最近どーなんですか?詳しい人教えてくださいませ。その昔は、『JWの子供たるもの、校歌を歌おうものなら世の友・神の敵じゃー』みたいな勢いでしたけど、最近の出版物ではとんと出てこないこの言葉。しかも、「学校」のブロシュアとその後に出た「教育」のブロシュア比べてみたら、面白い発見が・・・
以前は、国歌斉唱は国家主義のなんたらかんたら・・・の説明の後に、「校歌も校歌と同様ですか。そのとおりです・・・」みたいな説明があって、同罪って扱いだったのが、新しいブロシュアでは、国歌の話は相変わらずあるものの、校歌の話がないんですよ。どこいったの?
普通に考えたら、『これって解禁?」と思うんですが、当時はそんなこと話題にも上らなかったし (当時は現役でした)、10年以上経つのに未だに謎、なのれす。
アンチ側からすれば、『また組織の責任逃れだのなんだかんだ、プンプン』というところでしょうが、まあいいじゃん、ゆるくなったんだったらさ。土台、国のために命を捧げる人はいるけど、学校のために命捧げるほど献身してる人っていないし、国歌と校歌を同列に考えるのも無理あるよなー。それを思えば、あるべき位置に戻ったのでは?
開いてる本が聖書チックだ(笑)。
つるはが丘の上に立つ
名も高西のなつかしく
通う我らの楽しさよ
これは私が通っていた中学校の校歌ですが
JWにとってこれのどこがいけないのでしょうか?
理解できませんね。
コメントありがとうございます。
確かにどこが??って感じですよね<校歌
学校に対する忠誠がいけない、みたいな論議だったかと思います。
それも今となると微妙な論理・・・
ですが、学校が校歌の練習とかやたらとあり、執着に近いモノを感じて今はJWの名残と個人的にも校歌があまり好きではありません…
コメントありがとうございます。
愛校心を駆り立てるような応援歌とか校歌指導に熱心な学校もありますよね。
あの右翼チックな全体主義にはいやだなーと思う部分もありました。
昔の名残なんでしょうか。
賛美と愛着は違うとは思うんですけどね。
全然変わってなんかいません…
コメントありがとうございます。やっぱり今でもそうなんですね。
なんだかなー。本当は関係ないと思うんだけど。。
(信仰と愛校心)
ブログも読みました。苦しんで来られたんですね。
またそちらにもお邪魔しにいきます。