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「食いしん坊」の最期 【連載】呑んで喰って、また呑んで(85)

2021-02-24 07:33:58 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで(85

食いしん坊」の最期

●千葉県・白井市

山本徳造 (本ブログ編集人)  

 

 

 夕食に私がつくった麻婆豆腐を「おばちゃん」が、さも美味しそうに食べる。可哀そうなことに歯が1本しかない。入院していた病院で入れ歯を盗まれたという。なので、具材も細かくしなければ呑み込めない。
 その点、麻婆豆腐は柔らかいので、彼女には食べやすかったのだ。朝はパンにクリームスープを出すことに決めた。出された料理は、それこそ皿を舐めんばかりに完食する。食欲だけは異常なほど旺盛だった。
「おばちゃん」には趣味という趣味はなかった。美しい絵画、素晴らしい音楽、感動的な景色、友人たちとの会話……。どれもこれも「おばちゃん」の興味をひかない。では一体何が楽しみなのか。それは食べること。妻は近所の介護施設で働いているので、自宅にいることが多い私が、「おばちゃん」の食事係だった。
 さて、この「おばちゃん」とは何者か。妻の母親の妹、つまり叔母である。東京の郊外に住んでいたが、夫が他界してからは、親戚はおろか、近所付き合いも拒んでいた。妻が安否を確認しようと何度も電話をかけるが、一向につながらない。心配になって家に訪ねると、なんと電話のコードを引き抜いていた。
 そんな彼女が消息不明になったのは10年ほど前だったろうか。亡くなった夫には前妻との間に生まれた娘がいたが、彼女の行方もわからない。一体、叔母はどうしているのか。叔母が住んでいた自治体の役所に問い合わせて調べてもらうことにした。
 数週間もしてから居場所が判明する。なんと生活保護の身で、小さな病院に入院しているという。数日後、妻と私はその病院に駆け付けた。4階建ての古びた病院で、エレベーターもない。おまけに建物全体から異様な臭気か漂う。糞尿の臭いである。なんて不潔な病院なのだ。息をするのもつらい。
「おばちゃん」は3階の4人部屋にいた。自分の姪の顔をかろうじて思い出したようだが、数回会ったことのある私のことは忘れていた。認知症も進んでいるらしい。久しぶりに会ったというのに、話題は食事のことばかり。、
「ここにいると、お腹がすくのよねえ」
 痩せ衰えた彼女は、病院の食事が粗末で、量が少ないことをしきりに訴えた。そんな「おばちゃん」を妻が不憫に思ったのも自然なことだろう。「高校生のときにお世話になったから、恩返ししなくちゃ」と妻は思った。「おばちゃん」を最低の病院から退院させ、わが家に引き取ったのは、一昨年の暮れのことである。
 しかし、実際に体験してわかったことだが、足腰が弱って車椅子生活、それも認知症の高齢者を世話するのは大変である。「おばちゃん」は腹が立つほど我儘な人だった。人を不愉快にさせる嫌味を口走ることも多い。不思議なことに、そのときに限って語彙も豊富になる。
「あんたたちの口車に乗せられて、連れてこられた」「こんな家に来るんじゃなかった」「もう死んだ方がマシ」「食事の量がいやに少ないわね」などなど。認知症だとわかっていても、じつに不愉快な気持ちにさせられたものである。
 そんな嫌味をことごとく無視すると、「お腹が痛い。痛~い! 救急車を呼んで!」と言い出す。救急車云々はしょっちゅうなので、これも無視する。1時間後、寝室を覗くと、さも辛そうな表情で訴える。
「お腹がすいた。何か食べるものを持ってきて。そうね、ラーメンがいいわね」
「あれ? お腹が痛いんじゃなかったの?」
「うん、もう大丈夫」
 ある日、玄関先でカタカタと物音がした。誰かドアを触っているのか。そう思って見に行くとも車椅子に座った「おばちゃん」が玄関のドアを必死で開けようとしているではないか。
「おばちゃん、何してるの!?」
「パンが食べたくて、食べたくて。この近くにパン屋さんがあるでしょ。だから、パン屋さんに買いに行くの」
「何言ってるの!」
 車椅子でどうやってパン屋に行くことができるのか。それも一人で。ましてや、どこにパン屋があるのか知らないではないか。私は怒った。が、仕方がない。車椅子に乗せて近くのスーパーまでパンを買いに行くことにした。たまには外の空気を吸わせてあげよう。時間をかけてゆっくりと。
 車椅子を押して貯水池にかけられた橋を渡っているときのことだった。一瞬、良からぬ考えが脳裏を走った。そうだ、この車椅子ごと「おばちゃん」を橋から突き落とそう、と。温厚そのものの私をそんな気持ちにさせるほど、「おばちゃん」の存在が重くのしかかっていたのかも。知らぬ知らぬうちに私の神経も弱っていたようだ。なにしろ、私はガラス細工のような繊細な神経の持ち主である。
 月のうち何日か高齢者施設に預けたり、デイ・サービスを利用したりしたが、こちらも疲れ果てた。もはや限界である。これ以上、一緒に生活していると、こちらまでおかしくなって、「おばちゃん」よりも先にあの世に行ってしまうことになりかねない。
 そんなわけで、妻と相談して昨年3月に高齢者介護施設に入居させることにした。新型コロナが猛威をふるいだす直前のことだった。その後、コロナ禍なので面会も禁じられたが、一月ほど前、施設から「昨夜、叔母様の具合が急変したので、来てほしい」と妻に電話があった。もう、そのときが来たのか。夫婦でタクシーで施設に駆け付けた。
「わざわざお越しいただいて」と女性の介護士さんが申し訳なさそうな顔をした。「でも、もうすっかり良くなって、朝ごはんも全部平らげられました」
 うー、まったく人騒がせな。
 帰る間際、介護士さんがこんなことを言った。
「あのう、言いにくいのですが……」
「遠慮せずに、どうぞ何でも言ってください」
「そうですか…」としばし躊躇しながらも彼女は語り始めた。「あの人(「おばちゃん」のこと)、人を怒らせることにかけては天才的ですね。私、沢山の人のお世話をしてきましたけど、あんな人、初めてです。嫌味を言うときなんか、口も達者で」
 そう言ってため息をついた。もう一人の若い介護士さんも同意見ですとばかりにうなづく。ああ、やっぱり。
 それから約1カ月後―。、
「おばちゃん」の訃報は施設からの電話で知った。
「今日の午前2時15分に息を引き取られました」
 施設の担当は沈んだ口調である。ま、ことがことだけに明るい口調では言えないだろうが、そう教えてくれた。
「奥様の携帯に何度もかけたのですが、お出にならなくて」
 やっぱり。妻は数分前に職場に向かうために家を出たばかりである。私がスマホにかけても、応答しないことが多い。イライラさせるよ、まったく。

「おばちゃん」と違って、妻は食べ物にあまり興味がない。牛肉と豚肉の違いもわからないくらいである。妻は犬が大好きだ。人付き合いを拒絶した「おばちゃん」は家に遊びに来る野良猫を可愛がってエサをあげていた。

 しかし、かつて一緒に住んだことのある、夫の連れ子がたまに遊びに来て、冷蔵庫にあったスパゲティを食べると、
「私のスパゲティーを食べたのよ」
 と狂ったように激怒していたという。猫には優しいのに。
 そんな「おばちゃん」が亡くなったのは、令和3年2月22日のことである。安らかな顔だった。83歳の生涯。老衰だった。
 ところで、その日は「2」が3つ続く。「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」の語呂合わせで、「猫の日」となったそうな。一人寂しくあの世に旅立った「おばちゃん」。来世があるなら、猫に生まれ変わるかも。美味しいペットフードが待ってるよ。


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