【特別インタビュー】
ピアニストの村上巌さん
9月6日に白井市文化会館でリサイタル
インタビュー/構成●山本徳造(本ブログ編集人)
■村上巌(むらかみ いわお)さんのプロフィール】
昭和47(1972)年7月4日、千葉県千葉市生まれ。兄1人、姉2人の末っ子。2歳よりピアノを始める。全国学生音楽コンクール(ピアノ小学生の部)において全国第1位。千葉大学教育学部付属の小中学校、東京藝術大学附属高校を経て同大学へ進学。仏政府給費生として渡仏。パリ国立高等音楽院にてプルミエ・プリ(1等賞)を得て首席で卒業。また、文化庁給費生としてベルリン芸術大学大学院にて研修。長島寛行、高良芳枝、安川加寿子、植田克己、パスカル・ドゥヴァイヨン、クリスチァン・イヴァルデの各氏に、室内楽をクリスチャン・イヴァルディ、マリー=フランソワーズ・ビュケの諸氏に師事。1991年、PTNAピアノコンペティション特級で金賞(第1位)、日本テレビ賞、文部大臣賞、ミキモト賞、モーツァルト賞。1992年に第61回日本音楽コンクールにて第2位、井口賞、河合賞を、マリア・カナルス国際音楽コンクールにて奨励賞、第46回ブゾーニ国際音楽コンクールにて第2位、聴衆賞、パロマ・オシェア・サンタンデール国際ピアノコンクールにて奨励賞を。1995年、安宅賞を受賞。2005年、東京藝術大学非常勤講師に就任。退任前後から各地でリサイタル、オーケストラとの共演、室内楽、歌曲伴奏などに出演。NHK「FMリサイタル」に出演の他、2009年にはピアニストの佐藤文雄氏とのデュオでメシアンの『アーメンの幻影無』他のリサイタルを開催。日本ソルフェージュ研究協議会正会員。SINCS「白井市自然と芸術文化の会」メンバー。CDソロアルバム『プーランクピアノ曲集』、ヴァイオリニストの江口有香とのデュオ『ツィゴイネルな世界』『ヴィラロボス・ヴァイオリンソナタ集』をドイツ・シャルプラッテン/徳間ジャパンよりリリース。また、DVD『ショパンエチュード全曲演奏会』、CD『3大B~変奏曲の昼下がり』『村上巌ピアノリサイタル~オール・ショパン・プログラム』をリリース。平成14(2002)年から白井市南山に在住。
――2歳のときにピアノを始められたそうですが、ご両親にすすめられたのですか?
A いいえ、姉が二人ともピアノを習っていたので、僕は幼いころからピアノを聞いていたんです。それで自然と興味を持って。
――普通の子供たちがするような遊びはしなかったのですか?
A 野球もしなかった。ピアノの興味が先に入ったので。でも、運動神経が鈍かったというわけではありません。器械体操もできたし、バク転もできたんですから(笑)。
――それは意外ですね。さて、小学生のときに全国学生音楽コンクールで1位、つまり優勝しています。すごいじゃないですか。
A ええ、ピアノ部門の小学生の部です。小6だったから12歳のときですか。
――このときに将来はピアニストになりたいと思った?
A はい、幼いころからの夢はピアニストになることでした。
――東京藝術大学付属高校から同大に進学していますが、学部の3年のときにフランス政府給費留学生に選ばれてパリ国立高等音楽院に留学しましたね。パリではどういう生活でしたか?
A フランス政府から日本円にすると毎月20万円ほど給費されていた。ガレージを改造した半地下に住んでいました。厳しかったけど、楽しかったですよ。ほとんど自炊です。炊飯器は友人が置いていったのを使ったし。ボルシチが好きで、よく作っていました。
【パリ国立高等音楽院】 フランス国立高等音楽院の一つで、世界の音楽高等教育機関の中で、もっとも歴史と伝統を誇る。通称はCNSM(セエネセム)。1980年にリヨン国立高等音楽院が設立されるまでは、パリ国立高等音楽院と言えば、パリ国立高等音楽院を指した。パリ国立高等音楽・舞踊学校が正式な名称だが、音楽が中心なので、「音楽院」で知られる。主な卒業生は、ベルリオーズ、サン=サーンス、ドビッシー、ラヴェルなど。
――学校が休みのときはフランス各地を旅行したりして?
A いいえ、ないですね。僕はピアノの目的以外で旅行をしたことがありませんから。
――パリ国立高等音楽院は首席で卒業しています。
A 最低3年間は学ばなくてはならないけど、僕のときに「飛び級」ができたので、先生からすすめられて2年で卒業したのです。帰国後は東京藝大に復学し、2年後に卒業しました。
――優秀ですね。それからベルリン芸術大学に留学ですね。
A はい。
【ベルリン芸術大学】 ドイツのベルリンにある公立の芸術大学。芸術大学としてはヨーロッパで最も大きな規模を持つ。ドイツに3校ある総合芸術大学の1つで、4つの学部(ファインアート学部、建築・メディア・デザイン学部、音楽学部、舞台芸術学部)があり、現在、約3600人の学生が在学している。国際的に活躍している卒業生も数多い。ピアニストでは、今も同大学で教授として教鞭をとるクラウス・ヘルヴィッヒの他、クラウディオ・アラウ、レオポルド・ゴドフスキー、モーリッツ・モシュコフスキなど。作曲家には、クルト・ヴァイル、イザベル・ムンドリー、イグナーツ・ワーグハルター、細川俊夫が。ちなみに1999年にノーベル文学賞を受賞したギュンター・グラスも同大学の卒業生である。
――当時、村上さん以外にどなたが留学していましたか?
A 青柳晋さんとかシューマン・コンクールで優勝した奈良希愛さんがいます。奈良希さんは千葉大学教育学部付属の小中学校の後輩です。トルコからは、ファジル・サイが学んでいました。
【青柳晋(あおやぎ すすむ)】 商社マンだった父親の赴任先だったニカラグアで1969年に生まれる。移り住んだアメリカで5歳からピアノをはじめ、同年、自作の2曲を含むプログラムで初めてのソロリサイタルを開く。9歳でオーケストラ・デビュー。日本に帰国後、小学6年生のときに全日本学生音楽コンクールで優勝する。桐朋学園大学からベルリン芸術大学に留学。ロン=ティボー・コンクールに入賞後、ヨーロッパとアメリカで活動を始める。ハエン・コンクール、アルフレード=カセッラ・コンクール、ポリーノ・コンクールで優勝した。1997年頃より日本でも演奏活動を開始。意欲的なリサイタルのほか、オーケストラとの共演も多い。現在、東京芸術大学准教授。
【奈良希愛(ならき あい)】千葉市立千葉高等学校卒業後、東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻に進み、在学中に読売新人演奏会、同声会主催卒業演奏会に出演する。後にベルリン芸術大学へ留学し、首席で卒業。ベルリン芸術大学院国家演奏家コースでも首席で修了した。その後、スペインのマドリード王立高等音楽院、ニューヨーク・マンハッタン音楽院大学院プロフェッショナル・スタディーコースを修了する。日本とベルリンを拠点に演奏活動や日本、アメリカ、アジア、ヨーロッパ各地で後進の指導をする他、執筆活動も精力的に行う。ベルリンフィル、ベルリン国立歌劇場管弦楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団のメンバーをはじめ、海外の演奏家との共演も多い。
【ファジル・サイ】 1970年、トルコのアンカラ生まれ。ピアニスト兼作曲家。アンカラ国立音楽学院でピアノと作曲を学び、17歳で奨学金を得て、デュッセルドルフのシューマン音楽院に留学。デイヴィッド・レヴァインに師事した。1992年から1995年までベルリン音楽大学で学び、1994年にニューヨーク・ヤング・アーティスト国際オーディションで優勝し、世界各地で活躍している。作曲家としても、ピアノ協奏曲『シルク・ロード』『モーツァルトのトルコ風ロンドによる変奏曲』をはじめ、多くの作品を書く。2006年から映画音楽にも乗り出し、日本のアニメーション映画『オオカミくんはピアニスト』の音楽を手がけた。『たけしの誰でもピカソ』に出演も。1996年に初来日して以来、たびたび日本でもコンサートを行う。
――ベルリン藝術大学には何年間?
A 2年間いました。でも、ドイツ語は全然ダメですね。先生もフランス人が多かったので、フランス語をしゃべっていた。フランス語は留学前に日本でも勉強していたので、あまり不自由しません。音楽用語もほとんどフランス語でしたし。
――好きな作曲家は?
A ラフマニノフですね。ロマンチックで甘美な旋律の曲を書く。それに苦悩しているのが、よくわかるので。彼の曲で好きなのは『ピアノ協奏曲第二番』です。私自身、イタリアのブゾーニ国際音楽コンクールで演奏して2位になりましたから。
【セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ】 ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者。1873年にロシア貴族の家に生まれる。サンクトペテルブルグとモスクワの音楽院でピアノと作曲を学び、1892年にピアニストとしてデビュー。1904年から2年間、ボリショイ劇場の指揮者を務める。ロシア革命が起こるとパリに亡命、1918年にアメリカに移り住み、ヨーロッパ各地をピアニストとして演奏旅行した。ラフマニノフを有名にしたのは、1901年に作曲した『ピアノ協奏曲第2番ハ短調』である。合計4曲のピアノ協奏曲を書いたラフマニノフだが、第1、第2、第3の3つ楽章から成る第2番はクラシック音楽のファンだけでなく、ポップスファンにも愛されるなど、もっとも人気が高い。フランク・シナトラは第1楽章を使って「I Think of You」を歌ったし、あのクイーンのフレディ・マーキュリーが作曲した「THE FALLEN PRIEST(Rachmaninov's Revenge)」でも第1楽章が使われた。
――話は変わりますが、村上さんはカラオケなんかにも行かれますか?
A うーん、一緒に行ってくれる友達がいませんから。もしカラオケに行ったら、『グレゴリオ聖歌』とか『アベマリア』をアカペラで歌うんじゃないですか(笑)。
――日本人で好きな歌手は?
A 氷川きよしとか細川たかしはいいですね。美空ひばりも素晴らしいと思う。でも、若い歌手のことは、よくわかりません。
――外国人では?
A ビリー・ジョエル、それにスティービー・ワンダーでしょうか。私、思うんですけど、ポップスの人は「どうすれば人を感動させることができるのか」をよく研究されている。
――普段、テレビは観ていますか?
A あまり見ない。もっぱらYouTubeでピアノを聴いています。
――白井では、ピアノの練習以外に何を?
A そうですね。南山公園をよく散歩しています。
――酒やタバコは?
A 酒は一切飲まない。でも、タバコはヘビースモーカーで、毎日1箱は吸っています。
――タバコの銘柄は?
A 「ECHO」とか「わかば」を吸っています。
――えーっ、それはまた古いですね(笑)。
A ええ。
――ところで、新型コロナは村上さんに何か影響を及ぼしましたか?
A もちろん、内面的にも外面的にも影響がありました。新型コロナでみんながあまりにもカリカリしている。そのカリカリした雰囲気を落ち着かせるためにも、自分も何か発信したい。9月に白井市でリサイタルを開きますが、企画の段階でどうすればよいのか悩みました。で、自分自身を素直にプレゼンテーションすることが一番だという結論に達しました。
――最後に、これからの抱負をお聞かせください。
A ある作曲の先生から「君は作曲はしないのか?」と尋ねられたことがあるんです。ピアノ曲をアレンジしたことはあるけど、自分の世界観というか、自分が音を書いてもいいんじゃないかと思い始めた。白井市でのリサイタルでも、私が作曲した『夜明けの花園にて』を演奏しますので、ご期待ください。
――そうですか。リサイタルを楽しみにしています。
(インタビューは7月16日に行われました)
9/6 村上巌ピアノリサイタル
日 時■9月6日(日) 開場13:30/開演14:00
場 所■白井市文化会館大ホール(なし坊ホール)
入場料■前売り券2,000円/当日券2,500円
/障がい者手帳をお持ちの方1,000円(全席自由)
主 催■村上巌ピアノリサイタル実行委員会
〈プログラム〉
村上巖作曲『夜明けの花園にて』
ラフマニノフ作曲『ショパンの主題による変奏曲作品22』
ラフマニノフ作曲『ピアノソナタ第2番変ロ短調作品36』(改訂版)
バラキレフ作曲『イスラメイ~東洋風幻想曲』
ベートーベン作曲『ピアノソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」
(曲目は都合により変更することがございます。予めご了承ください。)
★新型コロナウイルス感染拡大を防止するため、ご来場の折には必ずマスクをご持参ください。
【お問い合わせ先】 小野敏郎
090-7287-2318(携帯)
*ご連絡いただければチケットを持参いたします。
村上巌ピアノリサイタル実行委員長
小野敏郎さんからのメッセージ
皆様、新型コロナウイルス騒ぎで心身ともに、さぞお疲れのことでしょう。
今年はベートーベン生誕250周年です。満を持して臨んだ年でありましたが、コロナ自粛のために、3月7日に予定していた我孫子けやきプラザ・ふれあいホールでのリサイタルは直前になって中止、6月7日に計画していた白井市文化会館でのリサイタルも、チラシの印刷を終えた段階でやむなく延期となりました。
まさに忸怩たる思いが募る日々でしたが、延期されていたコンサートが9月に開催されることになって、ひとまず安堵しています。なにしろ白井市での公演は1年ぶり。今年に入ってから一度もリサイタルを開くことができなかった気持ちを糧に、村上さんが渾身の思いをぶつけて素晴らしい演奏を披露してくれるに違いありません。どうかお誘い合わせの上、ご来場ください。一緒に心穏やかな時間を分かち合いましょう。