ちょっと待てよ?
やっぱりw-inds.は、最高すぎやしないかい?
久しぶりにiPodに入れてた曲を全曲通して聴いてますが、やっぱしw-inds.の曲は断トツに多い。
もう何度も何度も、何度も聴いた曲ばかりだけど、時間が経てばその曲の良さとw-inds.の素晴らしさは、やがて慢性的になり新鮮味をなくす。
それを今改めて聴いたら、曲の出だしで鳥肌が立つ程の感動が蘇り、さらにはあの頃感じていた印象を遥かに上回る感動が襲い掛かり、
『w-inds.を好きでいて良かったー
地球に生まれて良かったー』
と、心から叫びたくなった。
当時の思い出とか、w-inds.を愛し、信じ続ける自分とか、誰にも譲れない、誰にも負けないw-inds.への想いとか、w-inds.とは全く関係のない時限の自分とか、それら全てが今、肯定的に受け入れられます。
『生きてて良かったー
地球に生まれて良かったー』
w-inds.には、来週の土曜日に会える。
同じ空気を吸える。
同じ時間を同じ空間で過ごせる。
いつも、私がw-inds.を想うその瞬間瞬間、w-inds.は何をしているかわからない。
寝てるかもしれない。
3人がばらばらでオフを楽しんでいるかもしれない。
レコーディングしているかもしれない。
移動中かもしれない。
収録中かもしれない。
雑誌のインタビュー中かもしれない。
ジャケット撮影中かもしれない。
ダンス中かもしれない。
PV撮影中かもしれない。
家族といるかもしれない。
恋人といるかもしれない。
家の掃除をしているかもしれない。
買い物をしているかもしれない。
ライブのリハーサルをしているかもしれない。
何もしていないかもしれない。
何かをしているかもしれない。
それを、調べる術が私にはない。
だけど、ライブは、その瞬間にw-inds.が何をしているかがわかる。
ライブをしているから。
それも、私の目の前で。
私もいる空間で。
w-inds.と同じ時間を過ごすこと。
私にとってそのことにどれほどの価値があるか。
ファンにとって、この上ない幸せ、喜び。
5,800円の価値。
それが私にとってどれほどの価値があるか。
私はライブの度に、グッズをしこたま買います。
中高生たちとは桁が違います。
使う金額が違います。
そのグッズは、私にとってどれほどの価値があるか。
例えばサインライト。
私が毎回買う商品、一つ千円。
これを買ったら、ライブ中にライトを点けて振りますね。
それは、w-inds.が私を見ることの出来る唯一の手段です。
私がw-inds.の視覚に直接訴えることの出来る唯一の手段です。
もちろんそれは、私を特定できるような代物ではない。
みんな同じものを持っているから。
それでも、私の持つサインライトから放つたった一つのライトは、w-inds.の目には、数え切れない沢山のサインライトの光りの塊の中の一つとして確かに映る。
それが、私がw-inds.の視覚に直接訴えることの唯一の手段であるがゆえんです。
だって、彼らに私を直接見てもらうことなんて出来ないのだから。
会えることなんて叶わぬ望みなのだから。
たくさんのライトの中のたった一つだとしても、私がw-inds.を応援する一人であることを示したい。
それがライトを買い続ける理由です。
そして、他にもたくさんのグッズを私が買うのは、以上のように私がライブにかける強い想いがあるからこそ、そのわずかな一瞬の出会いを一生涯忘れたくないと願う気持ちがあるからです。
記憶が薄れてしまうのには誰も逆らえない。
どんなに心に刻み付けたとしても、やがて消えてしまう。
それを、私はグッズを買うという行為によって、そのグッズそのものによって、忘れない誓いに代えるのです。
問題は金額ではない。
想い出は、それに関係した物によってより深く長く自分の中に生き続けると思います。
あと、少しだけ、その時にしか買えないとゆう切迫した感情もありきです。
さ、今年は何を買おう。
いくら遣おう。
このために私は、せっせと働いてるの。
さて。
そろそろお迎えが来るぞ、と。
やっぱりw-inds.は、最高すぎやしないかい?
久しぶりにiPodに入れてた曲を全曲通して聴いてますが、やっぱしw-inds.の曲は断トツに多い。
もう何度も何度も、何度も聴いた曲ばかりだけど、時間が経てばその曲の良さとw-inds.の素晴らしさは、やがて慢性的になり新鮮味をなくす。
それを今改めて聴いたら、曲の出だしで鳥肌が立つ程の感動が蘇り、さらにはあの頃感じていた印象を遥かに上回る感動が襲い掛かり、
『w-inds.を好きでいて良かったー
地球に生まれて良かったー』
と、心から叫びたくなった。
当時の思い出とか、w-inds.を愛し、信じ続ける自分とか、誰にも譲れない、誰にも負けないw-inds.への想いとか、w-inds.とは全く関係のない時限の自分とか、それら全てが今、肯定的に受け入れられます。
『生きてて良かったー
地球に生まれて良かったー』
w-inds.には、来週の土曜日に会える。
同じ空気を吸える。
同じ時間を同じ空間で過ごせる。
いつも、私がw-inds.を想うその瞬間瞬間、w-inds.は何をしているかわからない。
寝てるかもしれない。
3人がばらばらでオフを楽しんでいるかもしれない。
レコーディングしているかもしれない。
移動中かもしれない。
収録中かもしれない。
雑誌のインタビュー中かもしれない。
ジャケット撮影中かもしれない。
ダンス中かもしれない。
PV撮影中かもしれない。
家族といるかもしれない。
恋人といるかもしれない。
家の掃除をしているかもしれない。
買い物をしているかもしれない。
ライブのリハーサルをしているかもしれない。
何もしていないかもしれない。
何かをしているかもしれない。
それを、調べる術が私にはない。
だけど、ライブは、その瞬間にw-inds.が何をしているかがわかる。
ライブをしているから。
それも、私の目の前で。
私もいる空間で。
w-inds.と同じ時間を過ごすこと。
私にとってそのことにどれほどの価値があるか。
ファンにとって、この上ない幸せ、喜び。
5,800円の価値。
それが私にとってどれほどの価値があるか。
私はライブの度に、グッズをしこたま買います。
中高生たちとは桁が違います。
使う金額が違います。
そのグッズは、私にとってどれほどの価値があるか。
例えばサインライト。
私が毎回買う商品、一つ千円。
これを買ったら、ライブ中にライトを点けて振りますね。
それは、w-inds.が私を見ることの出来る唯一の手段です。
私がw-inds.の視覚に直接訴えることの出来る唯一の手段です。
もちろんそれは、私を特定できるような代物ではない。
みんな同じものを持っているから。
それでも、私の持つサインライトから放つたった一つのライトは、w-inds.の目には、数え切れない沢山のサインライトの光りの塊の中の一つとして確かに映る。
それが、私がw-inds.の視覚に直接訴えることの唯一の手段であるがゆえんです。
だって、彼らに私を直接見てもらうことなんて出来ないのだから。
会えることなんて叶わぬ望みなのだから。
たくさんのライトの中のたった一つだとしても、私がw-inds.を応援する一人であることを示したい。
それがライトを買い続ける理由です。
そして、他にもたくさんのグッズを私が買うのは、以上のように私がライブにかける強い想いがあるからこそ、そのわずかな一瞬の出会いを一生涯忘れたくないと願う気持ちがあるからです。
記憶が薄れてしまうのには誰も逆らえない。
どんなに心に刻み付けたとしても、やがて消えてしまう。
それを、私はグッズを買うという行為によって、そのグッズそのものによって、忘れない誓いに代えるのです。
問題は金額ではない。
想い出は、それに関係した物によってより深く長く自分の中に生き続けると思います。
あと、少しだけ、その時にしか買えないとゆう切迫した感情もありきです。
さ、今年は何を買おう。
いくら遣おう。
このために私は、せっせと働いてるの。
さて。
そろそろお迎えが来るぞ、と。