【連載】呑んで喰って、また呑んで(89)
駆けつけ三杯
●日本のどこでも
「いやあ、ゴメン、ゴメン! なかなか仕事が終わらなくて」
呑み会に遅れてやって来たサラリーマンがよく言うセリフだ。
すると、判で押したような言葉が聞こえてくる。
「遅れてきたから、『駆けつけ三杯』だ」
ビールがグラスに注がれる。遅れてきた人物は嫌がる素振りも見せずに、一気に呑み干す。
「さっ、もう一杯」
これも呑み干す。
短時間で2杯も呑むと、少しばかりいい気分になり、3杯目をクリアすれば、もうみんなと同じ酔い心地になるだろう。別にサラリーマンでなくても、大学生ともなれば、そんな体験は一度か二度はある筈だ。
私もクラブの先輩から日本酒を無理やり呑まされたものである。そう言いたい。が、先輩というのが揃いも揃って下戸。だから、不幸なことに、「駆けつけ三杯」は経験しなかった。けっ、面白くも可笑しくもない。だから、たまに学生時代の先輩たちに会うと、間が持たない。コーヒーで昔話なんかできるか!
さて、この「駆けつけ三杯」とは、どんな意味なのか。「酒の席に遅れた場合、罰として立て続けに3杯のアルコールを呑ませられること」と思っている人が少なくない。しかし、元をたどれば、平安時代に遡るのだとか。
当時の貴族社会では、宴会の場では「三献」が作法とされた。まず第一献はメインゲストに盃を献じ、それから順々に末席へ。第二献と第三献も同じように杯が回されて初めて儀式が完結したのである。
じつに面倒だが、やんごとなきお公家さんたちなので、せっかちな庶民とは違う。時間はたっぷりとあった。そんな儀礼的な宴の形式が平安後期に武家にも伝わる。宮中で宴会が開かれるときに警護に駆り出された武士にも「三献」が供されたのだが、もちろん酒の肴もついていた。打鰒(うちあわび)、掲栗(かちぐり)、海月(くらげ)が大皿に盛り付けられたという。
鎌倉時代になると、出陣前の武士は酒の肴に縁起を担ぐようになった。ウナギと掲栗で敵を打ち負かすというふうに。室町時代には武家にも社交性と教養が要求され、伊勢流や小笠原流などの流派が生まれて、「式三献」も一段と面倒な形式になったらしい。
余談を一つ。私はその昔、小笠原流礼儀作法の本を書いたことがある。自慢するわけではないが、私が誰よりも上品なのは、そのせいかも。それはさて置き、室町時代のホストはどんなことをしたのか。まずお銚子と杯、そして肴を持って、ゲストに歩み寄る。差し出された肴でゲストは酒を3杯呑む。これで一献目は終わる。再びホストがやって来て、一献目とは違う肴をすすめる。
「ささ、もう一献」
とホストがゲストにすすめて、二献目が始まる。酒の肴は一献目とは違う。
そして、さらに献目が。こうして3回も繰り返すので、3×3=9で「三三九度」というわけだ。そう、結婚式の三三九度に引き継がれたのである。本来なら3杯飲み干さなければならないけど、グデングデンに酔っぱらう花嫁が後を絶たなかったので、1杯に省略されたとか。
いかん。「駆け付け三杯」を説明するうちに話が長くなってしまった。くれくれも酒席でこんなウンチクを披露しないでもらいたい。酒が不味くなる。嫌われること間違いなし。あ、そうだ。「献立」の意味はいうと、一献のときに出されるのが1番目の料理で、二献目に提供されるのが2番目の料理、そして3番目が……。つまり、料理の順番のことなのだそうだ。いかん、いかん。ついつい知識が。さ、明日の献立を考えようっと。