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まもなく東大寺で最も神聖な場所に入れる日 ~東大寺「良弁像」公開

2017年11月20日 | お寺・神社・特別公開

開山堂にはお水取りで使った松明が供えられている

 

 

良弁(ろうべん)という奈良時代の僧をご存知の方は多くないであろう。しかし東大寺にとっては偉大なる先人の一人である。聖武天皇の命で東大寺の前身寺院である金鐘寺(こんしゅじ)を開き、その後東大寺の初代別当(べっとう、最高責任者)になった高僧で、開山堂に像が祀られている。

 

大仏造立にあたって聖武天皇は、当時民衆に絶大な人気があった行基に資金を集める「勧進」を依頼している。一方良弁は大仏造立を行う組織のトップとして東大寺をまとめあげた。東大寺に伝わる「四聖御影」には、東大寺の創建や大仏造立に多大な貢献をした人物として。聖武天皇・菩提僊那(ぼだいせんな、大仏開眼供養を務めたインドの僧)とともに両者が描かれている。

 

【公式サイトの画像】 「四聖御影」

http://culturecenter.todaiji.or.jp/news/20150331_78.html

 

 

良弁は明日香にある岡寺を開いた義淵(ぎえん)に師事していた。義淵は当時かなり著名な高僧で、弟子には良弁の他、行基・玄昉・道鏡など奈良時代の有力な僧が幾人もいる。良弁が子供の頃に鷲にさらわれて二月堂の前にある良弁杉に引っかかっていたところを、義淵に助けられ育てられたという伝説も伝えられている。この伝説は、現代でも人形浄瑠璃や歌舞伎で上演される「良弁杉由来」の元になったことで比較的知られている。良弁杉は実在し、現在は三代目になるが二月堂の前で立派な姿を見せている。

 

開山堂内の良弁僧正坐像は、良弁の命日である毎年12月16日の「良弁忌」にだけ公開される。この日は良弁が大切にしていた法華堂・執金剛神像、鎌倉復興をリードした俊乗堂・重源上人坐像もあわせて公開される。東大寺にとってかけがえのない像で、すべて国宝。いずれもとても美しく見応えがあるのでぜひおすすめしたい。

 

 

 

開山堂は二月堂と法華堂の向かい側に静かにたたずむ

 

 

良弁僧正坐像は、良弁没後250年ほどたった1019(寛仁3)年ごろに作られたとされているが、様式的に少し遡るとする説もあるようだ。等身大に近い大きさで体格がよく、どっしりとした印象を受ける。秘仏として公開を限っていたのだろう、彩色もよく残っている。年齢的には壮年のお姿で、仕事一筋に取り組んできた一途さを感じさせる。お顔が高倉健に似ていることもあり、そのように感じさせるのかもしれない。八角形の厨子の中でお座りのお姿にお会いすると、実に心がすがすがしくなる。

 

建物の開山堂も国宝で、1019(寛仁3)年ごろに作られたものを鎌倉初期に重源上人が改修している。良弁僧正坐像の雰囲気ととてもよく合う内陣や厨子のデザインが美しい。

 

西側の大仏の方を向く良弁僧正坐像の裏には、良弁の高弟でお水取りを始めた実忠(じっちゅう)和尚の坐像が、東の二月堂の方を向いてお座りだ。江戸時代の作だが、お姿はとても真面目な方のように見える。開山堂の外にはお水取りで使った松明が供えられている。それだけ東大寺にとって神聖な空間だ。

 

12月半ばになると、空気は冷たいが、とても澄んでいてきれいだ。開山堂があるエリアは高台にある。特に二月堂からの奈良の街の眺めは絶景だ。西に向いているため夕日も美しい。12/16は年に一度の神聖な体験ができる日である。

 

 

日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。

 

 

東大寺に通い続けた40年、巨匠・入江泰吉の絶作写真集

 

 

東大寺

http://www.todaiji.or.jp/

原則休館日:なし

※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。

 

秘仏開扉 良弁僧正坐像

http://www.todaiji.or.jp/contents/function/buddha5.html

 

 


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