みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 ワーファリン

2020-03-31 04:02:00 | 日記
昨日の梅やんはデイサービスより帰ってから、近くの生協診療所で定例週一回のテリボン注射とワーファリンの薬を1週間分もらいました。

三好市山城町JR川口駅付近

それから、私の車に乗って得意先回りの月末集金にお供しました。山城町のあるお宅で炊いたばかりの温かいサツマイモをいただきました。梅やんは後部座席でうまそうに食べました。


帰宅してから梅やんは、夕食の五目寿司を茶碗に一杯食べました。完食です。芋を一個食べたあとですが寿司も全部食べました。
寝させる段になると、トイレの中で時間がかかり夜用の紙パンツを履き替えようとしません。脱いだ紙オムツをまた履こうとする梅やんに、業を煮やした息子が抱え出して布団に寝させます。その時、狭い入り口の柱に右手の甲が当たり皮がすりむけました。血液がサラサラになるワーファリンを飲んでいると薄皮がむけて血が出てきました。血液の凝固時間がかかりしばらく指で止めていてから、テープで止めました。梅やんは怒りながら寝ました。
梅やんは今日も池田のデイサービスに行きます。

昨日、新型コレラウイルス感染で志村けんさんが亡くなったことをテレビニュースが報道しておりました。気をつけましょう。我が家では台所用アルコールで外出から帰ると掌を消毒しております。
それでは今日はこの辺で。







みなみの梅やん介護日誌 阿波池田の春

2020-03-28 09:39:00 | 日記
今朝はブログの調子が良くありません。


昨日の梅やんは我が家で朝食のあと、体温測定と血圧測定をして概ね異常なし。


体温は35度9分、血圧やや高め、不整脈89でした。これから薬を飲めば良くなります。そのご、迎えの車に乗ってデイサービスへ行きました。
夕方、私がデイサービスまで、おやつのミカンとヤクルト、ゆで卵を持って行ってみると、梅やんは元気でおりました。これから3日間泊まりです。


丸山公園から見た池田の町です。



桜の花が咲いております。


吉野川はここからは真っすぐに徳島市まで流れています。
それでは今日はこの辺で。2日ほどこの日記を休みます。







みなみの梅やん介護日誌 私の家での梅やん

2020-03-27 06:36:00 | 日記
昨夜から雨の音がしています。
梅やんは昨日、デイサービスから帰るとしばらくの間、1月分の領収書を見ていました。宿泊費含めて25673円。梅やんは言いました。「ここで払いよるんなら、お金借りて来るんだった。明るいうちに家にかえったらよかったわ、とうヤンはもんてきとろうか」と。リキさんは死んで16年になるぞ!場所も時間も見当がつかなくなっております。


梅やんは夕食の湯豆腐や野菜と多めのご飯を全部食べて、午後9時には眠りにつきました。
今日からは池田のデイサービスで3日連続で泊まります。
私は月末の集金で得意先回りです。昨日行った大歩危や西祖谷山にも観光客はほとんど見えません。山桜がきれいに咲いているのに。新型コロナウイルス予防のため外出を自粛しているのでしょうか。
それでは今日はこの辺で。


みなみの梅やん介護日誌 梅やんは何処へゆくか知らず

2020-03-26 04:51:00 | 日記




昨日の梅やんは鶏小屋のウコッケイの世話をしてから下へ出る車に乗りました。


畑の中では桃の花と菜の花が咲いています。シカにやられるので作物は全て金網の中で栽培しております。






上天気です。資源ゴミを出していると11時を周りました。さあ、スーパー林道へ。


四季美谷温泉でご飯を食べてから役場に電話してみると、まだ川成峠、スーパー林道は通行止めでした。コロナウイルスが世界で大流行になりオリンピックが1年延期になったと、徳島新聞が報じています。しかたがない事は重なるものです。
それで、北浦のミツマタ群生地、沢谷小中学校跡地を見に行きました。


はるかに望む一ノ森、剣山。剣の峰も緑に映えて山並み遠く連なるところ〜校歌。


沢谷校舎跡の桜は咲いておりません。きれいに積まれた石垣と石の階段は昔のままです。かつてはこの学校に140人の児童生徒が学んでおりました。標高726メートルの地に教員住宅があり、バスを乗り継いで歩いて山道を登り、新任の教師が赴任しておりました。


国道193号線の土須峠を越えて、岳人の森でコーヒーを注文して休憩しました。この辺りは標高900m位です。
午後4時半に三好市井川町の自宅に到着しました。梅やんは「ここへは2〜3回来たことがある。7年も居ったこたあ無い。ワシは帰るわ、用事無い。」と言いました。けれども梅やんは7年間、ここからデイサービスに毎日通ったのです。でも、そんな記憶は有りません。何処へ来たのかも分かりません。
今日から池田のデイサービスへ通います。それでは今日はこの辺で。












みなみの梅やん介護日誌 異動の春、心の寄るべを支える人たち。

2020-03-25 07:02:00 | 日記


昨日の夕方、梅やんをデイサービスへ迎えに行き、今年度で退職の所長の丘上さんにお礼を言いました。梅やんは丘上さんの手を握り、「長い事お世話になりました」と言えました。
木沢診療所では注射と2週間分の薬を貰いました。火曜日を担当していただいた整形外科の医師は、4月から三好市の大歩危診療所と東祖谷診療所と西祖谷診療所を担当するため異動するとのことでした。梅やんの心房細動を見つけてくれた先生です。こうした医師によって徳島県内の地域医療と高齢者施設が担われ支えられております。



梅やんも今日からまた三好市井川町へ移動します。実家から見えるカシドマルの裏側標高1000メートル余りの川成峠を越えると美馬市木屋平です。直線で更に向こうが三好市井川町です。天気が良さそうなので、今日は藤が内谷沿いの道を峠へ上り木屋平から穴吹町へ出ます。


昨夜の梅やんは夕食を済ませたあと、チイ叔母に電話をしておりました。「ワシは井川へは行かんとこの家に居る、誰じゃあ、他人がおるくへいて頭下げて小さくなって生きたいと思わん!ここにワシの家があるんじゃけん。」と、梅やんの頭や心臓や小便の事を知らぬ人が聞いたら、いかにも筋が通った事を言っておりました。心の寄るべが保たれております。梅やんの徘徊が少ないのも妄想が少ないのも寄るべき心が平衡を保っているからでしょう。実家療法はここに意義が有ります。方々にそれを支えてくれる人々がいてくれるお陰です。
梅やんが寝たのは午後11時でした。今まで金曜の夜を独り置いていたのですが、それをやめて見守ることにするため、4月4日に木沢へ帰って来ることにします。
それではこれから朝食の用意して、ゆっくり木沢を出発します。今日はこの辺で。