くまのハチミツえほんJapan. 394shanxi.J.🐻🍯📚️

オリジナル物語、写真、絵画、多言語作品いてます。

#猫#ネブルン#オリジナル猫#猫家族#他のblogから#猫目銀河ネブラより地球へ

2020-10-16 16:39:42 | #猫
#🐱#猫#ネブルン#オリジナル猫#猫家族#他のblogから#猫目銀河ネブラより地球へ

©️くまのハチミツえほん🐻🍯📚️

わたしはネブルン。

わたしの故郷はあの猫目銀河(ネブラ)。

この地球で知り合ったshanxi(394)はボクの友達。

実は、彼しかボクとボクの家族の事を知らないんだよ。

地球にボクたちの家族はこっそり来て、ひっそりと暮らしてる。

他の人には分からないように姿を変えてね。

これから、みんなにボクのこと、ボクの家族のこと徐々に紹介するよ。


Prolog

ボクたちは『猫目銀河』(ネブラ)と言うはるか彼方の銀河にいたんだ。

あれは、ギリシャの時代だった。

天文学者や文学者たちが皆集まって、ある会議をしたんだ。

大空に星と星を心の線で繋げて、

地球から見える夜空に見える星座に名前を付けたんだよ。

動物の名前も、家庭にある家具、楽器、台所にあるもの、ありとあらゆる名前がいっぱい付いたんだよね。

皆、自分の名前が付いて喜んでいた。

処が。

処が。

実に酷い話だった。

猫座だけ無いんだ。

それはもう猫たちは大騒ぎになって、ギャーギャー(ニャーニャー)泣いたさ。

どうして泣いてるの?

って、訊いてくれた人がいたんだ。

それで猫の代表は思いっきりクレームを述べたのさ!

ニャンでって、こんな酷いことありません。

そうだニャン!まったくだ!

💢💢💨😾🙀😿プンプン💢💢

なぁるほど。
それは悲しいよね。😭

その人はそう言うと、
よし!僕に任せなさい。
良い考えがある。

って、言ってくれたんだ。

ボクたちはその話を聴いたら、涙がでなくなったんだよ。

φ(・ω・*)フムフム...

(=゚ω゚=)🎶
(=^ェ^=)💕
(ФωФ)💖

皆、それを聴いて喜んだニャン。

中には、その話に弾けて、上に飛び上がり、1メートル以上も跳び跳ねた猫もいたよ。

それは何?って。

それは写真を見たら分かるよ。

これは、その親切なShanxi(394)さんが、猫目銀河を描いてくれたんだ。

そして、ネブラから産まれたから猫家族の長男『ネブルン』が最初に産まれたんだ。


そして、だんだん産まれて、弟も長女も両親も出来たんだ!

そしたら、ボクたちは地球に行きたくなって、光の電車よりもっと速い乗り物で瞬間移動してきたんだ。

そう。

勿論、地球の人達がびっくりしてパニックならないようにも配慮して、姿を変えてね。

だから、ボクたちの正体を本当に知ってるのは、あのshanxi(394)しか知らないんだよ。

これからだんだんボクたちのことを教えるね。

仲良くしてね。

今日はこれでバイバイするニャン。

Part 1.
ネブルン登場の巻き。

©️Shanxi(394),16 October 2020.
このオリジナルデジタル画像は絵画著作権で保護されていることがあります。
わたしの許し無く、どなたも断り無く、スクショ・コピー・電子複製・印刷することを固く禁じます。
もし、お使いになりたい方はわたしまで一言お断りを入れてください。

📖猫目銀河宇宙著作権法第ニャン条の第ニャニャン項の第ニャニャニャン号の規定により違反した者は処罰されるニャン。
👮🙀👮‍♀️
良く守ることだニャン。#179.
©️くまのハチミツえほん🐻🍯📚️





🎊🎉💐👌
お知らせ。
この作品はKakao story で他の言語(英語、韓国語、中国語) でも多言語で投稿掲載しております。
良かったらご覧ください。

Notice.
This work is posted in Kakao story in multiple languages ​​in other languages ​​(English, Korean, Chinese).
Please have a look if you like.

주의.
이 작품은 카카오 스토리에 다국어 (영어, 한국어, 중국어)로 게시됩니다.
원하시면 한 번 봐주세요.

注意。
该作品以多种语言用其他语言(英语,韩语,中文)张贴在Kakao故事中。
如果您喜欢,请看看。




#みんなのブログ#みてみて#エッセー#手塚プロダクションのアニメ(マンガ)展示会#開催中#豊橋市美術博物館にて

2020-10-16 11:10:04 | #マンガ(レビュー感想)
#手塚プロダクションのアニメ(マンガ)展示会#開催中#豊橋市美術博物館にて
#マンガ(レビュー感想)#みんなのブログ#エッセー#みてみて


わたしの若い頃、子供の頃、ずっとマンガにより育てられたと思えることがある。

東京の小さな一角にあるアパートから日本マンガは始まった。

今でもそのアパートは再現されて、当時の様子を語り伝える展示建物と成っているらしい。

コロナと言う人類未曾有の世界となってしまった。

そこへ、今までのようにはおいそれと、ハイハイとは行けぬ感染症の頃となった。

今でも、後、100日以内に歳がくれて来年になると言うのにも拘わらず、

この感染症は消えることは無い。

人は『いつかきっと前みたいな時がやって来るさ!』と

淡い期待、
誰にもハッキリと保証出来ない期待、
専門家と言える人たちでさえ、一致した見解が出せずストレスを抱えておられることだろう。

医師でさえ。

医師と言えば、手塚治虫先生は医学博士号を取得されていると聞いた。

だから手塚マンガは、医学的であり、美術的にも黄金分割率に則り、生命を追及しているマンガだと言える。
どのマンガを観ても手塚マンガにはそれが根底に流れている。

扱われた分野の広さ。

手塚先生は医師でもあり、それよりは世界的な思想家だとその作品内容と分野の広さから理解できる。

わたしも若い子供から成長期に亘り、手塚マンガの虜になったことは言うまでも無い。

火の鳥が出たと言えば、毎回無理をしてでも買ったもんだ。

後に再び出された方は全部集めて持っていた。

ストーリー性の強さ。

時代を越えた内容。

根底に流れる人間性。

涙と正義と内面の強さを感じなくしては読めないマンガなのだ。

当時、わたしも東京にいた。

国立国会図書館なるものにも行ってみた。

そこには、マンガも市民権が評価されていて、図書館にあるのです。

一昔前の時代には何と言われていたか御存じでしょうか?

『マンガなんか読んでばかりいて、頭がバカになるぞ!』でした。

ザ・ビートルズが来れば、それを否定し、

ザ・ドリフターズがテレビに出れば、それを見るなと先生までもが述べていた時代です。

そうしたいけないと言われていた人々の実際の能力も知らない人々だから、そんな間違えたことを平気で言っていた時代だったのです。

専門性も行えている事実さえも知らずに頭ごなしだったのです。

今時それをもし、平気で述べる方がいたら、どれ程、世界中からブーイングが入ることでしょう。

手塚先生は、あのディズニーと面会して握手をしている写真をわたしは見つけた本から知ってしまった。

その時、前からの謎が解けたのたです。


なぜ、ライオンキングとジャングル大帝は似すぎているのか?
の謎でした。

2人の最終目標だったのです。

お互いにそれを描こうと相談していたのです。

名前は異なっていても、そのストーリーは同じ考えなのです。

マンガの世界を通した2人の夢と理想の世界は同じだったのです。

動物界の平和を取り戻すにはどうやって?

それは、人間界の平和にもヒントが与えられています。

しかし、動物たちの間には沈黙の了解があったとしても、

残念ながら、人間界にはそのルールは無いのです。

破る者が必ず人間界には現れるからです。

ですから、ある意味、動物以下の人間界だと言えるのです。

人間の世界では、言語があってもことばが通じないのです。

ことばより、愛です。

愛が本当にあれば、諍いも争いも消えて行くのです。

処が人間界には『愛』を主張しても、それはまるで馬の人参のように目の前にぶら下げるだけで、
耳には馴染み易くても、実際に破れて反故になるのが落ちです。

愛は不法により冷えていくのが人間の失敗だとも言えます。

この世界には愛と非愛のどちらに靡くでしょうか?

それは愚かな闘いです。

動物よりも獰猛なのは人間だと述べている動物学者がおり、小さい頃より動物、猛獣と共に生活をしてきてそれを感じているのです。

もう一度強調します。

聴いていない人もいるかも知れないからです。

動物よりも獰猛なのは人間です。

どこに原因があるのでしょう?

動物と人間を研究されて見れば分かる筈です。

人間は言葉も愛も通じない時には、心も信じる気持ちも無くて正しく無いことを横にでなくて、縦に書くのです。

横に書けばそれは『不正』です。

縦に書けばそれは、『歪』と言う文字になります。

ロボット工学を夢見た手塚先生。

500冊も著書を書いたと言われるアイザック・アシモフ先生が遥か以前に述べたロボットが出来ることとしてはいけないこととがあり、それは手塚先生にも見られます。

現代にもそれは受け継がれている面と

その逆に『死の旅商人』と言う黒幕の存在はマンガの世界の話なのではありません。

病気の菌やウイルス、武器弾薬、最終兵器と言われる人工知能を悪に使う危険な思想は、
過去にも言われており、
あの可愛いイルカを使った爆弾をイルカに持たせたのです。

子供たちが知ったら大人への不信、軽蔑、価値観の喪失を招くほどの考えでした。

それは、未来の子供たちへの相続財産としての未来ある地球のことなどかんがえていないことを意味しています。

それでいて、自分だけはシェルターにでも入ればと糠喜びを抱いています。

御存じですか?

何メートルもある分厚いコンクリート壁さえもキリのように揉んで中に入れるロケット弾があり、中に入ればそこに毒ガスを放つことが出来る時代に、シェルターなど何の役が立つかと儚い『夢物語』を語っているのでしょうか。

中では、空気と水と食べ物を鉱物半減期が過ぎ去るまでそこに立て籠っていられるとおもうのですか?

コロナ感染症の今の時期でも、自粛が長いと感じてストレスを抱えていると言うのに、その中で何も起きることなく平気でいられるのですか?

100年くらい冬眠しているしかないでしょう。

放射性の有るものは、何年くらいのスパンでは解決しません。


それは、実現不可能な現代の笑い話(または現代の都市伝説)としか思えません。

将来の可愛い子供たちの未来を潰すのは、昔子供だった大人の人たちしか他にいないのです。

歪んだ心を持つかつての子供は、頭も心も行動も『悪』に凝り固まっています。

人間の『悪感情』は自らの脳から化学物質を分泌して、その人の体を蝕みやがて頭の神経も感情も狂わせていく力が有ります。

ストレス1つ考えて見れば分かるはずです。

人の脳とは最大の化学物質を造り出している化学工場であり、善いことの為に作用すれば良いものとなり、真逆に悪に傾けば、自らを滅ぼします。

それを選ぶのは1人1人の選択であり、本人がそれを選んで行くのです。


将来の困難、苦難、災難を乗り越えるほどの力を未来に子供たちは持っていける可能性が多大にあるのです。

そうした知恵をアニメやマンガは内在しており、時の壁を越えられるヒントを子供たちに与えることが出来るのです。

そして、子供たちは大きく成ったときに新芽のように一気に芽吹くのです。

・ → 🌱✨ → 🌿 → 🌳🌲


マンガとアニメには、時間と次元を飛び越える発想が含まれた領域からのインスパイアなのです。


それは、『死の旅商人』では絶対思い付けない隠された生命保持のための宝物を含んでいます。



イルカ爆弾も、AI兵器ももう辞めなさい。

そんなことをしていると人間の体の中にはあるモノが生えてきますよ。

そうして、それにより死の旅商人はこの世界から自ら消えて行くのです。

それを『自滅』と人は呼びます。

夢と希望を与えるマンガとアニメ。
そして、アンチ・アニメはそれを否定する考え。

わたしはそれをマンガとかアニメとか、呼びません。

過去のある人物が頭の中に描いた将来の永続的な自らの王国のように、やがては幾年かして自らの死を招いただけです。

それは当人が、未来を描き間違えたことに気づけなかったのです。

©️14 October 2020.
by shanxi.
#手塚プロダクションのアニメ(マンガ)展示会#開催中#豊橋市美術博物館にて。
#マンガ(レビュー感想)

※画像はかの手塚治虫先生の後継、現在の©️手塚プロダクションの展示会の入り口ポスターから頂戴しました。
感謝します。













#手洗いデー#新型コロナ感染症が教えてくれたこと

2020-10-15 13:21:08 | #手洗いデー
#手洗いデー 🚰🧼🤲 (&😷)
#新型コロナ感染症が教えてくれたこと。




感染症となって、世界は『手洗い』の大切さが自分と自分の愛する人、及び愛すべき隣人(自分以外の全ての人のこと)の命と健康に関係してくることを多くの人々は認識、自覚、意識されるようになった。



思えば、コロナ感染症前の頃は、そこまでこの『手を洗う』ことは、かなり手が汚れてしまった時くらいだったように思える。



もっと以前の子供の頃はどうかと言えば、

・トイレに用足ししても手に水を濡らすくらいで、しかも、両手を何回かパッ、パッと振り水気を飛ばしたり、ズボンの裾に濡れた手を塗りつけていたことがあった。



・不思議な『三秒ルール』。

これは今から思えば不可思議な、しかも何の根拠も無いルールだったと言える。

子供だったから他者がそう言えば、それを信じていたのです。

今で言えば、根拠の無いフェイク規則であろう。

飴玉をポッと地面に落としてしまった。

『あっ!
と叫ぶが早いか
『早く拾え!』
と言うが早いかである。

『三秒以内なら大丈夫だよ。』

そう言われて、地面に落ちた飴玉を素早く拾うと、無造作に砂を落とすかのように、手で払い、服に擦りつけて、飴玉の付いているかも知れない砂成るものを綺麗に出来たか、自分の目で黙視点検して

『大丈夫だった。』

と変に納得して口に入れてしまっていたのです。




これはわたしが小学生の六年生の時、親切な担任の先生が私たち一人一人に1枚づつ分けてくださいました。感謝しています。

これを見て初めて『新幹線』なるものを知ったのです。(『夢の超特急』『弾丸列車』日本オリンピック。)


⏹️この60年で世界は変わってしまった。


今から、60年くらいは前の日本は今ほど汚い世界では無かったからそれが出来たのです。

・山の流れ出る川の水は、ピロリ菌など言う人もおらず平気で飲めた。
川の上流には人は住んでいない。
従ってそこで洗濯する人もいない。

・道を裸足で歩いたこともある。
今のように何が落ちているかの心配も無かった行えたことです。

学校の運動会があれば、グランドでは裸足で走り、その裸足で山道を歩いて帰宅してお昼ごはんを食べて、再び時間になる前に学校へ行き、午後のプログラムを行うと言った具合でした。

ここ60年で日本は変わったのに、日々の生活で人の認識は疎くなるのだと言える。

今、公道や山道さえも、裸足であるく人を見かけたことも無い。

あるとすれば、猫か犬や野生のハクビシンや狸、狐の類いであろう。

60年で無くてもこの世の中は変わるのです。

わたしの父たちが子供頃、夕方から夜に掛けて魚を捕りに川へ行くと

バケツいっぱいの魚を捕ることが出来たそうです。

それが、今では川は存在していても、そこには魚はいない構造になってしまいました。



⏹️魚のいない川。


・河川工事で川の本来の形状が変わってしまったこと。

・河川の中には様々な物が流れて来ており、魚が住めないのです。

建物用の材木の切れ端、錆びた釘や針金、ブラスティックの破片、ガラスの破片などである。



それは、どこから?誰が?



監視カメラを川やその上の然るべき箇所に取り付けていなければ証拠も無いので何とも断定出来ないのですが、

そうした棄てられたり、流れたりしてきた原因から推測すれば、



・人間の誰かが、
・そこまで運んで来て棄てた、
・河川汚染は不法投棄による。

ここまでは推定出来るでしょう。



まさか、文字通りの山の熊や狸がそうするとは、想像することは出来ないでしょう。

そう考えただけでも、熊や狸には傍迷惑と言えます。

責任転嫁と言えます。




これは60年以内のこの日本の有り様です。

他方、大都会の淀川、隅田川は真っ黒だったと言われていたが、今では水通して川床が見えるほど清んで魚が泳いでいるのが見えるほどになったと言われている。

それも、60年以内の話である。

この両方にはどんな違いが存在するかよくよく考えて見て貰いたい。


⏹️問題点のすり替え。


・綺麗にするやる気があるか?
・清んだ故郷の自然を取り戻したいとの心の願いがあるか?

の違いだけであろう。

それを人は簡単に摩り替える。

・誰がそれを行うのか?
・そうした清掃活動の費用を誰が出すのか?

その為に、皆で審議して会議を開く。
結果は、否決されて、元のモクアミ(黙阿弥?)となる。



⏹️昔話と同じか?



昔話にこんなことがあった。

猫は怖い。
誰が猫の首に鈴をつけるか?

ネズミたちは会議を始めたものの、口を開く者は1人も居なかった。

それと、似ておろう。



ことの問題の核心は人材と予算の方では無かろう。

やる気と心の願いの方に重心があるのです。




⏹️石鹸と水が無い所。

世界のどこがそうなのだろう?

手洗いの習慣が感染症の時期に言われており、その実態を調査した世界におけるデーター分析が出ていたので、興味深く見させて戴いた。

やはり、石鹸と水が無い所と言えば、『アフリカ』とその近辺にかなりたくさんの国々が行えないとのデーターがありました。

アフリカだけで無いことがショックに感じた。



他方、
日本では地形や自然の構造上、川は滔々と水が流れており、
家庭に入れば、
水道設備のおかげでジャージャーと水を出しっぱなしの所もある。

自然のお湯を水道施設を通して蛇口から流れ出ている自治体もある。

温水器など不要とのことです。



⏹️『もったいないねぇー』。


『もったいないねー。』の心のマータイさんがそれを教えてくれた。

その言葉をキャッチフレーズにしているリサイクル業者もいる。


日本では空梅雨や乾燥時期と雨が降らない頃に、時々、節水制限の広報車や速報として節水協力を言われている。

が、一般人には生活用水はそんなに意識はしていない。

節水制限下での『水の使用量比較』を検索するとデーターが出てくる。

量から言えば、
1 工業用水
2 農業用水
3 家庭用水

の順に量は少なくなる。


⏹️海水か自然水か。

日本は水源が山にあり、山の木々が、降雨を貯蓄していてくれる。

大地に染み込んだ降雨は天然水となるべく染み込んだ物が地下の宙水に貯まる。

そして徐々に放出してくれているのだ。

ダムカレーやダムカードが流行ったが、
そのダムも日本には多い。

世界の大半は海だとされているが、塩気のある水は工業用には利用出来ない。
日本に何基もあると言う原子力発電所さえ、海水の近くに建設されており、わたしは無知ゆえ海水を利用して冷やしているんだと思っていた。

それは間違いで塩気のある海水など使えない。
日本の技術を以てしても、海水を濾過する技術はあってもそれを行えないのではなく、行わないと言う。

となれば、山川を辿る自然の水を利用して原子力発電所の高炉は頭を冷やすしかないそうだ。

クールダウンがメルトダウンだとか言い出すのだ。

それより、もっと大切なことがある。



⏹️温帯から亜熱帯へと。


・自然気象変化により亜熱帯化したこの日本。

であれば、生態系も変わり今まで観たことも無い昆虫から植物、微生物、動物まで移動してくる。


⏹️たことも無いものたちの日本への訪問。


海水の中ではもっと前から、ダイバーたちが観たことも無い海老、蟹、魚を見たと言っていた。

最近では日本の海でも、透明な魚が泳いでいると言う。

調べたら、海外では既にいるとのことだった。

つまり、日本の近くに見物にやって来ている海からの訪問者なのだと思える。


⏹️自粛と活発化。

・感染症で自粛した人間とは反対に自然界の動物は自粛しなくて活発化する。
あちこちで被害が発生しており、結果、人を襲った野生動物は射殺するしか無くなる。

餌を与えて山の中に置いて来れば、アメリカの様な共生自然保護にならないだろうか。

山に植林をしたものの、外材に圧されて利用度無くなって困るのは、動物も同じこと。

太陽のおかげで植物は光合成することは、殆んどの人が知っておろう。

しかし、その為、自然界の動物は餌となる自然木を失い、餌取りに出掛けても言わば失業難に山の中で喘いでいるのです。

やがて、地形の低い里へ里へと降りて行けば、そこに人間の家から良い香りがすれば、それが何だろうと確かめて、これは美味しいと食べているおりに、人間が後ろから大声と銃で熊は非難を集中砲火のごとくに浴びることになる。

熊は生活も社会構造も山林工学も、デザイン出来ない。


⏹️デザインするのは誰か?


・人間と自然との共生共存社会をグローバル・デザインすること。

人間社会内の問題を問題視することから、今では理解と同情や愛で観ることの大切さが意識されて来たように思えるのは良いことだと理解している。

それに加えて、『山からの隣人』とも言える動物との共生共存をこれからは考えなければ成らない。

ことあれば、射殺するだけの考えでは終わりも切りも無いからです。

それでは、山の中で間違えて仲間の人間を射殺してしまうことも多々ある。

人は立ち入り禁止と書いてあれば、何で?と感じ、自分は大丈夫とのバイアスから、プロでも山登りから遭難して帰って来ない人の話を思い出して欲しい。



『今から降りる』と電車連絡の後、彼は帰って来なくなったのだ。

その出来事からもう何年にもなる。

成功と危険はいつも隣り合わせなのだ。



60年で人の世界は変わるように、
習慣とするためには、他者への思いも馳せなければいけない。


⏹️石鹸と水がなければ手も洗えない。


水汲みの朝のルーティーンだけに三時間も往復せねば成らない隣人もおり、
国際協力団体だけに委ねて自分は知らん顔も今の世界では出来ないだろう。

手洗いの習慣は、他者の存在との関係で成り立つ。

自分だけの問題では無いのです。

もうひとつ山の中の隣人たちの存在も意識し、考慮しなければならない時代への突入世界だとわたしは感じている。

つまり、山からの自然界の隣人が出てきて悪さをすれば射殺するでは、

どこか昔の話と似ていないだろうか?

『臭いモノには蓋をする』より、その元から解決しなければならないのだし、

『邪魔者は消せ』では、次から次へとこれから先はそれらが出てきたとき、対処には限界が現れる。

そもそも、そうした単純な解決策そのものが間違えていたのであることを、

この新型コロナ感染症と言うモノが私たちに考える時間をたっぷり与えてくれたおかげで気がつけたことに感謝したいと思う。



手洗い習慣は自分だけのモノではないのであれば、これから発生する他者や他のモノとの関わりも更に考えて新たに構築していかねばならない。


⏹️真のユニバーサル・デザインとは

これからのユニバーサルデザインとは、人間社会だけに当てはまることでは無く、

この地球に生きて・存在して行く全てのモノの為に

そうした事柄をもトータルで考慮しなければ本来いけなかったモノゴトだとわたしは思います。

この宇宙や地球の存在は設計者やデザイナーによる?

それをよく観察して考えて観ることです。



雨降れば、汚れた葉っぱ、洗われる、自然の中で、人間不幸。
#自然界のシャワー

(洗うためには水と石鹸がいるのです。)

Misohitomoji/Yamanoshitahyakuzen,15 October 2020.

©️Story/Thankyou shanxi(394),15 October 2020.


#手塚プロダクションのアニメ(マンガ)展示会#開催中#豊橋市美術博物館にて

2020-10-14 01:28:56 | #マンガ(レビュー感想)
#手塚プロダクションのアニメ(マンガ)展示会#開催中#豊橋市美術博物館にて
#マンガ(レビュー感想)


わたしの若い頃、子供の頃、ずっとマンガにより育てられたと思えることがある。

東京の小さな一角にあるアパートから日本マンガは始まった。

今でもそのアパートは再現されて、当時の様子を語り伝える展示建物と成っているらしい。

コロナと言う人類未曾有の世界となってしまった。

そこへ、今までのようにはおいそれと、ハイハイとは行けぬ感染症の頃となった。

今でも、後、100日以内に歳がくれて来年になると言うのにも拘わらず、

この感染症は消えることは無い。

人は『いつかきっと前みたいな時がやって来るさ!』と

淡い期待、
誰にもハッキリと保証出来ない期待、
専門家と言える人たちでさえ、一致した見解が出せずストレスを抱えておられることだろう。

医師でさえ。

医師と言えば、手塚治虫先生は医学博士号を取得されていると聞いた。

だから手塚マンガは、医学的であり、美術的にも黄金分割率に則り、生命を追及しているマンガだと言える。
どのマンガを観ても手塚マンガにはそれが根底に流れている。

扱われた分野の広さ。

手塚先生は医師でもあり、それよりは世界的な思想家だとその作品内容と分野の広さから理解できる。

わたしも若い子供から成長期に亘り、手塚マンガの虜になったことは言うまでも無い。

火の鳥が出たと言えば、毎回無理をしてでも買ったもんだ。

後に再び出された方は全部集めて持っていた。

ストーリー性の強さ。

時代を越えた内容。

根底に流れる人間性。

涙と正義と内面の強さを感じなくしては読めないマンガなのだ。

当時、わたしも東京にいた。

国立国会図書館なるものにも行ってみた。

そこには、マンガも市民権が評価されていて、図書館にあるのです。

一昔前の時代には何と言われていたか御存じでしょうか?

『マンガなんか読んでばかりいて、頭がバカになるぞ!』でした。

ザ・ビートルズが来れば、それを否定し、

ザ・ドリフターズがテレビに出れば、それを見るなと先生までもが述べていた時代です。

そうしたいけないと言われていた人々の実際の能力も知らない人々だから、そんな間違えたことを平気で言っていた時代だったのです。

専門性も行えている事実さえも知らずに頭ごなしだったのです。

今時それをもし、平気で述べる方がいたら、どれ程、世界中からブーイングが入ることでしょう。

手塚先生は、あのディズニーと面会して握手をしている写真をわたしは見つけた本から知ってしまった。

その時、前からの謎が解けたのたです。


なぜ、ライオンキングとジャングル大帝は似すぎているのか?
の謎でした。

2人の最終目標だったのです。

お互いにそれを描こうと相談していたのです。

名前は異なっていても、そのストーリーは同じ考えなのです。

マンガの世界を通した2人の夢と理想の世界は同じだったのです。

動物界の平和を取り戻すにはどうやって?

それは、人間界の平和にもヒントが与えられています。

しかし、動物たちの間には沈黙の了解があったとしても、

残念ながら、人間界にはそのルールは無いのです。

破る者が必ず人間界には現れるからです。

ですから、ある意味、動物以下の人間界だと言えるのです。

人間の世界では、言語があってもことばが通じないのです。

ことばより、愛です。

愛が本当にあれば、諍いも争いも消えて行くのです。

処が人間界には『愛』を主張しても、それはまるで馬の人参のように目の前にぶら下げるだけで、
耳には馴染み易くても、実際に破れて反故になるのが落ちです。

愛は不法により冷えていくのが人間の失敗だとも言えます。

この世界には愛と非愛のどちらに靡くでしょうか?

それは愚かな闘いです。

動物よりも獰猛なのは人間だと述べている動物学者がおり、小さい頃より動物、猛獣と共に生活をしてきてそれを感じているのです。

もう一度強調します。

聴いていない人もいるかも知れないからです。

動物よりも獰猛なのは人間です。

どこに原因があるのでしょう?

動物と人間を研究されて見れば分かる筈です。

人間は言葉も愛も通じない時には、心も信じる気持ちも無くて正しく無いことを横にでなくて、縦に書くのです。

横に書けばそれは『不正』です。

縦に書けばそれは、『歪』と言う文字になります。

ロボット工学を夢見た手塚先生。

500冊も著書を書いたと言われるアイザック・アシモフ先生が遥か以前に述べたロボットが出来ることとしてはいけないこととがあり、それは手塚先生にも見られます。

現代にもそれは受け継がれている面と

その逆に『死の旅商人』と言う黒幕の存在はマンガの世界の話なのではありません。

病気の菌やウイルス、武器弾薬、最終兵器と言われる人工知能を悪に使う危険な思想は、
過去にも言われており、
あの可愛いイルカを使った爆弾をイルカに持たせたのです。

子供たちが知ったら大人への不信、軽蔑、価値観の喪失を招くほどの考えでした。

それは、未来の子供たちへの相続財産としての未来ある地球のことなどかんがえていないことを意味しています。

それでいて、自分だけはシェルターにでも入ればと糠喜びを抱いています。

御存じですか?

何メートルもある分厚いコンクリート壁さえもキリのように揉んで中に入れるロケット弾があり、中に入ればそこに毒ガスを放つことが出来る時代に、シェルターなど何の役が立つかと儚い『夢物語』を語っているのでしょうか。

中では、空気と水と食べ物を鉱物半減期が過ぎ去るまでそこに立て籠っていられるとおもうのですか?

コロナ感染症の今の時期でも、自粛が長いと感じてストレスを抱えていると言うのに、その中で何も起きることなく平気でいられるのですか?

100年くらい冬眠しているしかないでしょう。

放射性の有るものは、何年くらいのスパンでは解決しません。


それは、実現不可能な現代の笑い話(または現代の都市伝説)としか思えません。

将来の可愛い子供たちの未来を潰すのは、昔子供だった大人の人たちしか他にいないのです。

歪んだ心を持つかつての子供は、頭も心も行動も『悪』に凝り固まっています。

人間の『悪感情』は自らの脳から化学物質を分泌して、その人の体を蝕みやがて頭の神経も感情も狂わせていく力が有ります。

ストレス1つ考えて見れば分かるはずです。

人の脳とは最大の化学物質を造り出している化学工場であり、善いことの為に作用すれば良いものとなり、真逆に悪に傾けば、自らを滅ぼします。

それを選ぶのは1人1人の選択であり、本人がそれを選んで行くのです。


将来の困難、苦難、災難を乗り越えるほどの力を未来に子供たちは持っていける可能性が多大にあるのです。

そうした知恵をアニメやマンガは内在しており、時の壁を越えられるヒントを子供たちに与えることが出来るのです。

そして、子供たちは大きく成ったときに新芽のように一気に芽吹くのです。

・ → 🌱✨ → 🌿 → 🌳🌲


マンガとアニメには、時間と次元を飛び越える発想が含まれた領域からのインスパイアなのです。


それは、『死の旅商人』では絶対思い付けない隠された生命保持のための宝物を含んでいます。



イルカ爆弾も、AI兵器ももう辞めなさい。

そんなことをしていると人間の体の中にはあるモノが生えてきますよ。

そうして、それにより死の旅商人はこの世界から自ら消えて行くのです。

それを『自滅』と人は呼びます。

夢と希望を与えるマンガとアニメ。
そして、アンチ・アニメはそれを否定する考え。

わたしはそれをマンガとかアニメとか、呼びません。

過去のある人物が頭の中に描いた将来の永続的な自らの王国のように、やがては幾年かして自らの死を招いただけです。

それは当人が、未来を描き間違えたことに気づけなかったのです。

©️14 October 2020.
by shanxi.
#手塚プロダクションのアニメ(マンガ)展示会#開催中#豊橋市美術博物館にて。
#マンガ(レビュー感想)

※画像はかの手塚治虫先生の後継、現在の©️手塚プロダクションの展示会の入り口ポスターから頂戴しました。
感謝します。













#エッセー#お詫びとお礼#goo様ごめんなさい#そしてありがとう

2020-10-13 23:58:10 | エッセー
#エッセー#お詫びとお礼#goo様ごめんなさい#そしてありがとう#No.176.


わたしは今日、いかに自分が愚かな人間だったのだろうと考えたことがありました。

今日は反省文をマイ・blogとします。

実は今日、急に思い立ち
『花と昆虫』の関係を調べていたのです。

それを研究された諸氏先生方の著書が出てきたのです。

実は、その方々は、わたしが探していた先生とはちょっと違う、と感じました。

わたしの探していた先生は、
名前を忘れてしまいましたが、
元々は、メッキ職人でした。

ある日、花と昆虫の関係に興味を抱いて、それを観察されている過程で、

やがて、特定の昆虫が特定の花に留まることに関心を抱いたそうです。

勿論、花はカラフルです。

処が、昆虫はカラーの世界では無いようです。

花には昆虫を誘き寄せる仕掛け、例えば匂い、花柄の印、等を主体としているそうですが、何と昆虫は紫外線でその花を特定し認識するようです。

ですから、私たちが観ているような綺麗な花のカラーの世界では無いようです。

そのメッキ職人の先生の着眼も素晴らしいモノがあります。

ハエは、ベターとした脚で、脚の力は余り無いそうです。

花の中まで潜り込んで花蜜を吸う為には、脚力が要り、脚で踏ん張り花の入り口を脚で拡げないと中の花蜜は吸えません。

そうすると、そうした中の蜜は、蜂の役目です。

そうして、花は特定して相互依存または共存共栄しているのです。

これ以外にも、そのメッキ職人の先生は、数多くのことを発見したのです。

その中の1つをもう1つだけ紹介しておきましょう。

そのメッキ職人の先生の花と昆虫の関係の研究は早かったみたいです。

まだ研究者が少なかったのか、欧州から依頼が入りました。

英語で花と昆虫の関係の論文を書いて出して欲しい。

それが依頼内容でした。

『わたしは英語などやったことも無いし、従って英語の論文なんて書けない!』と1度は断ったとのことです。

しかし、それからのこと。

学者肌と言うか、研究熱心な実質的な学者なのです。

これは、私たちが見習いたい点だとわたしは感じます。

今でも日本にはいます。

『わたしは外国語は出来ない』!

と言い切る方が多いことです。

英語教育も受けたことも無いそのメッキ職人は何を始めましたか?

『英語』の勉強を1から始めたのです。


そして、やがて、とうとう、自力で英語の依頼された論文『花と昆虫の関係』を書き上げて欧州に送ったそうです。

そこには、コンプレックスでめげている人ではなく、それを自ら乗り越えた方が存在していることです。

こうして、欧州でまだ花と昆虫の関係について研究者が居なかったから良かったモノのとその先生は言われていました。

それは、何年間か前に、ラジオ番組に登場しておられる時にインタビューで私は聴いたのです。

ですから、肝心なその先生のお名前も聞き漏らしてしまったのです。

もしか、誰かその方の名前を知っておられましたら、このblogまで教えて頂ければ嬉しく思います。

そのご親切に予め感謝しておきたいと思います。

宜しくお願い致します。



🍵🍮『チャップリン』茶ぶりん。




さて、本論に入ります。

冒頭で書いたわたしは愚かな人間だと今日気づけました。

実は、大変失礼なことを多々goo様に申してしまったことです。

既に、4回ほどわたしの大切な過去のblog作品が突然消えてしまった(と思えた時が)事があったのです。

わたしの命がけの大切なblogでしたので、怒りを抱きつつもそれを顕にすることを押さえに押さえて、幾度か嫌みみたいなことを言ってしまったことがあるのです。

それを今日、そうした失礼なことを、お詫びと訂正と感謝とお礼に変えさせて頂きたいと思い、こうしてblogに書いて投稿したいと思いました。

実は、わたしも植物と花と昆虫のことが大好きです。

主にそうした分野の作品の投稿が多いと思います。

今日、冒頭にある通り、メッキ職人のことを思い出そうと調べに調べて見たものの、とうとうお名前は分かりませんでした。

後日、更に調べて見つけたいと考えています。




それで、Googleで検索事項を入れて『花と昆虫』で先ず探してみました。

そしたらその関係の学者先生が出て参りました。

それから、ヒョンと予想だにせず、



『画像』と言う場所の所を押して見たのです。



そしたら、なんだか見覚えのある写真が七枚も出ていました。

そして、『シャンクシの写真館』と言う文面が出ており、この世界にはわたしと同じペンネームの方がおられるモノだとまだ気がつきませんでした。

それで、更に写真の撮影者の名前を見たら、

それはわたしの名前だとやっと気づけました。

紛れも無いわたしの投稿した花と昆虫を幾つか写した投稿文と写真でした。


そのような分けで、それを天下のgoo様に報告しないわけにはいかないと思い立ちました。

今まで大変申し分けないことを4回も作品が無くなったと述べましたこと失礼極まりないことだと感じています。

名前とパスワードが以前の更新の度に入れなくなり、投稿ネームも変えざるを得なかったので、それで過去のそうした鍵を忘れたわたしには中に入れなかったのです。

ごめんなさい。

お許しくださいませ。



goo様のおかげでGoogleにわたしの花と昆虫の写真が掲載されていたことも今まで1つも知りませんでした。


それを今日、先ほど知り得たのです。

カメラを愛して何十年。

文芸を愛して何十年。

デジタル時代に入り、ここ何年。

現在、blogだけでも6つくらい維持管理しています。

作品が各々違うからです。

今日ここに申し上げます。

goo様は立派なblog運営会社です!

やはり、大手だけありGoogleと連携まで行えるのです。

他社にはなかなかそんな事、無いかと思います。

と言うことで、お詫びと訂正と感謝と喜びを今日ここに記すことに致しました。

ありがとうございます。

☆⌒(*^∇゜)v


こうした花と昆虫の写真が掲載されていたことを知りました。
gooとGoogleのコラボ。
感謝します。


#写真には著作権が設定されていることがありどのような形であっても、わたしに無断でそうした写真を無断で複製、スクリーンショット、コピペ、転用することをしないでください。
©️13 October 2020.by shanxi(394).
#今日は特別の日。
#エッセー#お詫びとお礼#goo様ごめんなさい#そしてありがとう