『往く歳、来る歳』。
そうして全てのモノは『往来』して来たのです。
時間とは
『今』と言う永遠の
『現在時間』の土台の上に、
『過去時間』
と、
『未来時間』
とを背負っていると
わたしは前々から思っていた。
その過ぎ去った『過去時間』は近接時間しか分からなくなり、それより過去のモノは消えていく。
『全てのモノは崩壊する』と言う法則に基づいて従っているからだ。
また、その反対の『未来時間』はまだ記されていない真っ白な移動する紙のようだと思う。
本で例えれば、その本の頁を一枚捲らば、過去の頁は今見ている場所からは消えてしまい、頁を戻さないと見えない、思い出せない。
また、未来も、その頁を一枚捲らなければ、先はわからないのです。
人の思いは頭の中で永遠(えいえん、とわ)を求められる能力がある。
こうなると人間としては過去から今日まで、
生きた証を遺そうと考える筈だ。
時には、洞穴の中の岩肌に、彫ってそれを残す。
言葉より絵画の方が、誰でも何処の民族の人でも分かるはずだから書いたのです。
自分の言葉の文字言語を書くと、それを知らないとロゼッタストーンのような解析が始まる。
かつてのエジプト言語のその文字も長い長い年代を経てやっと解読されたのにも拘わらず、現代の人達は今さら敢えて学ぼうとしないエジプト人がいて、他の言語を学んで来て代々それを母語としてきた。
数字が表し方に凡そ二種類あると言うのがどこの国でも同じこと。
西暦16/17世紀になりやっと文字としての数字は統一されて、アラビア数字となったことを知った。
そのアラビア数字はどこから来たのか?
私の大好きな世界の蝶々の図鑑を見たら、人にインスピレーションを与えた切っ掛けであろうと推測する。
その蝶々の背中の羽根には左右対称でアラビア数字が0から12、飛んで80、88、90、99とハッキリと現代でもそれを読み取れる。
特に、ウラモジタテハと言う種類とアゲハチョウの種類にはそれが多い。
ただし、狭い日本だけと言った観点ではそれは観ていてもインスピレーションは湧かないし、啓発もされないであろう。
だから、わたしは『世界の蝶々』と述べたのである。
これは多分、ただの偶然だけの話ではないであろう。
花の中にも、左右対称で豹柄の図柄が現れている。
古代の鯨は、見る角度を変えたらイルカの形に図柄が見えるのであり、
ヨナグニサンと言う蛾の仲間の両端の羽根には、蛇の図柄が描かれている。
それを単に、棒の形とか葉の形の昆虫とは類いが違うことであろうことも付け足して置く。
それは単なる擬態で片付けられるのに、アラビア数字や他の動物と同じ服を身に付けなければ成らぬのか?
それは擬態と言う言葉だけでは説明できないであろう。
さて、ミステリーな文字と図柄の話に飛んで自説の例証にしたが、話を本論に戻すことにする。
⏹️往く歳、来る歳。
人は年を数えるに当たり、動物の干支にその歳を当てた。
子丑寅兎辰巳馬未申酉乾亥。
若い方からすれば、漢字の横並びとしか見えないかも知れない。
これを現代漢字に直してみると、
鼠牛虎兎龍蛇馬羊猿鳥犬亥となる。
漢字の嫌いな人にはまだこれさえも頭が痛かろう。
最近の絵文字にも直して見ようと思う。
🐁🐂🐯🐰🐲🐍🐴🐑🐒🐦️🐶🐗
となり、現代は実に便利である。
最後の🐗を韓国では🐖となる。
ふくよかで幸せと福の象徴とされており、
金の豚の置物も観かけたことがきっとあるでしょう。
動物を用いた干支の他に野球などのスポーツ団体でもこうした動物を象徴するマークはあちこちに観られる。
今日はここからが大切なのです。
『偶然性』の『複合危険』の話をしたい。
思い出せば、
今年2020年(令和二年)は、ネズミ歳。
今年は、新型コロナで始まり一年経ってもそれは終わらず、諸外国では今でも更なる変貌コロナウイルスが叫ばれている。
コロナはウイルスです。
菌やウイルスはバランスが良ければ生き物を守る為のシールド兎成り得る代物です。
処が、一度それに変異が観られると、DNAでは無いそのウイルスはRNAに働き掛けて次から次へと変貌していく。
今回のウイルスのタイプも国により形、タイプが異なっていたと報道されていた。
やがて、人間細胞から他の人間では無い動物の体内の細胞に入り込んで増殖を遂げたのである。
わたしは国の専門家のいる国家機関に問い合わせてしたことがありました。
わたしの大好きな動物たちがいろいろとどんどんと亡くなっていくことを知ったからいてもたってもおられない衝動に駆られてしまったからです。
その専門家は、人間から動物には掛からないと思います、と語られました。
そう言われても、現実のこと、実際ペットなどの動物が感染症と同じウイルスを持っておる事実をその言葉は無視したのでは無くて、
その言葉は速い速度で人間と動物の間では拡がらないでしょうと言う意味において述べられた様子でした。
確かに、動物が感染した事例は手の指を折って数えるくらいでしょう。
処が、動物の体温は私たちより少し高い体温のためウイルス増殖には持ってこいとのこと。
⏹️家畜と野生動物における感染症。
・豚熱でおびただしい数の豚殺処分。
・鶏の感染による殺処分。
・ミンクの感染、殺処分。
・少し前には、牛の病気の為、殺処分。
今では3歳以下と言う事で牛は落ち着いたように思える。
・コロナ自粛で魚を捕りに行きフグ(河豚)を見つけて、資格も無いのにこんなの簡単だとの自負から自分で調理した人が亡くなったとの知らせもありました。
そうした事例がこのコロナ禍では多くなっているとの報告もありました。
・秋に成れば中途半端は知識で山中のキノコを採って持ち帰り自分で食べたり、隣の知り合い高齢者にもお裾分けをしたために、
そのお年寄りも知らない為に善意の隣人の親切から亡くなったのです。
このキノコ中毒や河豚中毒の事例は今回のコロナとは無関係であろうと思えるかと知れないけれど、
『無知』と言う範疇においては同じ事故です。
今回の感染症も、
人から人へと移ることが
基本的に感染症の意味です。
ですから、それから『正常バイアス』と言う言葉をみなさんも沢山聴かれたことでしょう。
それは、今から100年も前のこと、あのスペイン風邪の時にも見られた人間の思考形態でした。
わたしはカミユの『ペスト』の本を求めて読みました。
そこでも、この正常バイアスは問いかけられていました。
この正常バイアスはあらゆる生活面で現れていることを知りました。
・『自分だけは大丈夫!』
・『自分には掛からない!』
何の根拠も保障も無いのに、そう思い込むことが自己バイアスなのです。
人は、
明日はきっと良くなるとか、
明日は天気になる
とか考えることで、
明日や将来に安心と希望を見い出したい生き物です。
その希望がその人を支えているのです。
処が、その選択適切余地の無い生き方が本当はどうなの?
との現実をみる嵌めにこの感染症はその時期に入ったのです。
わたしは『無差別感染症』と呼んでいます。
世界で一年で 156万人以上が既に亡くなり、この日本でも10万人までは何ヵ月も掛かりましたが、それを越えたら一ヶ月だけで合計 20万人以上がこの感染症に罹患したのです。
つまり、1ヶ月だけで10万人も増えたのです。
繰り返しますが、たったの一ヶ月で10人とか100人とか、1000人とかでは無いのです。
これには経済活動への執念、経済的な貧乏へのアレルギーがあるのです。
だれも助けてくれない、誰も頼りにならない、
だれもお友達もおらず、コミュニケーションも無い人もおり、1人静かに亡くなる方も実際おられます。
可哀想な一年で、救いのシステムを民間がいち早く考えていると
暫くして政府が纏めの話を出してくれました。
50/80と言う悲しい言葉も聴きました。
子供食堂は貧困家庭の増加です。
アメリカでもこれから貧困や飢餓家庭がが現れると予測している方もおられます。
つまり、格差社会が進行していくのです。
欧州ではタイプの変わった変異ウイルスが流行り初めても、まだ心配するには及びません的なことを述べており、医療や感染症専門家の方が顔色悪い表現をしています。
細かく言えば、専門家でも意見が異なっております。
誰かが何かを言えば、あとで他の人がそれを否定する。
だったら何でもっと速くその意見を言わなかったの?
とも思いますが、その時には自分がまだ良く分からなかったのです。
様子を観て後から遅れて出すじゃんけんと同じです。
テンポがことなるのです。
勝てるに決まっています。
物事は後から述べた方が総合的に述べられて得なこともあります。
最初の人の意見は叩き台です。
勇気のある人です。
そうやって振り返ると
この一年、流言蜚語、間違い情報、リークされた陰謀論、など今まで少ししかい見聞きしなかったことがらの洪水のような情報が出されました。
その為にメンタル面で影響が現れて来ました。
過去の戦争では何年間もそれが続いて人々は疲弊し、精神にも異常を来しました。
現実逃避の為の悪いモノに手を出し、足を染めました。
この日本でも外国でも同じですが、そう言う人をダメにする人々とそれを上手く騙そうとする輩が増えることでしょう。
それは決して、希望する未来社会の姿ではありません。
それはもっと大変なものを先の未来社会に産み出すだけになるのです。
感染症は全てのモノ、全ての価値観を拭おうとする無差別な流行病に違いは無いでしょう。
それでも、人は、往く歳に安心して、来る歳に希望を見いだそうとするのです。
となると、まだまだそうした傾向だけでは抜本的とは言えないでしょう。
わたしは未来に関する情報をも見聞きしたい人です。
決して、希望の力は強くは無いでしょう。
現実の力の方が強制力で人類を動かしています。
なぜそうした構造かと問えば、
そこには人々の大半の思考パターンがあるからだと思います。
人類の大半を真似する生き方なのか、
それとも他の人とか少し違う生き方をしていくのか、
これからも一人一人にそれが問い掛けられます。
家庭内でもそうしたことを家族で本当は話し合っておいた方が良いとは思います。
親子は難しい親子の隔絶問題の壁も存在していますね。
実際の『往く歳、来る歳』とは
そう言うもんだと感じます。
少なくともこれからは今までの思考パターンで考える物事では無く、違った発想の転換をと、従来から唱えられてはいたことをもう一度再考しなけらば成らない『古くて新しい』問題の過渡期だと思います。
皆さんの往く、来る歳の上に幸いと健康を祈ります。
©️Photo/story/Shanxi394Japan.
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