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アナタ ウレシイ ワタシ クルシイ 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉝

2023-12-16 05:40:10 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉝

アナタ ウレシイ ワタシ クルシイ

台北(台湾)

 

 

 台北には、日本人相手の酒場が数百件軒を並べる林森北路という一画がある。日本統治時代には「大正町」と呼ばれた日本人街で、平行する形で6本の通りがあるため、「五条通」「六条通」「七条通」「八条通」「九条通」「十条通」と呼ばれていた。
 そこには、怪しげな日本語を操る小姐(シャオチェ=ホステス)たちがいて、単身赴任の寂しい駐在員を慰めたり、元気づけたり、おのぼりさんの出張者たちを陽気にもてなしてくれる。

 多くの台北駐在員は、別名「林森大学(リンセン・ターシュエ)」と呼ばれるこの街で中国語を覚える。数年の駐在を終えて帰国するころ、ある程度中国語が話せるようになっていれば、「林森大学卒業」の称号が与えられる。

 

▲ 林森北路のマクドナルド(麥當勞)から飲み屋街が始まる


 台湾での駐在員生活は昼夜ともに忙しかった。現在ではどうか知らないが、私が駐在していた1990年前後は、多い時には月間50人もの出張者のアテンドをしていた。

 昼間は、彼らと共にお客様を訪ねることが多く、時にはハードなネゴもあった。台湾に不慣れな実直で善良な日本人サラリーマンは、お客様の一言一言を真に受けて一喜一憂しがちだ。
 そんな彼らに、「相手の言うことは話半分に聞き、決して額面どおり受け止めてはいけません。ゆったり構え、相手の本心を探りながら落ち着いて攻めましょう」などと、偉そうなことをのたまったりしてしまうことも度々あった。思い起こせば、恥ずかしくて赤面してしまう。
 台湾では、食事も仕事の内だ。仕事がうまくいっても、いかなくても日が暮れるとみんなで大きな食卓を囲み、紹興酒を何本も空けた。食事の後は、森林北路に繰り出すことも多かった。

 最近の若い人たちは、あまりお酒を飲まないらしいし、夜遊びも好きではないようだ。しかし、平成時代が始まったばかりの頃、日本のサラリーマンは、昼は一所懸命に働き、夜は元気に飲み歩いていた。私は酒好きで飲みに行くのは嫌いではないが、ほぼ毎晩と言うのは流石にキツイ。 

 そんな生活を駐在員達は「出張天国、駐在地獄」と言い習わしていた。殆どの駐在員は、暴飲暴食で半年もすると肝臓や胃を壊していた。私も例外ではなかった。
 肝臓の数値は全部異常で、体重は8キロほど増えた。台湾の酒席では、乾杯の誘いを断ることはとても無作法なので、私は総て受けて立っていた。ただ、それでは身体が持たないので、ひととおり乾杯の嵐が吹き去るとトイレに行って指を喉に突っ込み吐き戻すことがいつしか習慣と化していた。すると、逆流する胃酸のせいで前歯の縁が欠けてしまった。
 平日、夕食を自宅で食べることができるのは、月に3日もあればいい方だった。休日も、出張者やお客様とのゴルフで潰れることが多かった。毎日の美食に飽き、家でお茶漬けを食べたいと思うのだが、そうはいかない。

 普段、ほったらかしにしている妻や子供たちから「ねえ、たまには、何か美味しいものを食べに連れていってよ」とせがまれれば、なす術を知らない。
 こうして、駐在員は皆、メタボまっしぐらなのだった。公になることはなかったが、暴飲暴食睡眠不足で命を落とす駐在員が何人もいた。多くは、明け方まで飲んだあと、早朝ゴルフでパッティングの最中に脳卒中や心筋梗塞で倒れるのだった。私はよく生きながらえたものだと不思議な気がする。

 以前、今も台湾に残っている日本語について書いた。台湾の夜の街には、台湾の人たちの鋭い感性によって磨き上げられた寸鉄人を刺すような日本語の名言・迷言が沢山ある。念のためお断りしておくが、私は家族帯同の駐在員で、以下に引用するストーリーは、伝聞を多少脚色したもので、断じて私とは関係がない。本当ですぞ。

「(単身赴任者)オレ、来月日本に帰任するんだ」
「何で、ドーシテ! イヤよ。アナタ ウレシイ、ワタシ クルシイ…。ねぇ、飲みましょ」
「オレも○○ちゃんとお別れするのは寂しいよ」
「ウソ バッカリ。アナタ クチ チョコレート、ココロ レイゾウコ!」
 上目遣いでこんなことを言いながら、乾杯を促す。
「アッ、もうボトルが空になったよ…」
「○○ちゃんのために、新しいボトルを一本いれるよ」
「ワタシ ノ タメ? ウソデモ ウレシイヨ!」
 短いが、壺を押さえた見事な言い回しである。感心してしまう。それにしても、日本の男はどうしてこうも甘いのだろう。

 

▲ネオンが滲む林森北路

▲飲み屋の他に日本食レストランや居酒屋なども並ぶ


 台湾の人は、一日中何か食べている印象がある。「クラブ」と呼ばれる飲み屋の夜更け。小姐の誰かが「オナカ スイタヨ」と言えば、酔っ払って気の大きくなった客は、「好きなもの買っておいでよ」と百元札を何枚か財布から取り出す。そんな時、小姐が買ってくるのは、大抵「鶏脚」或いは「泡鳳爪」と呼ばれるニワトリの指部分の甘辛煮である。
 見た目は、気持ちが悪いが、なかなかの美味である。骨にこびりついたプリプリとしたコラーゲンたっぷりの薄い肉を引きちぎるようにして食べ、小さな骨をプッと吐き出す。薄暗い照明の下、口紅鮮やかな小姐達が鶏の脚にかぶりつく様はちょっと不気味でもある。

 

▲鶏脚 泡鳳爪


 2021年に『華燈初上~夜を生きる女たち~』というNetflix独占配信のドラマ・シリーズが始まり、話題を集めた。華燈初上とは「華やかな灯りの始まり」という意味らしい。

 このドラマは若者が山中で女性の遺体を発見するところから始まる。1988年の台北・林森北路にある日系ナイトクラブ「光」を舞台に、ママさんやホステス同士の愛と友情、嫉妬と憎しみを描いたものだ。

 下の写真は、このドラマに登場する小姐たちである。ウーン、実際の林森北路の小姐達は、こんなに美人ばっかりじゃなかったような気がするのだが……。興味のある人はNetflixでどうぞ。


 

▲『華燈初上~夜を生きる女たち~夜を生きる女たち』の出演者

 

 

                                    

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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