はじめ的ラオデキア人日記

ゆるゆるな元JWのつれづれ・・

問題のありか

2006年06月29日 23時16分37秒 | Weblog

JWを攻撃するサイトは数多くあるでしょうが、
まー、勝手にやってください。


思うんですけど、JWにまつわる問題の原因が
どこにあるのかを意識するのは、必要だと思うんですよ。


コンピューターや Web の業界で使う「レイヤー」という言葉。
日本語では「層」ということになるでしょうか。
つまり、問題はどのレイヤーが原因なのか、ということ。
(わかりやすく「レベル」という言葉に置き換えますが)


* 宗教全体の枠組み、概念レベル
* キリスト教および聖書の教義レベル


* JW の教義・解釈レベル


* JW 全体の組織体・文化レベル
* JW の指導者の意向・見解レベル (本部・支部)


* JW の地域の会衆の長老団の意向・見解レベル
* JW の個々の成員の見解・行動レベル


血の問題とかであれば、JW 全体の教義・解釈レベルですし、
DV やモラハラは個々の成員の見解・行動レベルになるでしょう。
もちろん、複数のレベルにわたるものもあるでしょう。


よく思うのは、会衆レベル・成員レベルの問題点を持ち出して、
それをあたかも、JW 全体に共通する問題であるかのようにすり替えることが、
頻繁に行われているように思うんです。


たとえば、ムチ。さんざん JW の攻撃材料として使われたりしますが、
聖書に書いてあるのは「したい放題にさせずに、懲らしめなさいよ」程度。
それをどのように適用するかは、組織レベル・会衆レベル・成員レベルで
当然ながら温度差がある。


子供がトラウマになるくらい、虐待もどきのムチを加えるのは明らかに
行き過ぎでしょうし、現にその被害に遭われた人もいることでしょう。


でも多分に、個人レベルの認識の過激さ、会衆全体の雰囲気という
貢献要素はあるでしょうが、だからといって「懲らしめ」を紹介することは罪なんでしょうか?


「懲らしめ」そのものが悪であるなら、キリスト教を奉じる地域の家族や
社会が崩壊しててもおかしくないでしょう。突飛な考えですが、ムチ・懲らしめは
洋の東西を問わず、どこでも行われてきたことでもあり、普遍性はあるんだと思います。


なので、行き過ぎた懲らしめのムチが一時期横行していたからといって、
それがすなわち JW の組織レベルの問題か、といえば違うだろ、と思うわけです。
個人のレベルでの問題点を、組織のせいにする、というのは「転嫁」なんじゃないでしょか?


「いや、それを容認してたんだから、組織にも責任がある」と言われるでしょう。
でもさ、出版物とかに書いてあるのは、ごくごく当たり障りのない言葉。
会衆の長老が、それをどう適用するかなど、それ以降の過程が加える要素の方が
断然大きい。


時々、警察の不祥事があって「事件なのに警察官がきちんと処理してくれなかったので
死んでしまった」という事件もあったりしましたけど、ほんとひどい話だったりします。
警察署ぐるみで隠ぺい工作したりもして悪質なことも。


でもそうした不祥事があるからといって、警察機構全体が悪だ、という論議は
飛躍しすぎだし、警察の存在そのものを疑問視する根拠にはならないでしょう。


JW の雰囲気が進学を許さない、とかフリーターを助長してるとか、
宗教を辞める自由もない、というのも、所詮は会衆レベルの話。
大学進学を勧めてはいないのは事実でも、行かないよう強制だってしてないわけだから、
結局は個々の判断レベルにまでダウンしてくるものです。


地域レベル、個人レベルの見聞きした問題を判断材料に、JW 全体を論じるのは
いささか論議の根拠としては貧弱かと思いまする。
よくありがちな、「JW がひどい組織だから、神の存在も信じなくなった」
というのは、明らかに問題点のレイヤーを上に持って行き過ぎ。


嫌味言われるのを覚悟で、なんでこんなこと書くかって言うと、
なんかねー、アンチ JW 側の受け売りみたいな掲示板の書き込みとか
ブログの記事とかが目立つんですよ。要は受・け・売・り。
アンチのプロパガンダの言いなりなんですよねー。


もちろんですね、まいけるさんとこの血の問題の論議ように、
組織レベルの問題をぐさっとえぐった情報もあったりするので、
十把一からげじゃないですけどね。
(注: 字、間違えてました。Mirrorさんご指摘ありがとです)


そいえば、まいけるさんち大変だったっぽい。怒涛のお祭攻撃。
お疲れさまです


JW 側を一方的に糾弾するのはどーも気が引けること考えると、
自分って中立派なのかも?
かといってどっかの現役君みたいに、徹底的に擁護もしませんけど。


34 コメント

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聖書と人生 (冬目漱石)
2006-06-30 14:50:43
はじめまして。

お邪魔でしたらごめんなさい。



人はどこから来て

何のために生きて

どこへ向かっているのでしょうか・・・?。

この世界の終末はどうなるのでしょうか・・・?



神の存在、愛とは何か、人生の意味は何か、いのちと死の

問題などについて、分かりやすく聖書の福音を書き綴ってい

るブログです。暇なときにご訪問下さい。





 
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Unknown (ぐぇぇぇんたん)
2006-07-01 21:17:37
すごーい、JWを徹底的に擁護しまくりですね。

なんだか、僕ははじめさんの立ち位置を

今までJW否定派だとばっかり思っていたので、

今思うととても失礼なコメントをしてしまっていました。

大変申しわけありませんでした。



> JWを攻撃するサイトは数多くあるでしょうが、

> まー、勝手にやってください。



すごーい、名前を出さずにけん制しまくりですね。

あのblogを攻撃しちゃいます?



> つまり、問題はどのレイヤーが原因なのか、ということ。

> * 宗教全体の枠組み、概念レベル

> * キリスト教および聖書の教義レベル

> * JW の教義・解釈レベル

> * JW 全体の組織体・文化レベル

> * JW の指導者の意向・見解レベル (本部・支部)

> * JW の地域の会衆の長老団の意向・見解レベル

> * JW の個々の成員の見解・行動レベル



これは、どのレベルが問題かということではなく、

どのレベルも、なんらかの問題は必ず持っていませんか?



> 行き過ぎた懲らしめのムチが一時期横行していたからといって、

> それがすなわち JW の組織レベルの問題か、といえば違うだろ、と思うわけです。

> 個人のレベルでの問題点を、組織のせいにする、というのは「転嫁」なんじゃないでしょか?

> 「いや、それを容認してたんだから、組織にも責任がある」と言われるでしょう。



言われているように、

「行き過ぎたムチの体罰を容認してたんだから、

個人にも組織にも両方に責任がある」んでしょうね。



> でもさ、出版物とかに書いてあるのは、ごくごく当たり障りのない言葉。

> 会衆の長老が、それをどう適用するかなど、それ以降の過程が加える要素の方が

> 断然大きい。



かといって、組織の責任はないということにもなりませんよね。

問題はどこが一番責任大きかったということより、

それぞれがそれぞれの責任を認識することだと思います。



> JW の雰囲気が進学を許さない、とかフリーターを助長してるとか、

> 宗教を辞める自由もない、というのも、所詮は会衆レベルの話。

> 大学進学を勧めてはいないのは事実でも、

> 行かないよう強制だってしてないわけだから、

> 結局は個々の判断レベルにまでダウンしてくるものです。

> 地域レベル、個人レベルの見聞きした問題を判断材料に、

> JW 全体を論じるのは

> いささか論議の根拠としては貧弱かと思いまする。



大学のことは、あれだけ縛りが強ければ

確実に組織レベルではないでしょうか?

そこまで立ち入らずに、誘導するような論法は避け、

会衆レベルでも干渉したりしない、

というのがいい状態なんだと思いますが、

なかなかそうはならないのでしょうか?



> アンチ JW 側の受け売りみたいな掲示板の書き込みとか

> ブログの記事とかが目立つんですよ。要は受・け・売・り。

> アンチのプロパガンダの言いなりなんですよねー。



そうですね、

僕は自分の頭でしっかりと判断さえしっかりとしていれば、

受け売りが悪だとは思いません。

人間は、偉大な先人の肩の上に乗って、

進化している生き物なわけですから。

「ことわざ」や「格言」も立派な受け売りです。

様々な立場のプロパガンダを見て勉強をして、

受け売りをして進化できるのが人なのでしょう。
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しばらくです (Mirror)
2006-07-01 21:49:36
先月のごたごたはなにも、解決をみていませんがのど元過ぎればなんとやら…放置でやり過ごしているMirrorです。



Tear a strip off



という、英語の慣用句があるのですが、これは直訳(由来)すると

皮がむけるほどムチで叩くなんです。

本来の意味は、激しく叱責する、激しく叱る、とがめるなのです。



ですから、鞭打つイコール叱るというのは、元々英語圏の歴史が長いと思います。



One must be tolerant of all opinions, be they pure or impure.



意味は“純粋であろうと、不純であろうとすべての考えに対して寛容でなくてはならない”

です。

 はじめさんは、ただ単にこういうスタンスのもと、「中立」しているように思えるのはわたしだけ??



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●ぐぇぇぇんたんさんへ (はじめ)
2006-07-01 23:31:54
ども。そいえばなんで"ぇ"が3つになったんですか?(笑)



あの、私は天邪鬼なだけので攻撃されてたら擁護してみたくなっただけです。

逆に擁護してたら攻撃するかもしれません(どっちつかず!)



あの、どこのレイヤーにもなんらかの問題が必ずある、という意見には同意します。

上に行けば行くほど、影響力も強いということも。



言いたかったのは、組織には問題がないというのではなく、

個人レベル・会衆レベルの話を組織のせいにしてしまうのは、

いかがなものか、ということだったつもりです。



大学については、ご存知とは思いますが 1995年に結構大きな

方針転換がありました。縛り自体は大きく緩んだはずですが、

組織の意識はそうすぐには変わっていないのが現状です。

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●Mirrorさん (はじめ)
2006-07-02 00:43:15
お久しぶりですね。例の件は時間が必要なんでしょう、たぶん。



ムチ、ローマ時代だって刑罰の道具であったくらいですもんね。



One must be tolerant of all opinions, be they pure or impure.

いい言葉だし、まさにその通り行いたいと思ってはいるのですが、

難しい・・・



それにしても、Mirrorさん英語お得意そうですね♪

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Unknown (ぐぇぇぇんたん)
2006-07-02 01:15:13


> そいえばなんで"ぇ"が3つになったんですか?(笑)



長いと迷惑だと言われるからです!



そうですね、

引用にお気づきだとは思いますが「低学歴推奨」の部分は、

はじめさんがここで



> JW の雰囲気が進学を許さない、とかフリーターを助長してるとか、

> 宗教を辞める自由もない、というのも、所詮は会衆レベルの話。

> 大学進学を勧めてはいないのは事実でも、行かないよう強制だってしてないわけだから、

> 結局は個々の判断レベルにまでダウンしてくるものです。



と書いているのに、別のところで



> 大学のことはあんだけ縛りが強ければ確実に組織レベルですね。

>

> 80年代にあれだけ手厳しい記事が出たりすると、萎えますわな、普通。

> 95年になったらなんとなく解禁になったっぽくて、「周りはゴチャゴチャ

> 言うな」となったように記憶してますが、圧力は変わらなかったような。

> 最近はまた風向きが変わったみたいですし。

>

> あそこまで立ち入らずに、注意すべきところは警告し、

> 誘導するような論法は避け、会衆レベルでも干渉したりしない、

> というのが幸せな状態なんだと思いますが、そーなる訳はないですね。



と書いているんですよね。



はじめさんも、心中複雑なんでしょうね。

もちろん、ご察しはしますよ。

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引用は気付いてましたよ (はじめ)
2006-07-02 12:40:48
●ぐぇぇぇんたんさん

某所での発言と矛盾しているように思われたかと思いますが、

1995年の見解の変更を、当時JWだった人にとっては共通理解なので、

それを土台として書いてました。



95年以前は、「大学よりも開拓奉仕」のような論調だったので、

まいけるさんの言うように「組織レベルの」縛りがあったと思います。

だから大学進学する人も多くはなかったし、気まずい雰囲気ありましたもん。



しかし95年に、「高等教育受けるかどうかは、後々JW的生活に

役立つかどうかを考慮して、個々で決定すべし」の方針となり、

公式見解的には「個人レベル」に今はなってるんだと思っています。

それが、上の記事に書いたことの意図です。



で問題は、本来個人で決めればよい進学の問題を、横からごちゃごちゃ

口出しする勢力が未だに強い、ということなんですよ。

オバチャン勢力とか、偉そう長老とか。

そういう意味で、「圧力は変わっていない」と言ったつもりです。



要は、95年に「組織としての解釈レベル」ではなくなって、

「個人レベル」で判断すべきものになったはずなのに、

JW 社会的には縛りがまだ残っていて、それは本来あるべき

姿ではないはず、と言いたかったのです。



うまく表現するのが難しいですが。
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Unknown (ぐぇぇぇんたん)
2006-07-02 18:31:01
僕が、はじめさんにいいたかった要点は、

行く先々で顔色を変えて発言をせず、

多少自分と違う意見があったとしても取り乱さずに、

冷静になってくださいということです。



批判を受け入れてこそ、人も組織も成長するものです。

どうか、批判を受け入れる心と、

批判に感謝をできる心を持ってください。
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● 英語ですか?? (Mirror)
2006-07-02 19:39:12
たまたま、近くにあった辞書にかいてた言葉ですよ。

 大学に関しては・・・・。わたしの知り合いのエホバの証人は両親がJWで、その子供が医者になりましたよ(つまり医学部にいったという意味ね)。親が医者というのではありません。

その子供、JWやめていないし・・・。



 知り合いの長老は医者だけに、自分の子供も大学にいかせてましたね、(医学部)両方稀な例かもしれませんが・・・。



 あと、未信者の側の親の強い意向というのがありますよね、お母さんがJWで、高校卒業後に開拓してほしいけど、父親が未信者なので、また父親が高卒でつらい思いをしたので、子供にはそんなめにあってほしくないという理由で、大学にいった兄弟姉妹を知っています。
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んーー (はじめ)
2006-07-03 00:39:18
●ぐぇぇぇんたんさん

あまりこちらの意図を汲み取っていただけてないようで。



まいけるさんとこの記事は、別に私に対する批判だとは思いません

でしたし、取り乱して冷静さを失ってもいませんよ。



「過去には組織の縛りがあった」という、私が忘れていた観点を

書いてあったので、「あぁ、あの頃は確かにそうでしたね」

と、その点は同意して認めたんです。冷静でないなら「いや違う」

と意固地になって反論してると思いますけど。

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