心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

震災復興という欺瞞の前に

2011-04-20 16:22:56 | 現代日本および世界
こんにちは、のほせんです。

おおくの人が 今年も咲いた桜を仰ぎみるゆとりのないままに
時が無情に せわしく過ぎようとしています。

まだ被災者の救援も避難さえもろくにできていないにもかかわらず、
ちょうちん持ちのメディアが
「フッコー」「フッコー」とさわがしいことです。

AC広告機構の喧伝する現実解離の美化のイメージである
「ニッポンは強い国!」というキャンペーンは、

この時点で、国民が懐疑と拒否に向いていることを認知した政権側の、
手あかのついた、しかしまだ大衆操作に有効な
「ニッポンナショナリズム」の起用にほかならない。

このようなマスメディアの体質が翼賛にあることを理解できないものは知識層にもいる。
なぜなら自分自身が無自覚に翼賛そのものであるからだ。

つね日頃から権威に同調して、「大本営発表」を頭に上書きすることによって
安心を得ていたいという人たちである。
ただ残念ながら、その「安心」は
現実解離の欺瞞性からまぬがれないのである。

また現代社会の問題をとりあげる知識人の中には、
それこそ液状化した既成秩序体系そのものには向き合えずに、
あくまで日本人個々の関係性の問題に結論づけようとする知的試みがみられるが、
そこにパセティックな形而上学をツギハギされたとたんに
短絡や独断におちいり、
困ったことに演繹と帰納のなれあいを演じることになっている。


それはともかく、
被災地の現況はフッコーどころではないのである。

おどろくべきことに震災から一ヶ月たっても、
この国では< 被災者の安全と生活 >が、
他の国民と同様の水準を保障されていない。

まるでそれが当たりまえのように、
心身ともに疲労し、困窮している被災者たちの姿が
いまだにメディアに映されている。

それは ちがうだろう!
かれらは不法難民でも、流浪の世捨て人でもありはしないのだから。

この国のその地方に暮らしてきた人たちなのに、
なぜ江戸の寄せ場おくりのような待遇に甘んじなければならないのか。

受難にあわれた人ならば、当面は
いつどこに行くのも自由(むろん無料)であることが保障されなければならないし、
とどまる自由もまた保障されなければならない。
とどまる場合は、
まわりの温泉宿を自由に使ってくださいと提供しなければならないだろう。

それが国家を名乗る側の当たりまえの配慮(行政)であろう。
財源が無いとはいわせない。 
いやまあ、仮に無いとしたとしてもだ、

いつの時代にも国民に養われながら、
国民を支配する官僚という存在が
いまこそみずから身を削ってでも人助けをするべきその時なのだ。

あなたがたの そのたいそうな給料と
その籍をおくかぞえきれない天下り専用の○○法人や××機関を削るだけで
莫大な国民の血税が戻るのだから。


....................................................

今回も読んでいただきありがとうございました。


あなたの推薦クリックを毎回よろしく願います!
人気ブログランキング へ!


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。