福井県立美術館 岩佐又兵衛展
2016年の夏に福井県立美術館で「岩佐又兵衛展」が開催された。
岩佐又兵衛は、安土桃山時代から江戸初期にかけ、日本美術が空前の繁栄期を迎えた時代の代表的な絵師の一人だが、その生涯はかなり異色である。
織田信長が長篠の戦いで東の武田氏を封じ込めた後、西に転じて羽柴秀吉が毛利攻めを始めた1578(天正6)年、又兵衛は信長の重臣荒木村重の子として生まれる。しかし誕生の翌年、父村重が突然信長に反旗を翻したことで数奇な運命を歩み始める。
村重は籠城中になぜか嫡男と小人数の家来だけを連れて城を抜け出した。大将が籠城中の城から抜け出すとは前代未聞であり、毛利に援軍を求めに行ったとされるが真相は定かではない。城に残された村重の家族や一族郎党は、信長によって女子供も処刑される。しかし又兵衛は、乳母の手によるとされるが密かに城から連れ出されて石山本願寺に匿われ、成長した。
武士ではなく絵師を志し、母の旧姓と言われる岩佐を名乗り、「勝以(かつもち)」の名で京都で活動を始めた。大坂の陣の前には絵師として一定の評価を得ていたと考えられ、2016年に国宝指定された東京国立博物館蔵「洛中洛外図屏風(舟木本)」は、その頃の作品とみられている。
洛中洛外図屏風で国宝指定されているのは、他には米沢市上杉博物館蔵の上杉本だけで、上杉本の方が古い。信長が足利義昭を奉じて京都に入る直前の1560年代前半の様子を狩野永徳が描いたものだ。
舟木本の方が50年ほど後になるため、二条城など建物も現在に残るものが多く、長い戦乱からの解放感を爆発させるように街や庶民の様子をいきいきと描いている。登場人物は総勢2,500人、歌舞伎や祇園囃の賑わい、遊郭の男女の狂態など、人物の動きや表情の描写のリアルさから、当時の京の都の繁栄が映画を見ているように伝わってくる。
「浮世又兵衛」「浮世絵の祖」という呼び方をされるのは、貴賤にかかわらず人間の瞬間の感情をも如実に伝えるエネルギッシュな描写が、非常に個性的だからであろう。
舟木本の制作の後、又兵衛の人生に転機が訪れる。福井藩の御用絵師として招かれ、福井で多くの秀作を残すことになった。
福井の豪商に伝わっていた「金屋屏風」もその一つ。現在は分割されて福井県立美術館などに分蔵されているが、龍や虎、中国の故事、伊勢物語のような日本の古典が、一面毎に個別に描かれており、屏風としてのモチーフの連続性はない。しかし一汁三菜の御膳のように、並べてみるとバランスは悪くない。しかも人物の顔は又兵衛特有の豊かな表情を伝えてくれる。元の屏風に戻せるものなら、ぜひ見てみたい。
山中常盤物語絵巻(MOA美術館蔵)のような絵巻物も、又兵衛ワールドの代表作である。物語中の殺人のドラスティックな様子など、伝統的なやまと絵の絵巻物とは一線を画している。
又兵衛とほぼ同世代の芸術家に、俵屋宗達と本阿弥光悦がいる。大坂の陣後に京都で絶頂期を迎えた寛永文化のスーパースターで、都の優雅さと繊細さを表現して、又兵衛とは違った魅力を今に伝えている。
長い戦乱の世から太平の世へと急激に転換した時代には、時代のニーズをかぎ取ってそれぞれの個性でかぐわしく表現した芸術家たちがたくさんいたのだ。
日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。
「ここにしかない」名作に会いに行こう。
江戸時代の「奇想の画家」に詳しい辻惟雄氏が又兵衛の謎に切り込む。
ビジュアルが豊富で読み応えがある。
(文春新書)
※日本画は展示期間が限られています。事前にご確認ください。
福井県立美術館 http://info.pref.fukui.jp/bunka/bijutukan/bunka1.html
東京国立博物館 http://www.tnm.jp/
MOA美術館 http://www.moaart.or.jp/
※岩佐又兵衛展は福井移住400年を記念して福井県立美術館で2016年7-8月に開催されました。