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大黒寺・京都伏見 ~幕末の薩摩藩をずっと見ていた寺

2018年02月01日 | お寺・神社・特別公開


昔からずっとここは「大黒天」

京都・伏見にある大黒寺(だいこくじ)は、大黒天の出世開運のご利益により地元で親しまれています。この寺も薩摩藩とのゆかりがあり、京の冬の旅で公開されています。

藩の守り本尊であった大黒天が本尊で、藩邸にも近かったため、江戸初期に薩摩藩の祈禱所となります。西郷・大久保が会談した部屋や寺田屋事件で落命した薩摩藩士の墓もあります。幕末の特に薩摩ファンには見逃せない寺です。

大黒寺は平安初期の創建で、薩摩藩の祈禱所となる際に「長福寺」から「大黒寺」に改名しています。秘仏の本尊・大黒天のご利益が古くから知られていたようで、薩摩藩の祈禱所とした島津義弘を魅了しました。島津義弘は、関ヶ原の戦いにおける徳川本陣に向けた中央突破で著名な猛将です。

幕末の二度の「寺田屋事件」のうち、先に起きた1862(文久2)年の薩摩藩の同志粛清事件の犠牲者の墓が大黒寺にあります。

薩摩藩の尊皇派志士・有馬新七らは、時の関白と京都所司代を襲撃することで藩に尊王攘夷の放棄を促そうとする過激な思想を抱いていました。この思想に驚愕した時の藩の最高実力者・島津久光は、剣のたつ藩士を伏見の宿屋・寺田屋に派遣します。同志討ちという悲劇の中で、事件後の切腹も含めて9名の勤王の志士が落命しました。

薩摩藩にとってはまさに断腸の思いの事件でしたが、朝廷からの薩摩藩への信頼は大いに高まりました。薩摩が明治維新に向けて邁進する大きなステップとなる事件だったのです。

また大黒寺は、西郷隆盛や大久保利通ら薩摩藩のキーパーソンの会談の場にもしばしばなっていました。京の冬の旅では、その会談が行われた部屋も公開されています。150年の時間の重みを感じさせる静かな部屋です。

大黒寺と薩摩藩邸は直線距離で100mほどしか離れていません。この薩摩藩邸には、1866(慶応2)年に起きた二度目の「寺田屋事件」で、九死に一生を得た坂本龍馬が薩摩藩士に救出され運び込まれています。後に龍馬の妻となるお龍が、風呂から裸で龍馬らに危険を知らせたことはよく知られています。

薩摩藩にとっては二度目の事件で龍馬を救出できたことも、後の藩の命運を大きく左右することになります。


境内はのどか、静かにお参りできます

一度目の寺田屋事件では、事件前に若き日の大久保利通が有馬らの説得に派遣されていますが、失敗しています。二度目の寺田屋事件では、龍馬救出に西郷隆盛が中心的な役割を果たしています。そんな薩摩藩にとってはとても重要な歴史の舞台となった伏見で、大黒寺は静かにたたずんでいます。京都六大黒天や伏見五福巡りの参拝者で訪れる人は絶えません。とても人々に愛されている寺でもあります。

こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。



七福神のことは案外知らない


第52回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 「大黒寺」
http://kyokanko.or.jp/huyu2017/huyutabi17_01.html#15


主催:京都市観光協会
会期:2018年1月6日(土)~3月18日(日)
原則休館日:なし

大黒寺(京都市観光公式サイト)
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=419


※この寺は観光目的では常時公開されていません。次の公開時期は未定です。

 

 

 


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