美の五色 bino_gosiki ~ 美しい空間,モノ,コトをリスペクト

展覧会,美術,お寺,行事,遺産,観光スポット 美しい理由を背景,歴史,人間模様からブログします

王朝文化を室内で堪能できるのはここだけ ~曼殊院

2017年11月12日 | お寺・神社・特別公開

京都の門跡寺院の中でも殊にハイソ感が溢れる

 

 

曼殊院(まんしゅいん)は洛北の修学院にある門跡寺院で、修学院離宮や詩仙堂など京都を代表する庭園が比叡山麓に立ち並ぶ一角にある。最寄りの叡山電鉄・修学院駅からは徒歩20分ほどの距離があり、住宅が少なくなってきたと感じるあたりからなだらかな坂を上っていく。下鴨神社など京都市内でも北部の街並みがよく見える。山の中腹にあって市街地からは離れており、まさに別荘地の静けさだ。

 

曼殊院は、すぐ近くの修学院離宮と並んで王朝文化を今に伝える。起源は平安時代に比叡山中に設けられた坊で、初代門主が菅原道真一族の出身だったことから北野天満宮の別当(べっとう、管理責任者のこと)を幕末まで兼ねていた。北野天満宮は朝廷から厚い崇敬を受ける二十二社の一つだ。また戦国時代から皇族が門主を務める門跡寺院となり、江戸時代初期の八条宮良尚(はちじょうのみや・りょうしょう)法親王が門主の時に現在地で寺観を整えた。

 

八条宮良尚法親王をご存知の方は多くないと思うが、父は桂離宮を最初に造営した八条宮智仁(としひと)親王、兄は桂離宮を再整備した八条宮智忠(としただ)親王という、卓越した文化センスを持ち合わせた公家に生を受けた人物だ。曼殊院が門跡寺院の中でも際立って王朝文化を感じさせる雰囲気を醸し出すのは、この良尚法親王の美的センスによるものが大きい。曼殊院も桂離宮を手本に造ったと考えられており、江戸時代初期の数寄屋建築の最高傑作と言える。

 

書院の室内は天井が高く、菊の紋や卍をあしらった欄間のシンプルな意匠が品格と趣を兼ね備えている。武家や商家の室内とは明らかに雰囲気が異なり、特別な人々が追求した特別な世界観とはこのようなものだと感じさせる。床の間と棚には余裕と落ち着きがあり、実にスマートで洒脱でもある。ようやく平和な時代を迎えた京都で、俗世間とは無縁の理想の世界感を追求する公家ならではの文化が花開いたことを見事に今に伝えている。

 

ちなみに桂離宮の見学は庭からだけで、建物の中に入ることはできない。江戸時代初期の京都に栄えた王朝文化を、常時公開で室内空間を体験できるは曼殊院だけだ。

 

 

小書院・黄昏の間

大書院・十雪の間

 

 

 

上質な絨毯の赤、松の緑、砂の白、バランスが美しい

 

書院から眺める庭園も必見だ。赤い絨毯に座ってとにかくじっくり眺めてほしい。龍安寺や天龍寺に比べると観光客はぐっと少ないので、静かに庭と対面することができるだろう。

 

禅寺の庭園とは異なり、ストイック感はない。木々は丸みを帯びて整えられており、温かい印象を受ける。曼殊院名物の5月のつつじや11月の紅葉以外にも、多様な木々が季節ならではの色を庭に添える。江戸時代初期の公家が抱いた極楽浄土の理想郷とはこのようなものかと、とても興味がわく。

 

建物の屋根のカーブも少し丸みを帯びて膨らんでおり、庭で丸く整えられた植木ととてもよく調和している。杮(こけら)葺きの屋根の上品なグレーと木々の緑もよく合う。ここの屋根は本当に美しい。

 

 

 

京都に今年も紅葉がやってくる

 

 

京都で華やかな王朝文化が栄えた八条宮良尚法親王が生きた時代、日本の文化は限られた上流階級から市井の人々に広がりを見せていた。法親王の晩年には、大坂で井原西鶴が「好色一代男」を出版、江戸では菱川師宣が、かの「見返り美人図」を描いて浮世絵文化を芽生えさせている。江戸時代の前半は日本文化にとってはとても重要な時代だった。

 

 

 

日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。

 

 

京都の名刹紹介の定番、淡交社の古寺巡礼シリーズ

 

 

曼殊院門跡

http://www.manshuinmonzeki.jp/

原則休館日:なし

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東博の知られざる魅力を是非... | トップ | 京都御所に、こんなところが... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

お寺・神社・特別公開」カテゴリの最新記事