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The Sense of Wonder

「ここへきてよかった」
そんな景色に出逢えたら・・・。

親からの汚染

2010-05-01 09:33:01 | カウンセリング・交流分析
汚染

交流分析では、親から無意識に価値観や信念を刷り込まれ、自分にとってもそれが正しい事だと思ってしまう事を、~汚染~と呼ぶ。
実家に久しぶりに帰って親と会話をすると、無意識に抱えている恐れや不安は、親の価値観から来るものであることに気付く。

ここ数カ月、たくさんの新たなChallengeを与えられ、多くの人に支えられ、素晴らしい出会いに恵まれた感謝を両親に伝えた。

もちろん、そんな私を応援してくれているし、有り難いなあとも言ってくれる。

でも、
最後の締めくくりは、
お天道様は、
自分ばかりを照らしているわけじゃない

騙す人だって、上手くいかない事もある
最悪をいつも想定してやりなさい

きっと、いや絶対に両親は私の事を思って言ってくれている

でも私が受け取ったメッセージは、

よき事の後には、必ず良くない事が起きる。
よき事は長く続かない。
ということ。

だから無意識にブレーキがかかる。

無意識が、Challengeにブレーキをかけ、 無意識が、悪い人、信じられない人を作り出す。

結果、思った通りの人生を歩む事になる。
決められた人生脚本を演じる事になる。



この時大切なのは
親の価値観や信念を否定したり、何故そんな育てかたをしたのかと責めるのでなく、



ただ
気付くこと。
私の人生にとっての真実ではない事に。


今日私はまた
新たに人生脚本を書き換える事ができた。



起きる事は、すべてよき事なのだ!

自尊心強化月間。

2009-09-03 22:01:53 | カウンセリング・交流分析
8月は、自尊心強化月間でした。9月も引き続き強化月間です。

自尊心を強化すると一言で申しましても、非常に漠然としておりますので
私が取り組んでいる課題はといいますと。

古い下着やサイズの合わない下着を取り替える
仕事・生活に不便を感じたことは、すぐに交換、修理、修理依頼をする
一人の食事であっても、きちんと食卓を整えていただく
洗顔は優しく、大きな泡を作って包み込むように洗う

そして最大にして最難関な、
自分の目に写るものは、美しい状態に保っておくこと。

自分が自分自身にやってあげられる最大の限りを尽くすこと・・・。


自分なりに自尊心を高めることを意識してやってみて気づいたことは、
「自信」と「自尊心」は、別のものではないかということです。

「自信」は自分の能力や可能性を信じる力ですから、他者からの肯定的な
フィードバックによって、「上手くやれてる感」を感じることは可能ですが、
「自尊心」は、人からの評価で高まるものではない気がしています。

と同時に。
案外、自信を持っている人は多いけれど、自尊心を感じている人は少ないかもしれない
ということも感じます。

自尊心は、自分が人間としての尊厳を保つ心であり、能力もスキルも他者からの
評価も必要がなく、ただただ、自分を一番大切な存在として扱うことという信念
のもと、あえて、他者からの評価のない、自分にしかわからないところで、自分を
大切にする訓練をしておりました。

上記の項目は、会社だったら、自分の大切な人だったら、真っ先にしてあげたいと
思うことですが、自分のことになるとすべて後回しにしていることです。

一ヶ月を通して、気づいたことを2点、皆さんとシェアしたいと思います。

ひとつは。
愛情の質が変わったことです。
今までも、家族友人ペットを愛しておりましたが、自分自身をVIPとして扱うように
なると、今まで以上に周りにいる方々が素晴らしく輝いて見えます。
VIPな私の友人家族ペットですから、当然です。

大切な私の一部である、ペットや家族や友人はさらにさらに大切になります。当然です。

もうひとつは。
自尊心を傷つけられたと感じる、不愉快に思うことが増えてきたということです。
今まで、「そんなことでは私の自尊心は傷つかない」と思っていたことは、鈍感に
なっていただけで、寛容でも心が広いわけでもないことに気がつきました。

「そんなつもりでいったわけではないんだから」と受け流す気持ちは、
「そんなつもりでいったわけではないんだから」と自分自身への言い訳に繋がります。

接客の場面においても、なんとも「粗末に扱われている」と感じることが多いことか!
と同時に、「粗末に扱われる私の振る舞い」でしかないことも反省ですが。

でもこれは、ホスピタリティやマナーを中心に活動していきたいと思っている私には
なくてはならない感覚であったと、覚醒した「自尊心」をナデナデしています。


自尊心があるからこそ、それを傷つけられたと感じる「浄化」も必要なんだと思います。
「傷つけられた」と感じるのは、自分の信念が変わったからであって、接客に携わる
人は昨日までと同じ接客をしているだけ。

赦すのは、相手でも自分でもなく、だた感情(記憶)をクリアにする方法を実践
するのみだと思っています。




無条件の肯定的配慮

2009-05-23 22:16:51 | カウンセリング・交流分析
先週に引き続き、高崎におります。

5月6月の土日は、キャリアコンサルタントを目指す方たちの
養成講座のトレーナーとして、お手伝いをする週末を過ごしています。

産業カウンセラー協会の仕事は、私にとって ある意味、原点回帰の場所であり
人と携わる仕事をしていく上で、大切なことを教えていただける貴重な場所でも
あります。

トレーナーといえども、実技試験免除の判定評価をしなければならない中、
フィードバックがスキル中心になりがちな私に対して、
先輩トレーナーの方の、その人に焦点を当てた人の見方に対して、自分の未熟さを
知ると同時に、なんとも言えない温かさを感じています。

職場に、友人に、家族に一人でもここまで自分のことに心を配ってくれる人が
いるとしたら、大きな力になる・・・

と感じると同時に、

私自身は、家族に、友人に、そして研修参加者に対して、ここまで心を配ることが
できるのだろうか・・・

そんな気持ちです。

でも、この温かさは誰かとシェアしたいと心から思います。



的を得たフィードバックは、もちろん必要ではあるけれど、
今、私がここで学ぶべきことは、無条件の肯定的配慮ということになるのだろうと
感じています。

たぶん。


2~3年前であったらならば、言葉の背景やその人の環境など、
切り捨てていたところだろうと思います。

自分自身も切り捨てていたところだから。

「そんなこといってたら、仕事にならんでしょ」


でも、今はそれをわかってくれる人がいて、分かちあえる人がいて
はじめて、いっちょやったるか!って気持ちになることを知った私がいます。

それが、なんとも嬉しいと感じるこの頃です。






感情を味わいつくす

2009-04-06 19:11:39 | カウンセリング・交流分析

失敗しても、落ち込み続けないこと
悲しい出来事があっても、下を見続けないこと


この失敗は私に何を教えてくれているんだろう?
この出来事の意味は何なんだろう?


事実の意味づけをすることによって
感情が変わり、行動が変わることがある


成果を出していくには、この考え方のクセは大切だと思う。



でも。

自分の感情のコントロールがある程度、出来るようになると、
本当の自分がどこにいるのかわからなくなる
本当の自分なんて、感情の中にないのに・・・。


自然の流れでそう思えるならいい
でも無理して、自分自身に信じ込ませようとしている私は
明らかに、自分にウソをついていないだろうか・・・。

だから
あるとき突然、苦しくなる。


自分の感情を認めて、味わいつくす。
マイナスの感情も、歓迎する。
そうして初めて、一歩前に出ようと勇気が沸いてくる

感情に身をゆだねること
感情をコントロールすること

心豊かに生きるには、両方必要だ。







ロジャーズの人間観

2009-03-18 23:29:47 | カウンセリング・交流分析
先日の産業カウンセラー協会でのプレゼン実習のテーマに選んだのが

「ロジャーズの人間観」でした。

カウンセリングに携わることがある方なら、
「受容、非指示的、来談者中心療法、共感的理解」などという言葉は幾度となく
目に、耳にしたことがあると思います。

これらの言葉や理論は、すべてカールロジャーズが提唱したものです。

私は、カウンセリングに携わらないまでも、人と関わることが多い職業の方、
管理監督者、指導者、経営者となる方は、自分はどんな人間観をもっているのか
を折に触れて確認しておいたほうが良いと考えます。

なぜならば、人間関係は「合わせ鏡」で出来ているからです。

人は、飴と鞭をもって管理しなければ思うとおりに仕事をしないという人間観を
もっているとしたら、接し方も、指示的で操作的になります。
指示的な環境の元では、指示待ちの人材が育ちます。
そして、合わせ鏡ですから、指示待ちの人材をみた管理指導者は、ますます自分の
人間観を強化していくことになります。


ロジャーズの人間観は、
「人間は自己実現に向かう有機体である」

自然界のすべてが有機体であるように、人間もまた進化・発達の過程を問わず
自分自身の維持と自分自身をより良い方向に向かわせる力が備わっている・・・
これが、ロジャーズの人間観です。

人間もまた自然の一部である・・・
少年時代を自然豊かな田舎で暮らし、生き物と接してそれを育ててきたロジャーズは
オーガニックオーダー(自然の秩序)を知っていたからこそ、有機体としての人間を
信じる「来談者中心療法」を打ち立てたのかの知れません。


レイキ
ホ・オポノポノ
リコネクティブ

いろいろなヒーリングがありますが、これらもやはり、
「人間は自己実現に向かう有機体である」という人間観がベースになっているんでしょう。

有機体である力を存分に発揮してもらうための方法がそれぞれにあるんでしょう。

それが、カウンセリングの場合は「言葉の応答」なのだと思います。

コズミックダイアリー、引き寄せの法則、そして交流分析やカウンセリング。
ここへきて、別々に学んできたものが自分の中で統合されつつある心地よさを
感じています。

ロジャーズの人間観は、私が求めていた真理なのだろうと思っています。



「察してよ」の世界

2009-03-09 07:44:32 | カウンセリング・交流分析
カウンセリングにどっぷり浸かった2日間でした。
非構成的エンカウンターも初めて体験し、

輪の持つエネルギー
受容れられている安心感の中で、自己開示できる感覚。

体感できました。


イチロー選手が、
記者に「調子はどうですか?」と聞かれて
イチロー「そこは、察してほしい。」と。
他の質問で引き出して、調子の良し悪しを感じるのが、記者の仕事といわんばかりに。
イチロー「私のこと、好き?」と聞かれるのと同じくらい嫌いだと。


カウンセラーも
「どんな気持ちでしたか?」なんて不用意に言ってはいけない。
今回の研修で改めて、学んだことの一つでした。

言葉にできない感情があるからこそ、モヤモヤしているわけで、
まさしく「察してよ」の世界。

クライアントの言葉にならない感情を、共感的理解をし応答する。
そこは、カウンセラーとしてのスキルなのだと思いました。

感情を表す言葉・・・
もっともっと、自分の中に納めたいと思います。

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高崎での研修後、上越にきております。
頭を切り替えて、仕事に臨みます。

水曜日の夕方には新潟へ戻ります(nokoちゃんへ業務連絡)

清々しい疲労感

2009-03-07 20:51:11 | カウンセリング・交流分析
産業カウンセラー登録講師養成講座2日目。

やっぱり、あったかい。
人っていいよね。

そんなことが実感できた一日でした。


カウンセラーの姿勢を忘れてはいけない。
改めて感じました。
人の気持ちを理解しようと思う人間になること。

ここが私の自己成長の目指す原点であることを再確認しました。

指導者からのフィードバックを受けて、
まだまだ思いの至らぬ点、自分の枠組み(内的準拠枠)でしか見られない未熟さを
まざまざと見せつけられました。

単なるスキルではなく、カウンセラーとしての感度の高さの違いを実感しました。


話し方や声の出し方という単なるスキルなど、
「あり方」に比べれば、ほんの数パーセントにしかすぎない。

人として私が大切にしたいこと
「相手の気持ちが手に取るようにわかる」ようになるまでには、10年、20年の
経験が必要なのだと、高き理想に胸躍る夜です。


産業カウンセラー養成講座に通っていたのは、平成16年、今から5年前です。
毎週土曜日の養成講座は、午後からはずっと実技(傾聴実習)でクタクタでした。

傷つくフィードバックを受けたこともあります。
まだトラウマとなって、話の流れを変える質問をすることには抵抗があります。

でも、傾聴をベースとする産業カウンセラー協会の姿勢は、
人間の自己肯定感、人間尊重の理念が柱となっていて、
温かさを感じます。

5年ぶりの清々しい疲労感。

カウンセラーとしての基本的な姿勢を再確認でしたことは、私にとって大きな宝です。



コツンと言う音

2008-10-24 23:29:08 | カウンセリング・交流分析
楽しいことは、期待しすぎるとオジャンになる」

だから

「楽しくても感情を表さないようにしよう」

そして

「オジャンになっても、悲しくないふりをしよう」


親との関係の中で、間違った感情のファイリングをしてしまうことは誰にでも
起こりえることではあるけれど、その思い込みに誰もが気づくとは限らない・・・。

今日、両親が目の定期健診で新潟へ来ていた。
偶然夫も仕事で新潟に戻るという。
私も今日は午前中の研修後は特に予定なし!

では、久しぶりに4人で美味しいランチでも行きますか!と予定していたのに
「具合が悪いので、早めに帰る・・・」と迎えに行った先で母親に言われてしまった。

その時。

母親の体調を心配する前に、
「いつもそうだ。お母さんは。この間だって、確かそうだった。旅行先でもいつも具合が悪くなる。
いつもいつも期待させておいて、落とすからなあ」

心の中で思いっきり、くさっている私を発見!

私ってなんて悪い娘なんだ?母親が具合悪いって言ってるのに!
と思い直してみたのだが・・・。

もしかしたら、これを話したら何かが変わるのかもしれないと思いながらも、直接は言えず。
素直に感じただけ、進歩か? 
少なくとも、ニセの感情、ラケット感情ではなかったから。


「私は、いつも仕事を優先させて、旅行がオジャンになったり、根をつめて仕事をするから
出掛ける時には必ず具合悪くなるお母さんに合わせて、何も出来なかったのがいやだった。
でも、寂しい顔をするとお母さんにつらい思いをさせてしまうから、平気に装ってた。
でも、とても悲しかった」

車の中で、大声で言ってみた。


ポロポロと涙が出てきた。

なんだか、スッキリした。


楽しみなことは、どんどん楽しもう!
遠足前のワクワクを毎日、感じていよう!

楽しみを態度であらわしても、声に出してもそれが原因でオジャンになるわけではないし
悲しみが増えるわけではない。



またひとつ。
ブロックがはずれました。
(コツンと音がしました・・・



あ。母はただの疲労と風邪です。いごねりやら赤飯やら、アジを三枚におろして冷凍フライにしたり。
気持ちは、涙が出るほどうれしいのですが、そろそろ自分の健康を第一に考えてくれることの
ほうが、あり難い年齢になってきました。


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今日は、友人と3人で佐藤ゆうすけさんのライブに出かけました。
今日のリクエスト曲は、
「瞳がほほえむから」10月21日は18回目の結婚記念日でした。
この曲は、キャンドルサービスのときに使わせてもらった曲です。

個人的には、ゆうすけさんがセレクトした
竹内まりやの「カムフラージュ」が良かったです。

カムフラージュ(歌詞付) - 竹内まりや





ラケット感情

2008-08-12 08:01:58 | カウンセリング・交流分析
「ラケット感情」

交流分析では、「にせの感情」「代用感情」のことをラケット感情と呼びます。

人間が持つ本当の感情には、喜び・悲しみ・怒りなどがありますが、
こられの本物の感情は、ストレートに相手に伝わるため、結果としてはOK-OKの
関係を作ることができるのですね。

じゃ、なぜ人は本物の感情を制限してしまうことが多いのか・・・?

実は、ラケット感情であるニセの感情の方が、人から受け入れられるという経験を
することによって、不快な感情であるにも関わらず、
何度も繰り返しそのニセの感情を味わううちに馴染み深いものになってしまうからなのです。

子供の頃、親との関係の中で自分の思い通りに行かないとき、
たとえば、ほしいおもちゃを買ってもらえない時など、駄々をこねるなんていう
ことは、どなたも経験があることだと思います。
私は、それで買ってもらったことは、記憶の中ではないような気がしますが・・。

その時に買ってもらえない悲しみを、ストレートに表現すると、
「いつまで泣いているの」
「お兄ちゃんは、そんなこと言ったことなかった」
「もう二度と一緒に買い物には行かないわよ」
などと言われ、「悲しい」という感情すら受け入れてもらえない、承認がもらえない
状態にオロオロします。
そこで、親に受け入れてもらうために、いろいろな感情を試してみることによって
親の承認を得ようとします。
「わがままをいう私が悪かったんだ・・・」罪悪感
「もう、こんなこと言わないから・・・」後悔
「だれにも私の気持ちなんてわかってもらえない・・・・」寂しさ

その結果、罪悪感をもったり、後悔したりすれば親の承認が得られると思ったら
そのニセの感情を使うくせがついてしまうのですね。


それは、
物心ついた頃からではなく、言葉を話せない乳飲み子の頃から繰り返し行われています。


だから
厄介なのです。


子供の頃は、親の承認がなければ生きられないと思うことは、当然でしょう。
でも今、私たちはその必要がなくなっているのに、繰り返しラケット感情を使って
誰かの承認を得ようとしています。

ストレス状態になると、この感情が心を支配します。


今、まさにラケット感情に浸っていたなと今朝気づきました。


感情は選択できる。


本物の感情は、選択する必要も選択の余地もないけれど

本物の感情は、味わっていい。
手放すものは、ラケット感情なのですね。

もし。

手放せずにいる感情があったら
それが本物の感情か、ラケット感情なのか。
まず、自分に聞いてみよう!



気づきを忘れないうちに出勤前にアップしました。





真の学びのはじまり

2008-08-09 22:10:08 | カウンセリング・交流分析
交流分析での資格が、上級資格を取得するために一年の熟成期間をおくと
いうことは、実践においての学びを深めなさいという意味合いが大きいのだと
解釈しています。

しかし、資格取得のために勉強しているわけではないのに、資格取得という
外的動機付けを一旦、自分の中にしてしまうと、取得後は学びを深めないと
いう、変なことになってしまいます。

もちろん、研修での「アウトプット」を意識した学びは、続けておりましたが
真の意味での「学び」は、ストップしていた感は否めません。


本日、交流分析インストラクター合格通知が届きました。
交流分析2級講座を担当できるという資格です。
これからが、スタートです。

なぜ、交流分析を学ぼうと思ったのか。
わたしにとっては、決してビジネスのツールだけではなかったはずです。
もう一度、原点に戻り日々の生活に交流分析を活かしていこうと
誓いました。


信頼に満ちたあたたかい交流を目指して。