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高台寺 ~立地を生かした新たな取り組みが面白い

2018年01月09日 | お寺・神社・特別公開


祇園の近くで静かな庭と向き合えます

高台寺(こうだいじ)は、豊臣秀吉の正室・ねねのゆかりの寺としてよく知られています。京都の祇園のそばにある境内は広く、江戸時代初期の上流階級の別荘の佇まいを優雅に今に伝えています。

一方庭のプロジェクション・マッピングや書院コンサートなど、寺としてできるエンタテイメントの発掘にも熱心な寺です。清水寺からも近く、行きやすい寺です。お寺の新たな愉しみ方を体験してみてください。

ねねは落飾の後、朝廷から賜った「高台院」と称するようになりました。北政所(きたのまんどころ)も、現代では事実上ねねを指す名前として知られていますが、厳密には最上級の公家の正室を示す役職名です。

寺名は、このねねの院号が由来です。創建に功のあった人物の院号を寺名にすることはよくあります。1605(慶長10)年、家康の援助で寺町にあった実母の菩提寺を移転させる形で現在地に高台寺を建立しました。

豊臣恩顧の外様大名に大きな影響力を持つねねを、徳川幕府は政治的配慮もあって格別な処遇をしていました。大名並みの16,000石の隠居料を与え、秀忠は上洛の度にねねを訪ねていました。ちなみに当時の幕府から天皇への御料地は10,000石でしたので、いかに破格の処遇であったかがわかります。

江戸時代の数度の火災により、境内には創建当初の建物はあまり残されていません。しかし高台寺で最も有名な「蒔絵(まきえ)」で飾られ、秀吉・ねねを祀る「霊屋(おたまや)」は創建当初の建築です。室内装飾や、隣接する「掌(しょう)美術館」で見ることのできる調度品の豪華さは、こうした破格の処遇に支えられたものと考えて間違いありません。

安土桃山時代の京都は、長い戦乱から解放された人々がこぞって意匠の質の高さを競った時代でした。高台寺蒔絵も開放感を楽しんだ時代の作品の代表例で、王朝文化を感じさせる壮麗さが見事です。当時の最先端技術であったと考えられ、「日光東照宮」や徳川美術館の国宝・嫁入道具「初音調度」の意匠にもつながっていったのでしょう。

【公式サイトの画像】 高台寺蒔絵


開山堂と庭園

やや高台にある霊屋の下、開山堂の周りに広がる庭園は、敷地が大きいこともあって桃山時代の雄大さを感じさせます。国の史跡・名勝のダブル指定です。手入れも行き届いており、緑と石や水との調和がとても美しい庭です。歩いて回れるゆったりとしたスペースがある庭は、祇園や清水寺付近ではここしかありません。

方丈の縁側からは静かに庭と向き合えます。ここの白砂は、時折模様が変更されます。宗教的な意味があるのかもしれませんが、どこか遊び心を感じさせて私は好きです。またこの白砂の庭は、夜間拝観時にプロジェクション・マッピングの会場となります。建物ではなく白砂に投影される光のショーを見ていると、とても幻想的で不思議な気分になります。

高台寺はこのほか、座禅や茶道体験と言ったベーシックなお寺体験のほか、冬の夜に昔ながらにロウソクの火だけで行う茶会、書院内でのコンサートといったように、寺という場を活かしたコンテンツの発掘に積極的です。

商売上手と揶揄する方がいらっしゃる方がいるかもしれませんが、人が集まる場を提供するという古(いにしえ)からの寺の役割・使命を現代風に行おうとしているのだと、私は考えています。京都の定番スポットではありますが、新たな切り口が面白い寺です。

【公式サイト】 催し案内


円い「吉野窓」がかっこいい茶室「遺芳庵」、記念撮影におすすめ


嵐山ではなく、ここ高台寺でも竹林のイオンを味わえます。

こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。



中世女性に詳しい著者による“おね”伝記の決定版


高台寺
http://www.kodaiji.com/index.html
原則休館日:なし
夜間拝観:毎年(春)3月上旬~5月上旬(夏)8月初旬~中旬(秋)10月中旬~12月上旬、大晦日
※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。



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