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The Sense of Wonder

「ここへきてよかった」
そんな景色に出逢えたら・・・。

夢や目標ってなんだろう (転)

2010-04-18 21:22:07 | 日々の気づき
「私はあと三年で仕事をやめる。あなたはどうする?」

あれから、5年以上はたっているから、私が聞いた言葉はたぶん「まぼろし」(笑)

それでも、仕事はそれなりに忙しく日々、活動的に動いていた。でも深いところでは
澱み、麻痺し、魂は死んでいたかもしれない。

「上司が仕事を続ける間は、お手伝いをしよう。それから後は、その時考えよう」
やめることを前提とした仕事が、楽しいわけはなく、どんどん、殻に閉じこもる。

そして、そのころちょうど夫が単身赴任で新潟を離れることになる。
夫が、一緒に来てほしいといったら、たぶん私はそうしただろうと思う。
でも、夫は「おまえはおまえの仕事をしろ」と言って端から私が仕事をやめることは
頭になかったようだった。

その時、はじめて誰の期待に沿うことも出来ない、立っていることさえ不安定な自分を
知ることになる。

突然与えられた「自由」
自らに由る。ということ。

結婚前は、親の期待に沿うように生きて、結婚してからは、夫や親族の期待に沿うように、
会社の期待に沿うように。
人の夢や目標に共感し、または表面だけ共感し、自分ができることをお手伝いしていこうと
思っていたはずが、突然はしごを外されてしまったようだった。


人は、暗闇の中、そう長くは手探りで歩けない。
何がきっかけで再び、夢や目標、ビジョンが自分の心に中に芽生えたか?

それは、たぶん一つではなく、いろいろな学びや、独立起業してがんばる仲間の姿勢、
オープンマインドな友人の支えがあって、再び本当の夢やビジョンという光に向かう
ことができたのだと思う。

中でも、今まで別々に描いていたありたい姿が、一つに統合した瞬間がソースのワークショップだった。

ソースのワークショップで自分を深堀して出てきたものは、

「ホスピタリティ」と「自己成長」というキーワード。


人生のテーマであり、私のワクワクの機関車は「自己成長」
そして、人生の目的地は「ホスピタリティ」

潜在意識があぶりだした、ワクワクの地図は、もう隠しようもなく自分が向かう先を
示していた。


「私は自己成長を通して、ホスピタリティで繋がる輪を拡げます」

私の存在意義、私がなすべきことが一つの文章となって浮かびあがった瞬間だった。



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だいぶ、ひっぱりました。すみません(笑)
ようやく、新人研修も一段落つき、基金訓練も始まり、ブログに向かう余裕ができました。
行く先々で、ブログの続きは?と聞かれ、案外身近な方もご覧下さっていることに、
今さらながら驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。



基金訓練の「営業力大学」のブログもはじめました。

講座の風景や様子などを、できるだけアップしていきたいと思っています。
全員就職を目指し、がんばります!

応援、宜しくお願いいたします。





夢や目標ってなんだろう (承)

2010-03-24 21:15:43 | 日々の気づき
上司の前で、夢とか目標を語れなくなった。

自分で仕事がある程度任されるようになると、上司からの指示がなくなった・・・。
訳ではなく、自分自身がそれを組織の目標、指示と思わなくなっていた。

だって、ソレハ、ワタシガシタイコトデハ、ナイカラ・・・。

本心だった。


今、やらされ感いっぱいで働いている人たちの気持ちが良くわかる。

そんな上手く行かないことやったってどうせ無理だから。
上手く行かないと、やっぱりね。私の言ったことが正しいでしょ。

そんな気持ちで取り組んだことは、上手く行くはずがない。
本気出してないわけだから、上手く行くはずがない。

私が社長なら、即刻クビだ!



でも私の上司は、根気強く・・・は、待ってくれなかった。

「私は後三年で仕事をやめる。あなたはどうする?」



今度は、上司が夢や目標を語らなくなった。


(つづく)





夢や目標ってなんだろう (起)

2010-03-23 22:54:27 | 日々の気づき
「夢や目標がないんです」
「やりたいことがわからないんです」

30代に入ったころ。ちょうど自分探しの旅に出た頃。
私も、ずっとそんな思いを抱いていた。

いろいろなセミナーに出たり、夜間に学校に通ったり。

ひょんなことから、今の研修講師という仕事をすることになった。
やりたいと思ってはじめた仕事ではない。
ただ、ずっと派遣で仕事をしていて、これでは仕事のスキルは磨けても
ビジネスマンとして大切なことは一生学べない。
そう思ってどこでも良いから正社員で働こうと思っていた時に、声をかけてもらった。

それからは、必死だった。

与えられた仕事を上手く出来るようになることが「夢」であり「目標」になった。
それが出来るようになれば、また新しい夢や目標が与えられる。

仕事の指示=目標だった。

仕事が任せられるようになり、上司から仕事の指示が出なくなるととたんに目標がなくなった。

そのころからまた
私は質問を繰り返していた。

「本当に私のやりたいことってなんだろう」

とても不幸だ。
いまなら、とても不幸なことだと認識できるけれど、そのときはわからなかった。

結婚をしているにも関わらず
「本当に私が探している人は、別にどこかいるはず。私のソウルメイトはどこ?」
って言っているようなものだ。

「組織の夢や目標を、個人の夢や目標に置き換えること」が組織人として必要という
言葉もどこか空々しく、経営者の一方的な押し付けのように感じていた。

ケンシュウコウシノクセニ。


いつの間にか。

上司の前で、夢とか目標を語れなくなった。

(つづく)





死ぬ時に後悔する事。

2010-03-21 19:48:01 | 日々の気づき
今日は、大人の寺子屋主催の山崎拓巳さんのセミナーでした。
新潟にお越しいただくのも3回目。
3回とも、参加できたことは、とてもラッキーです。

本日は、ふたり一組のワークが中心のセミナーでした。
その中のワークの一つに
「死ぬ時に後悔する事」
という質問があり、深く揺さぶられました。

その後、お茶をご一緒したときに、
「リインカネーションで人生をはじめる時に、次のステップから始める事ができる」
という拓巳さんの言葉にも、深く揺さぶられました。

きっと死ぬときに後悔する事は、リインカネーションしたときにまたそこからスタート
することになるのだろうと思いました。

でも、もし死ぬ時に後悔するだろうと思われることを、すぐにやることで、
今、ここで次のステップがはじまるのかも知れません。


もういい。


あきらめていたこと。


やってもいいんじゃないか。


誰でもない 自分の人生だもの。


とっても、やる気のスイッチが入ってしまいました。






始まりの終わり。

2010-03-15 23:48:40 | 日々の気づき
チーム魚座の星占いから
  ↓
星占い仲間で、勝手によんでるだけ。


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「始まりの終わり」
ということなのだろうと思います。
つまり、
「第一楽章の終わり」とか
「オリエンテーションの終わり」とか
「試用期間の終わり」とか
そんなイメージです。
しばらくまえにスタートを切って、
スタート直後の嵐のような展開にもまれ、
身動きできなかったのが
先週あたりから少しずつ、
「見える」ようになってきて、
そしてとうとう今週
貴方は「そのことが完全に始まってしまったのだ」ということを
受け止め、自分のものとするのではないかと思います。


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まさに、今の心境そのもの。
先週も、大きな塊をひとつひとつチャンクダウンしていく作業が始まるというそのものだった。
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どんどん具体化していきます。
おそらく、
大きな魚をもらったときのような状態なのだと思うのです。
誰かが気前よく大きな魚をくれたのですが
その魚が大きすぎて、どうさばいていいか
途方に暮れていたのではないでしょうか。
そのため、イキの良い魚をもらった喜びよりも
作業をどう進めて良いか解らない焦りに
支配されていたのかもしれません。


ですが今週以降
その魚を、ちゃんとさばいていけることがわかります。
手順が見えなかったり
作業を具体化できなかったりする段階では
どんなに恵まれた状況にあっても
人は不安な、焦るような、呆然とした気持ちになるものです。
「恵まれている」ということそのものを
災難のように感じてしまうこともありますし
どこから見ても嫌なことしかないように思えることがあるのです。

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占いにシンクロしているのは、気分がいい。

星の動きにシンクロしているということは、宇宙にシンクロしていることだから。


4月からはじまる基金訓練が、開催できることになった。
一人では、抱えきれるはずもなく、多くの方にご協力をお願いし、集まりませんでしたでは
何とも格好がつかない。

何よりも、内容も講師陣もほかに負けないという自信もある。

これで、この講座の良さをアピールできないとしたら、責任は私にある。

「良さがわかる人だけに来てもらえばいい」→「良さをわかる人にアピールする必要がある」
こう頭を切り替えてからは、やるべきことはすべてやり尽くそうと思った。

それでダメならば、時代が私たちに追いついていない「時代まち」ってことであきらめようと思った。

結果は、定員15名で15名の申込。


今日、関係者の方、ご協力頂いた方へ、ご挨拶をするうちに、私のしたいことだった
キャリアコンサルトとして就職支援をすることが、叶ったことに心からの感謝でいっぱいになった。

もちろんこれからが本番である。
心を込めて全力でサポートしよう。

でも、まずは。
「始まりの終わり」で、今日はちょっと一息・・・。




稚心を去る努力をして見えてきたこと。

2010-03-14 22:12:48 | 日々の気づき
おひとりで、ビジネスマナー講座に通っていらっしゃる方と一緒に、毎月テーマを決めて
お互いにブラッシュアップをしていこうと思い、一ヶ月。

今月のテーマは、「稚心を去る」

稚心を去るために、公私の感情の区別をつけるということを意識した。

「講師」という立場で受講者の方と接することは、ずっと自分ではないという感覚のまま
「演じている」ので、比較的、自分への甘えや私情がでることは少ない。

問題は、それ以外の仕事の時間での、甘えの心。

あーしよう
こーしよう

と思った先から、やらなくてもいい言い訳や、勝手な都合をつける自分がいる。

コレガ チシン ?

これだ!と思った直感をさえぎるものの正体は、稚心だった。


「気づいた瞬間」


頭の中に浮かんだことはその場で実行処理。
すぐに出来ないときには、その場でメモ。


そして、わかったことは。

頭の中にメッセージがおりた瞬間にしたことは、大概ことが上手く運ぶ。

新規のアポイントであったり
企業への提案であったり、
コラボの企画であったり。


仕事に私情を持ち込まないという、本当の意味がわかった。

私の甘えの心は、「メンドウクサイ」だ。
これが出たときには、立場の仕事をしていないということだ。

私にとって。
稚心を去ることは、直感を磨くことだった。






組織力。

2010-03-11 09:34:48 | 日々の気づき
「この間、打ち合わせに来た○○会社の社長さんと、支店長さん。正直、この組織の力には
かなわないと思ったね」

「事情があって靴を脱いで入ってもらったんだ。帰るときに、支店長さんが、さっと社長さん
の靴を直し、自分のポケットから靴べらを出した。それもごく自然に。大企業が大企業で
ある所以を見た瞬間だったね。」

これは、昨日打ち合わせに伺った時の雑談で出た話。
この話をしてくれた方は、経営者。
経営者の方は、部下に同じようなことをしてもらいたくっていっているわけではない。

それぞれが、立場を認識し、期待される役割を全うしていることに対して、組織の強さを
みたという。



アメリカでは、小さい時から、「あなたにとっての成功とは何ですか」という質問を
投げかけるときく。
そして、A~Zの頭文字の付く職業を思いつくままあげて、それがどんな仕事なのかを授業で
取り上げていくという早期のキャリア教育をしているそうだ。


なぜ日本は、いい年をした大人が自分のキャリアの理解について未発達であるにも関わらず、
これほどまでに高度成長を遂げることができたのか?
という問いに対して、日本のキャリアの専門家は、

「個を捨てて、会社のために働いたからこそ、日本は高度成長を遂げることができた」

と答えたという。


確かに、納得である。

個を捨てて、立場と役割に徹したからこそ、ベクトルを一つにすることができたはず。


ではこれからの組織が目指すところは、また昭和的価値観の「個を捨てる」という
組織力なのだろうか?

一段上がって高みに登る、螺旋的発展が叶うのであれば、
個を活かしながらも、立場と役割を果たすという道が必ず開けてくると思う。


「僕が一人前になったら、今度見習いの後輩の分まで稼がないと。今まで、先輩に食わせて
もらってますから」

これは、もうすぐインターンを終えスタイリストになる若手美容師の言葉。
嬉々として、恩を返せる立場になったことを誇りに感じている口調。
脈々とこれからも受け継がれるだろう職場風土を感じる。


彼の一見昭和的な価値観に見える言葉の中に、「個を活かし、立場の役割を果たす」
ことのヒントがあるように思う。






将来の夢。

2010-03-10 22:36:37 | 日々の気づき
そうそう、真面目に夫と将来の夢について語ることはない。
26と24の時に結婚した私たちだけれど、気がつけば、お互い40台半ば・・・。
子供がいれば、子供の成長と共に家族としての成長も見えると思うのだが、夫婦のみの
家庭の我が家は、20年前と何も変わっていないように思う。

お互いの将来を語ることは、今の生活をみつめることでもあり、ちょっとしんどい。
離れ離れで暮らしていくことが、いいことだとは思わないし、かといって、
どちらかが仕事をやめてという結論も出しづらい。

自ずと近い将来ではなく、遠い将来についてのほうが、話しやすくもある。
ずっと、夢物語の話と思っていたことが、そう遠くない将来に感じるのは、
やはり年のせいだろうか。

「佐渡で、セミナーハウスをしたい」

ずっと、言い続けているけれど、これはどちらが先に言い出したかわからないほど
二人の中では、共通のビジョンとなっている。

以前は、これをビジネスにしてきたいと考えていたけれど、本当のホスピタリティは
ビジネスでは、表現できないのではないか?
だったら、一日一組で、本当にいらした方が満足するホスピタリティを提供する
場所をつくりたい。

ふたりだけで、最高のおもてなしの空間をつくる・・・。

そのために、今できること。
しなければならないこと。


あらためて、今の仕事はお互いにそこに向かうための一本の道筋になっているように思う。
そして、勇気がわいてくる。

職業人生。泣いても笑っても、後20年余り。
新しく始めることだって、遅くはない時間だ。
今の、仕事の延長線上に夢があるのなら、焦らなくてもいい。
延長線上にあるのなら、今も夢を生きているということだから。


たまに、お互いがどこを向いているのか話し合う時間をもつことは結構大切。

家庭でも、ビジョンや理念を共有する時間は、あるといい。




試食について。

2010-03-05 22:07:55 | 日々の気づき

「いただきます」を忘れた日本人 食べ方が磨く品性

フードプロデューサーの小倉朋子さんの本。

「食」をテーマに、丁寧に食材を育ててくれる人への感謝や、食事を作ってくれる人への
感謝、何よりも私たち人間にいのちの提供をしてくれる動植物に感謝して、いただく事の
大切さを教えてくれる一冊。

テーブルマナーとは、目の前の料理をいかにキレイにいただくかを学ぶものではないと
気づくきっかけとなった本でもある。
たぶん、私は、こんなことを伝えて行きたいんだろうなあという漠然とした思いが、
すでにその活動をしていらっしゃる方がいたことで、とても勇気がわいた。


この本の中で、「試食は買う気になってから」という項目がある。

確かに、昔は、「試食は買うことを前提にした」行為であった。買いたいけれど、ちょっと
味がわからないと不安という時に便利だった。
それがいつしか、企業の販売促進の一環として「試食」が取り入れられるようになり、消費者
も、つい手が伸びてしまうとその場の気まずさから、高額でないから一度買ってみようと
いうことで売上げに繋がっていったという経緯。
もちろん、おいしいから買うという人が大半だとは思うけれど・・・・・。

でも今は、そうでもないらしい。

いや、私自身を振り返ってみても、お腹がすいているとつい手が伸びるウインナー。
しかも売り場の人がいないときには、ちょっとした人だかりになることもある。

デパ地下の試食でフルコースをいただき、一食分を浮かすなどと平気でいうツワモノも
いたりして。

恥の文化といわれた日本人の姿は、いづこへ~。



試食の誘惑に負けてしまいそうなときには、
「試食は買う気になってから」を思い出そうと思う・・・。



それにしても、本能の前には、理性は働かないものです。
確かに、この本能をコントロールできたら、精神修行にもなりそうです。





今日、友人の家庭料理をいただきました。
なぜ家庭料理が何にも勝るごちそうなのか・・・?

お金で対価を払えないものほど、価値がある。

それぞれの家庭で、それが実感できる時間が共有できる日本になるといい。
心からそう思います。
まずは自分の家から。明日は、高崎で研修の後、上越へ向かいます。



「そうでした」

2010-03-03 23:06:54 | 日々の気づき
つい、ぽろっと「そうでした」という言葉がでることがある。
先日も、礼法のレッスンの際に、廻り方の足の運びを間違えてしまったときに、先生に
指摘されて、ポロリと「そうでした、すみません」と。
言ってしまってから、あ!っと思ったけれど、時すでに遅し・・・。
上位者へ対する受け答えの仕方ではないと、また指摘を受ける。

上位者、上司から注意指摘を受けたときは、「はい」と答えるという何とも基本的なこと
で注意をされる自分が恥ずかしい。

そう考えると。
仕事の中で上司に対して、注意指摘をされたときに、「そうでした」とか「ですよね~」
などと受け答えすることがなかっただろうか。

知っていても出来ていないから、注意を受ける。
「そうですよね」とか「そうでした」は、そんなことわかっていますと言っていることと
同じ。


自分が、注意をされてみてよくわかる。

受講生に注意指摘をしたときに、「はい」という素直な返事が返ってくる人と、
「それって○○ってことですか?」と質問で返してくる人。
「今、たまたまやってませんけど、いつもはやってます」と言い訳から入る人。

本当に損をしていると思う。
注意指摘をしたときに、軽くあしらわれたと感じるときほど、悲しい悔しいことはない。

これが、すべての受け答えにでる。
クレームをいただいた時に、「はい」という真摯な姿勢で受け止められるかどうか。
言い訳や責任転嫁、そして謝る前に自分の知りたい情報を聞く、苦笑いでお茶を濁してしまう
ことに繋がってしまう。



「はい」という素直な返事が来ると、言って良かったと思う
そして、もっともっと良くなってもらいたいと思う。



些細なことほど、難しい。

「知行合一」

今月の月間目標は、「はい!という素直な返事」でいこう!!