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りんご村 【連載】腹ふくるるわざ㊸

2023-01-24 05:40:28 | 【連載】腹ふくるるわざ

【連載】腹ふくるるわざ㊸

りんご村

桑原玉樹(まちづくり家) 

 

 

 

梨郷(りんごう)駅
 
 JAF(一般社団法人日本自動車連盟)から2月に1度、機関紙「JAF Mate」が送られてくる。今号の投書記事に「梨郷」という駅名標の写真があった。山形鉄道フラワー長井線の梨郷駅だ。「梨郷」と書いて「りんごう」と読む。「梨なのにリンゴか」とちょっと面白い。
 梨郷駅の2017年の1日平均乗車人員は19人(降車客数を含まず)というから小さな無人駅だ。現在の駅舎は平成11(1999)年に地元の南陽市によって建てられたログハウス風の小さなかわいい待合所だ。現在の駅舎もよいが昔の駅舎の写真も風情がある。

▲梨郷(りんごう)駅


 白井駅の副駅名(愛称)は「ときめき梨の里」だ。白井市は、市制施行20周年を記念し、令和3(2021)年に北総線の白井駅と西白井駅の愛称を公募した。その結果、白井市民である岡村隆さんの案が採用され、白井駅は「ときめき梨の里」となった。梨郷駅と姉妹駅ということにでもならないだろうか。

▲白井駅の駅名標


梨郷の由来

 梨郷駅の名前の由来は、大正2(1913)年駅開設時の所在地が梨郷村だったからだ。梨郷村は、明治元(1868)年には既にあったが、昭和30(1955)年に沖郷村と合併して和郷村が発足したことにより廃止された。昭和25(1950)年の国勢調査では人口3442人だから小さな村だった。
 梨郷村は今では南陽市の一部となっている。梨郷は駅名や神社名に残すだけで、地名としては残っていない。南陽市は、山形県の南東にある人口約3万人の市。赤湯温泉や「鶴の恩返し」の民話が伝わる里として知られる。南陽市の果実収穫量の統計を見ると、全国順位でブドウは13位、サクランボ10位、西洋梨9位と書いてあるが、りんごは64位、梨に到っては記載すらない。西洋梨は明治の初めに山形県に導入された。明治元年には「梨郷村」はすでにあるから洋梨が村の名前の由来ではなさそうだ。江戸時代には梨を生産していたのだろうか。地名由来辞典を見てもわからなかった。謎だ。

▲梨郷村と南陽市


リンゴ村から

「リンゴ村から」という懐かしい歌謡曲がある。昭和31(1956)年にリリースされた三橋美智也のシングルだ。三橋の全盛期を代表する曲の一つで、最終的には270万枚を売り上げる大ヒット曲となった。
 しかし三橋美智也が初出場を果たした同年の第7回NHK紅白歌合戦では、同年のミリオンセラー「哀愁列車」(250万枚)を歌い、「リンゴ村から」は歌わなかった。

 

「リンゴ村から」の歌詞

♪おぼえているかい 故郷の村を
 便りも途絶えて  幾年(いくとせ)過ぎた
 都へ積出す 真赤なリンゴ
 見る度辛いよ 俺らのナ 俺らの胸が

 おぼえているかい 別れたあの夜
 泣き泣き走った 小雨のホーム
 上りの夜汽車の にじんだ汽笛
 切なく揺するよ 俺らのナ 俺らの胸を

 おぼえているかい 子供の頃に
 二人で遊んだ あの山小川
 昔とちっとも 変わっちゃいない
 帰っておくれよ 俺らのナ 俺らの胸に

 

 この歌で描かれているリンゴ村とは、恐らくはリンゴの名産地である青森や秋田のどこかの村だろう。村を出て東京へ集団就職したものの、その後の連絡が途絶えた幼なじみの娘へ呼びかける心情を三橋美智也は持ち前のよく伸びる高音で切々と歌っている。
 歌が発表された年と同じ昭和31(1956)年10月には大映により映画化もされた。美しいリンゴ園を背景に若い人達の恋愛と友情を三橋美智也のヒットソングに乗せて描く。映画の舞台は信州のとある山村、ということだから、残念ながらやはり梨郷村ではない。

▲リンゴ村から

 


集団就職列車

 リンゴ村の娘は、集団就職列車に乗ってきたのだろう。戦後の高度成長期には、農家の次子以降の子が、中学校や高校を卒業した直後に、臨時列車に乗って集団就職列車で上京した。
 昭和29(1954)年4月5日15時33分青森発上野行き臨時夜行列車から運行開始され、昭和50(1975)年に運行終了されるまで21年間に渡って、赤いリンゴのほっぺをした多くの「金の卵」たちを送り続けた。
 漫画「三丁目の夕陽 夕焼けの詩」、映画「ALWAYS 三丁目の夕陽」では六ちゃんが就職列車に乗って花の東京にやってきたが、夢とは大違いで、下町の小さなおんぼろ自動車修理会社「鈴木オート」に就職する。
 余談だが、集団就職列車が始まってから6年目の昭和35(1960)年、私が中学2年の秋に、青森県むつ市大湊から千葉県千葉郡八千代町八千代台に引っ越してきた。
 上野駅に到着した後、家族と離れてウロウロぼんやりしていたら、警察官に呼び止められた。家出少年にでも間違えられたようだ。当時は、東京にあこがれ故郷を捨てて家出する若者も多い、そんな時代だった。

▲集団就職列車

 

 

【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】

昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。


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