破壊したことを意味し、
以後の宮台の社会性の不適合の考え方に影響している。
紛争に勝利したと述べていること自体が、実は何も理解しなかったことを如実に物語っている。 
勝利などしていないし、後付に、自明性の解体などと自分で値打ち付けしようとするのもいただけない。

*4 「僕は小学生時代からSFが好きで、大量のSF小説を書いていたんです。ところが、
SF小説の系譜を辿るうちに、1960年代に世界観の大変化が起こったことに気づくんです。
科学がドンドン天井知らずに発達して
銀河帝国みたいなものができるといったビジョンがあったのですが、
逆に科学が発達しきってしまった世界というのは、完璧に管理され、
ダークサイドがなくなったキツい社会ではないのか、と。
中学3年くらいの時点でそうした変化の影響を受けました。」・・

(注釈)・・ここで宮台が語っている言葉に病的なものを感じるのはわたしだけだろうか?
社会の社の字も解っていない中学生なのに、口先の言葉だけが先行している。
いかにも自己を“誇大視”した物言いが気にかかる。・・

*5 宮台はその後東大に入学して映画サークルに所属したが、そこでは
アングラ的な雰囲気だけがあって、内実は学外女子を含めたナンパサークルと化していったので、
辞めて、「ほかにやることもないので、女にハマっていくわけです。」と言う。
「朝から晩までセックスしてましたね。」あげくに「付き合ってた女がメンタルに壊れ」たと告白しています。・・

(注釈)・・宮台の話の脈絡が解せない。
ナンパサークルが嫌で抜けたのに女にハマっていったということに矛盾があるし、
女性のことを「女」という言い方に、かえって彼の内なる女性コンプレックスがうかがえるようです。
また、男と女の性的関係は当然五分と五分ならば、女性がメンタルに壊れたということは、
宮台にも社会性を示して女性を支えるという男としての責任と道義的責任は免れないわけだが、
彼は自分の就活の事しか触れていない。・・

*6 「僕は十三歳から二十歳までマルクス主義者だったんですが、やめるきっかけになったのは、
女たちと付き合うようになったからです。/・・博士課程の頃に大失恋をしました。それでちょっと頭がおかしくなって、自己改造セミナーにハマりました。
行った目的は自分を癒したいのが半分で、もう半分はコミュニケーションのスキルを盗むこと。」・・

(注釈)・・ここでも自己尊大化を表わしています。
そんな若造にマルクスが解るはずがないのは誰でも承知だし、ただの主義者カブレだったことは自明のこと。
女と付き合ったらマルクスが嫌になったという言葉は、もうマルクスが苦笑するほかない低劣さ。
また、失恋を癒すついでに、自己改造セミナーに通って、
“相手を思い通りコントロールする”スキルを欲求したのは、
明らかに自己改造という現実解離した快の妄想をイメージしていることになる。
離人症を現わし、病的な妄想に組した姿を見せている。・・

*7 「翌八五年には、できたばかりのテレクラにハマるんです。
途中、超能力セミナーや宗教セミナーに通ったりして。
テレクラにハマったのはたぶん自傷行為なんですね。/・・
普通だったらブスは避けて、きれいな女とやりたいじゃないですか。
それじゃあダメだと、会った女はやらせてくれる限りは全部やれと。
自分のプライドはけっこうボロボロになるし、/・・
普通の男には相手にされないような女がいたとして、
そういう女の子から世界はどう見えるんだろうなってことを知りたい。
そのためにはセックスすればいいんですよ。そしていろんなことを聞けば分かってくる。
つまり、他者の体験を収集していたわけです。」・・

(注釈)・・宮台がアレコレとセミナーに向かう行為とは、いいかえれば、自己破綻に直面していて、
生き延びるための安直なノウハウやスキルなどという作為に依存して快のイメージをふくらましている、
追い込まれた人間の姿にほかならない。
また、テレクラの話は、馬鹿馬鹿しくて読むに堪えないほどですが、
ブスでもなんでもセックスしたのは自傷行為などといって、
とことん女性を貶めていることに気付かない人間であることを白状しています。
ただ、本当のことも一つあって、
“要するに、女の事も、誰の事も、全然解らない”ということが、
少なくとも小学生以来の性格形成による免れがたい欠損の真実であろうこと。
宮台が「他者の体験を収集していた」のには、このような秘められた理由があるのだ。

(注釈)・・宮台が、
「S君が社交的でありながら、ありきたりの会話のバカバカしさ、無意味さにうんざりしていた。/
・・世の中無意味だと」
と言うとき、彼は何事か社会理論的な意味づけをしようとするのが見えてくる。

だがしかし実は、宮台もS君も、対人関係に不全をもっていて、
人、社会に対しての“解らなさ”を隠して
開き直ったレトリックの言葉で不適合を表現しただけのことなのだ。

決して彼の、お気に入りのフレーズ・「相対化の果ての荒野を抜けて」はいないのである。

宮台の記述は、自らの孤立不安を<超越>したいために、社会理論モドキを密かに企図して、
すべてを相対化、無意味と言い張って焼き討ちにした、いわば無理心中の産物というべきものだ。

なぜなら、それが彼の性格プロファイリングにみられる哀しい生き方だからです。・・・

宮台がいくらレトリックを駆使しようが、当然のように彼が発する、
「人間」も、「社会」も、「宗教」も、「偶然」も、

恣意的なメタファーを使った
まったく普遍性のない短絡した記号としての言葉でしかない。

記号性を理論的な柱として社会を論じ、
人間、とくに女性を恣意的な分類対象とし、
機能主義や、プラグマティズムを無批判に取り込んだ故に、

世界を前にして、
これより一歩たりとも前進できないであろう陥穽にハマっていることは疑いえない。

(敬称を略させていただきました。拝)

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2 コメント

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突然すいません (通りすがり)
2009-11-15 01:32:50
失礼ですが、宮台真司氏はともかく麻布学園の学園紛争は紛争ごっこといえるものでは無かったと認識しております。
これによって追い出された校長代行は後に逮捕されてますし。是非一度しらべてみていただきたいと思います。
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訂正させていただきます (テツせん)
2009-11-16 15:48:38
通りすがりさん、こんにちは。
少しネットの情報だけですが調べさせていただきました。
なるほど麻布学園の場合は、
学園紛争の中で生徒側が初期の目的を獲得したようですね。
この点について訂正させていただきます。
もちろん宮台氏が闘争をどのように見ていたかは彼の言葉通りで、
「-感じ」や後付の「自明性の解体」でしかないわけです。
以下は蛇足ですが、・・
・・当時の特に大学闘争にみられた
純粋な苦悩をもった最良の兵士であった個々人と同時に、

歴史的、思想史的レベルにおいて新鮮ではあったが
きわめて未熟かつ性急な全共闘闘争であったこと。
それゆえの敗北を孤独にかみしめるしかなかったのです。
勝利した麻布学園も含め、
こうした文脈の中で個別の学園闘争が規定されるものと存じます。
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